JSF事件の虚像と実像 - 深田萌絵氏の発言に対する疑念

深田萌絵氏がブログやSNSなどで語っているJSF事件のうち、台湾で発生したとされるいくつかの事象について、これまでに挙がっている疑念を整理しました。
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そして、この手紙を受け取った総統が「調査に乗り出して投獄された」のか、そもそも「マフィアからの報復を恐れて介入しなかった」のかは深田氏の主張に大きなぶれが見られるが、いずれにせよKaiser Electronicsの介入依頼は失敗に終わり、后健慈氏は「Articia P」を発売できないまま台湾から米国に「亡命」したという。

「亡命」後も「共同開発」の話が続いていたのかどうかは定かではないが、手紙が出された2003年8月から后健慈氏が「亡命」する2005年までKaiser Electronicsが代替部品を調達せずに「Articia P」を待ち続けたとは考えにくいし、台湾で知的財産権も何もかも失ったかのような書き方を深田氏がしていることからも、おそらく雲散霧消したのではないだろうか。

ところで、前に提示したArticia Pのカタログ(2003・2004年版)はアーカイブされた日付から2004年6月から8月の間に公開が始まっていることが分かる。また「Articia P」の先発「Articia S」が当時「Amiga」というマザーボードで採用されていたようだが、「Amiga」関連のニュースを扱うサイト「Amigaworld.net」が2004年3月「Articia P」スペック情報を伝えている。

Kaiser Electronicsの手紙は2003年8月に送られていた。仮に深田氏の言うように当時すでに設計情報を全て盗まれたり押収されたりマフィアにオフィスを襲撃されたり製造を妨害されたりしていて「亡命」が必要になりそうな状況だったのであれば、2004年3月にスペック情報が伝えられたり、2004年6月から8月の間にカタログ情報が公開されているのはどういうことなのだろうか?


8. 製造の妨害はあったか?

深田萌絵氏によると次に提示する2006年4月の新新聞の記事は次のようなものであるらしい。
 

焦祐鈞がF35のチップをTSMC経由で盗んだ時のニュース。
深田萌絵 本人公式ノン★ポリブログ(2020年1月20日)

 
2003年、亞圖は虹晶に発注したが、虹晶の製品はできなかった。后健慈氏は「亞圖の技術はIBMの認証を得ている」、「虹晶に正式発注する前に、TSMCに委託した試産では成功していた」と主張したが、虹晶は亞圖の技術に問題があるとして訴訟を起こし、資産差押えの手続きに乗り出した。

虹晶は中国の最大手ファウンドリである中芯と戦略パートナーの関係であり、上海にIC設計の企業を共同設立している。虹晶は最近上場廃止したが、その理由は「当面の資金需要が無いため」と発表している。ひょっとしたら今後中芯から投資を受けるつもりで、それが表に出ないようにするために上場廃止したのかもしれない。

また「亞圖の技術には問題がある」と言って戦略パートナーを解消した華邦の焦佑鈞氏は、かつて中華開発の仲介の下で当時世大積の社長であった張汝京氏(のちに中国で中芯を創業する)と共に聯華電子との合併について商談したことがある。

后健慈氏は「亞圖のチップは米国の次世代戦闘機のチップの技術に関連しており、中国軍が高い関心を持っている。華邦と虹晶が亞圖の技術を以て中国の中芯を支援することは中国政府への最高のプレゼントになる」推察する。

この訴訟で2000万ドルの損失を被った后健慈氏は米国政府の保護を求めて米国に渡り、カリフォルニアの裁判所で虹晶に対して1億ドルの損害賠償を求める反訴を起こした。


記事には「マシンガンを持ったマフィアにオフィスを襲撃された」、「空港で理由なしの逮捕状で逮捕されて投獄された」、「調査局に設計を全て押収された」、「虚偽告訴された」、「王金平立法院長に救い出された」、「政府が台湾史上最悪の人権侵害だと発表した」などといったことは一切書かれていない。

「米国政府の保護を求めて米国に渡った」とは書かれているが、「FBIに保護されて米国に亡命した」とは書かれていない。「保護」と言っても「后健慈氏の生命の保護」と差押えの手続きが進んでいる「亞圖の資産の保護」では当然意味合いが大きく異なる。米国から反訴に打って出たということであるから記事中の「保護」は後者を意味するものだと考えられる。

深田氏の断片的な発言から浮かび上がる映画のような事件像とは大きく異なるが、筆者はこれがおそらくF-35事件の実像ではないかと考えている。

記事は后健慈氏の推察を紹介し、虹晶と華邦がそれぞれ中芯とどのような関係にあるのかを延々と説明している。亞圖のチップが「米国の次世代戦闘機のチップの技術に関連している」というのは事実だが、前節で確認したように核心部品でも軍事機密でも何でもない市販品である。果たしてその事実を記者は理解しているだろうか。

記事には「虹晶の製品ができなかった」(虹晶產品沒做出來)とあるだけで、具体的にどのような問題が発生していたのかまで詳しく書かれていない。製造されたチップが動作不良を起こしているのか、それとも製造以前の設計に関することで揉めたのか、納期に間に合わなかったのか、それ以外の別なことなのか、肝心の部分がさっぱり分からない。

后健慈氏によると虹晶側は「亞圖の技術の問題だ」と主張しているそうであるから、少なくとも何かしらの技術的な問題をめぐって企業間紛争になったのではないかと思われる。そして、それに対して技術的な見地に基づく反論ではなく、自社の技術を誇大に語って係争相手の粗探しをするような推察を語ることしかできていないところに、亞圖側の劣勢がうかがえる。

なお、記事中で「亞圖の技術はIBMの認証を得ている」と主張しているのは、Mai Logicが「Ready for IBM Technology」(RFIT)認証を得ていたことを言っているものと思われるが、RFIT認証はIBMの半導体を組み込んだ製品を開発・設計・検証する企業であることを表すもので、「IBMが製品の動作を保証している」という意味合いのものではないし、そもそも虹晶もRFIT認証を得ている企業の1つである。

以下はArticia Sのカタログに使われていたRFITロゴと説明文。


補足1:日本語訳に見られるミスリード

なお、深田萌絵氏のブログでは先ほどの新新聞の記事の日本語訳が公開されている。記事の全文を訳したものではないが、原文と読み比べてみると「虹晶は亞圖の技術を以て中芯を支援するつもりかもしれない」という后健慈氏の推察を援護するような訳になっている。いくつか拙訳と並べて紹介する。(上が深田訳、下が拙訳および原文)

 

虹晶の異常な行動
今年二月、虹晶会社が突然、株式上場の申請を取り消した。

人々の好奇心をそそるのは、今年二月に虹晶が予告なく去勢したこと、株式の公開発行を取りやめたことだ。(令人好奇的是,今年二月虹晶無預警地揮刀自宮,自行撤銷公開發行)

 
また虹晶の「当面の資金需要が無い」という上場廃止の理由について、深田氏は記者の推察を次のように訳している。
 

本当の理由は中国中芯グループとの提携を台湾で公表する必要を避ける事だと思われる

最も主要な動機は台湾の上場の法令を遵守せずに済むからかもしれない。もし株式を公開したら、中芯との提携の可能性やその後の発展に関するセンシティブな情報な情報が明るみに出ることになる。(最主要動機,可能還是以不必再遵守台灣上市櫃法令,需要公開,透明揭露可能與中芯合作,後續發展的敏感資訊)

 
そして、完全に誤訳と思われるのがこの一文である。
 

実は2005年、台湾ベンチャーキャピタルの有名人胡定吾の仲立ちで、中芯グループの虹晶会社を買収したニュースが流された

実は昨年、胡定吾などのベンチャー投資家の仲介の下、中芯は虹晶科技に対してM&Aや投資の意向を示していたが、円満達成には至らなかった。(事實上,去年胡定吾等創投大老的牽線下,中芯曾有意併購或投資虹晶科技,未能圓滿達成

 
このように深田氏の日本語訳では「虹晶は中国の中芯に買収された」ことが報じられており、それを隠すために突然の上場廃止という「異常な行動」をとったという書かれ方になっている。

また原文には、華邦と亞圖のパートナーシップが解消された際にも華邦が「亞圖の技術には問題がある」と主張していたというような記述があるが、深田氏の日本語訳では省略されている。
 

しかし、最後は華新グループは后氏が六百万ドルの亜図会社の資金を流用した事を発表し、パートなジップ(注:ブログの原文ママ)も失敗に終わった。

しかし、最後は華邦もまた「亞圖の技術には問題がある」と言って互いに不愉快な気持ちのままパートナーシップは解消された。さらに華邦は后氏が海外の子会社を利用して2億元近くをトンネリングしていたと反撃した。(但結果華邦也是宣稱亞圖的技術有問題,雙方不歡而散,並且華邦還反控后健慈利用海外子公司,掏空亞圖近兩億元)


補足2:沿革説明に見られるミスリード

深田萌絵氏はブログの他の記事でも虹晶についてミスリードするようなことを書いている。
 

2006年4月6日、台湾唯一の反国民党週刊紙『新新聞』がF35のチップソリューションを設計していた台湾アトム社社長(弊社CTO)と当時TSMC子会社だった虹晶科技がアトム社の設計したステルス戦闘機(F35)の超小型チップのデュアルユース設計を巡っての係争について、裏で糸を引いているのはウィンボンドCEO焦祐鈞だと報道した。
アトム社の設計を受け取った後に虹晶科技は「アトム社には技術がなかったので納品できなかった」とアトム社を訴訟し、アトム社は「IBMの認証を受けた技術企業であったうえにサンプル生産では通常に動いていた」と1億ドルの賠償を求めて反訴したために虹晶科技は訴訟を取り下げた。虹晶科技はこの訴訟でIPOを断念し、鴻海精密工業の子会社となった。新新聞はその後、青幇一員の朱国栄に買収され、論調が親国民党へと一転した。
深田萌絵 本人公式ノン★ポリブログ(2019年12月17日)

 
まずは1つ目の赤文字について。

虹晶は米国のSynopsysで専業設計服務部門のアジア・太平洋および日本地区総裁を務めた劉育源氏が2001年に創業。創業時は寶典、茂積、普豪の3社が株の6割を保有していた。2005年10月まで代表取締役を務めた高啟全氏はTSMCで2年間工場長を務めていたことはあるが、虹晶創業の10年以上も前にTSMCを離れていてた。高啟全氏が代表取締役を辞任したあとには茂積の蔡永平社長が選任されている

深田氏の言うように「虹晶がTSMCの子会社で、それを中芯が買収した」というニュースが流れているのであれば、上場廃止してその動きが表に出ないようにするなどというのは全く無意味なことである。

次に2つ目の赤文字について。

2006年の反訴でIPOを断念して間もなく鴻海に買収されたかのような書かれ方だが、虹晶が鴻海の子会社となったのは2014年で、2006年の反訴、2007年の新新聞の買収から7年以上の開きがある。

ではその7年間はどうだったのか、深田氏が書いたように中芯に買収されていたのかというと、実は2008年、シンガポールのChartered Semiconductorの資本が入っている。2010年にはChartered Semiconductorが米国のGlobalFoundriesと合併し、2014年に鴻海に買収されるまでGlobalFoundriesが法人筆頭株主だったというのが正確な情報である。

虹晶に米国企業の資本が入ることになるとは新新聞の記者もさぞかし驚いたことだろう。


9. 製造遅延の原因は何か?

前節で提示した新新聞の記事によると、后健慈氏は新新聞の記者に対して「虹晶に正式発注する前に、TSMCに委託した試産では成功していた」と説明しているようだった。では技術者の視点からはこの事象はどのように捉えられるのか。以下は筆者がこちらのスレッドでZF氏に話を伺った際のツイートを整理したもの。(一部並べ替えや省略した箇所がある)
 

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