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大桑争乱から長良川の戦いまで

史跡まとめ(仮)
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

大桑城跡。嫡男斎藤義龍と不仲となった斎藤道三が逃げ込んだ山城跡。大桑城は元々は土岐氏の居城だったが道三に落城させられ廃城となっていた。 pic.twitter.com/4YVPOosFZ6

2020-05-10 21:09:38
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取矢神社。岐阜県山県市にある神社。この神社の伝承によると土岐頼芸の家臣で弓矢の名手である早矢仕新助という人物が放った矢を鳥が嘴で受け取り飛び去った為、「取矢神社」という名前を近くの宮に名付けたという。 pic.twitter.com/Lbbzzgu3aq

2020-05-04 21:58:07
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弘治2年4月、斎藤道三と斎藤義龍父子は長良川で合戦を行う。稲葉山城の斎藤義龍の軍勢は17500、大桑城の斎藤道三の軍勢は2750と兵力に圧倒的な差があった。 pic.twitter.com/7XQq92k7HJ

2020-05-10 21:16:30
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鷺山城跡。岐阜県岐阜市にある山城跡。鷺山城の麓には土岐頼芸を追放した斎藤道三が一時隠居城としていた、という伝承が残されているようだ。 pic.twitter.com/3nl07nXUvw

2020-05-10 21:21:37
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昔は斎藤道三が「長良川の戦い」の際に鷺山城に陣を置いたという説が有力だったという。現在はこの鷺山ではなく鷺山の北東に位置する鶴山が道三の陣地の最有力候補のようだ。 pic.twitter.com/kH38OOmlkp

2020-05-10 21:33:18
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鷺山城が斎藤道三の陣地だとすると史料に存在する「土居口」での戦闘が地理的に考えにくいのだろう。鶴山が斎藤道三の陣地だと考えた方が自然なのだろう。 pic.twitter.com/eJRBhywz7M

2020-05-10 21:42:13
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鶴山。「長良川の戦い」において斎藤道三が陣を置いたとされる山。この鶴山には「鶴山城」という城郭が存在していたようだが、、、 pic.twitter.com/ntLPc3q1dD

2020-05-10 21:45:51
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長良川。岐阜県稲葉山の北側を流れるこの川は戦国時代にはもう少し北を流れていたという。「長良川の戦い」の際、斎藤義龍は稲葉山の麓の長良川の河原に陣を置いている。 pic.twitter.com/i09J5oQ5Uk

2020-05-10 21:58:01
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「長良川の戦い」の戦端は斎藤義龍方の武将である竹腰道鎮が開く。長良川を渡った竹腰勢は鶴山の麓に陣を移した斎藤道三の軍勢目掛けて突撃する。 pic.twitter.com/RVnuTYjSBD

2020-05-10 22:27:13
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竹腰道鎮の竹腰氏は後に犬山城の成瀬氏と並ぶ程の尾張藩の重臣となる。今尾城主竹腰氏の祖先は戦国時代斎藤氏の家臣だったのだ。 pic.twitter.com/L7O7emP3iO

2020-05-10 22:35:36
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突撃した竹腰道鎮は斎藤道三の手勢によって討ち取られた。敗走する竹腰勢を見た斎藤義龍は長良川を渡る。「長良川の戦い」の初戦は斎藤道三が勝利する。 pic.twitter.com/lVt0lO3C6M

2020-05-10 22:39:58
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土居口。「長良川の戦い」で戦闘が発生した地。古戦場である「土居口」には鳥羽川という川が流れている。 pic.twitter.com/RIC1a3IVak

2020-05-10 22:48:33
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長屋氏屋敷跡。垂井の長者長屋氏の館跡。南北朝時代に一時南朝軍によって京都を追われた北朝の後光厳天皇は土岐氏を頼りこの長屋氏の屋敷を仮御所としたという。 pic.twitter.com/Jz0fZ6J0cH

2020-05-10 22:58:18
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「長良川の戦い」で討死した長屋甚右衛門はこの本巣の長屋氏の一族だったという。斎藤義龍方の武将である長屋甚右衛門は斎藤道三方の武将、柴田角内に一騎打ちによって討ち取られた。 pic.twitter.com/4up6xAbdtk

2020-05-10 23:02:57
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中の渡し。「長良川の戦い」において斎藤義龍の軍勢と斎藤道三の軍勢が激突した場所である。おそらくこの「中の渡し」が最大の激戦地であると思われる。 pic.twitter.com/LkQ31RxQrE

2020-05-10 23:20:32
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長屋甚右衛門の討死後に行われた両軍の戦闘は数で劣る斎藤道三の軍勢が次第に劣勢となる。斎藤義龍の軍勢による猛攻撃によって斎藤道三の軍勢はついに崩れ始める。 pic.twitter.com/i7rzu2Zqm2

2020-05-10 23:31:49
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道三塚。「長良川の戦い」で討死した斎藤道三が葬られたとされる塚。「中の渡し」での激戦に敗北した斎藤道三は組伏せられ小牧源太という武将に討ち取られた。 pic.twitter.com/h1h7Bwyri0

2020-05-10 23:47:14
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斎藤道三を討ち取った小牧源太は生け捕りにするつもりで組み付けていた井上道勝の怒りを買う。井上道勝は最初に斎藤道三の組み付けた証拠として道三の鼻を削いだ。 pic.twitter.com/Nnl2wnQYbJ

2020-05-11 00:10:09
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敗死した斎藤道三の遺体は小牧源太によって「中の渡し」に葬られた。しかし長良川の水害が酷く「道三塚」は度々流された。その為常在寺の住職によって現在の地に移され碑が建てられたのだという。 pic.twitter.com/ETc9Qqx5V8

2020-05-11 00:19:13
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大浦砦跡。岐阜県羽島市正木町大浦新田付近にあったとされる城郭。「長良川の戦い」の際、斎藤道三の救援に来た織田信長がこの「大浦砦」に陣を置いたとされる。 pic.twitter.com/h4xIQQ0rb6

2020-05-11 07:58:50
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大浦の蛇。羽島正木町大浦に残る伝承である。解説板によると「大浦の蛇」なる龍神が現れたのは江戸時代中期であるという。 pic.twitter.com/Joh75Xew9O

2020-05-11 09:22:31
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