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大桑争乱から長良川の戦いまで

史跡まとめ(仮)
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

「台所」は石積みがされていたという。宅地造成の為だというが石垣とやらは転落してばかりでもはや「石積み」の原型をとどめてはいない。 pic.twitter.com/KbzHpjwcjx

2020-04-30 23:49:19
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「台所」で丸みを帯びた細長い石を見つけた。石垣ではなさそうだがこの石は「台所」で何らかの役目を帯びた石だったのだろうか、、 pic.twitter.com/eUdnYYQQRG

2020-04-30 23:52:16
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「台所」も炎に包まれたのだろうか。大桑城の要所である「台所」には斉藤道三による「火攻め」を受けて逃げ惑う土岐一族関係者が多数いたのだろうか。 pic.twitter.com/lZy2XjMpO2

2020-04-30 23:54:42
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石垣跡。大桑城伝「台所」裏側にある帯曲輪を進むと見つかる石積み。 pic.twitter.com/RjYkHAdxRp

2020-04-30 23:57:34
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伝切井戸。大桑城内にある岩を切り抜いて作られた穴でいつも水が湛えている「切井戸」と呼ばれる井戸。この「切井戸」には大桑城落城の際に土岐頼芸がこの井戸に「金鶏」を隠したという伝説が残されているようだ。 pic.twitter.com/sp0hTPRzIz

2020-05-01 00:06:39
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土岐頼芸が金鶏を井戸に隠したという何かが混在したような伝説ではあるが、大桑城のあるこの古城山はこの金鶏伝説に因んで「金鶏山」とも呼ばれていたようだ。 pic.twitter.com/Z6MSKC0YmM

2020-05-01 00:23:40
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石垣跡。大桑城「切井戸」の曲輪に残されている石垣。大桑城は本当に石垣が多い。 pic.twitter.com/PHBF9Uan20

2020-05-01 00:27:48
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伝「天守台」跡。大桑城の「天守台」があったとされる曲輪。 pic.twitter.com/9ysT7ImgD8

2020-05-01 06:46:44
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大桑城の有名なミニチュア模擬天守。 pic.twitter.com/tbzkjMssCq

2020-05-01 06:54:21
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大桑城は斉藤道三の攻撃によって落城し土岐氏最後の美濃国守護、土岐頼芸は城から逃亡した。土岐頼芸はその後、斉藤道三によって美濃国を追放され流浪の身となる。 pic.twitter.com/czXs7W3baM

2020-05-01 07:15:32
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土岐頼純墓。「大桑争乱」で土岐頼芸と共に大桑城に籠城し斎藤道三と戦い討死(或いは不慮の死?)したとされる土岐頼純の墓。 pic.twitter.com/lTS32aqe2W

2020-05-21 18:50:58
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土岐頼芸墓。法雲寺にある土岐氏最後の美濃国守護である土岐頼芸の墓。斎藤道三に追放された土岐頼芸はその後流浪の末、斎藤氏滅亡後の美濃国に戻り天正10年に生涯を終える。 pic.twitter.com/xwzpBNj2jJ

2020-05-01 10:11:53
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千人塚。「大桑大乱」による戦死者を弔う為に江戸時代に建立された碑石。「千人塚」には「宝篋印塔」が刻まれている。 pic.twitter.com/JwvtWJdLvI

2020-05-21 21:08:48
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六万墓。この「六万墓」のある場所で土岐氏と斎藤道三の合戦による戦死者を弔うために南泉寺の僧侶が焼香を行ったとされる。後年この場所に「戦死六万墓」という石碑が建立されたという。 pic.twitter.com/KxxDLb4a6f

2020-05-01 12:00:42
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「六万墓」の由緒である焼香はどうやら天文16年ではなく5年前の天文11年に行われたようだが、、、 pic.twitter.com/f4fZSVMzGa

2020-05-01 12:22:37
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土岐家累代供養塔の基壇部には土岐頼貞から土岐頼芸まで名前が刻まれているようだ、、、 pic.twitter.com/yRK2V1TCKC

2020-05-21 20:03:25
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

土岐氏と斎藤道三による大桑城を巡る戦いによる戦死者は「六万墓」の名前の由来の通り「六万億土の彼岸」へと旅立ったのだろうか、、「六万億土」を越えたその先には「極楽浄土」である、、 pic.twitter.com/83LqiaZtHz

2020-05-01 12:10:21
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