編集部イチオシ

おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?

大塚英志の80年代論『「おたく」の精神史』について周辺の話を掘り下げて考察。「おたく」とは何か?昔のツイートも遡って考えます(Togetter編集部)/大塚英志の1980年代論『「おたく」の精神史』では『漫画ブリッコ』周辺の作り手について一切触れられてませんでした。そこでインターネット上の書き込みをもとに大塚英志以外の視点から見た『漫画ブリッコ』周辺を再検証することにしました。ただし、ここにある書き込みが事実であるとも限りませんので、その点はご了承ください。
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まんがゴリラ @manga_gorilla

『コレクター』 (1983 海鳴書房) こちらも海鳴書房発行。 東京おとなクラブによる芸能ゴシップ情報、漫画は吉田英一に安倍能丸。。は月蝕歌劇団の阿部能丸さんか?これは良い漫画。 ちなみに桜沢エリカの美少女コレクターは載ってない。 pic.twitter.com/R8kTZzClOE

2020-03-19 18:48:23
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赤城兵団 @6HQi1jGqJISSTc1

これは確か五号で消えた雑誌だね。何が悪かったのかな? pic.twitter.com/MFuXQdriH9

2020-05-23 03:38:31
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後藤寿庵 @juangotoh

あれでしょ。中森明夫氏の「おたく」命名がらみで大塚さんと袂を分かつたおぐわたさんがやってた群雄社のアリスくらぶ。そろそろおぐわたさんにもあの頃何があったのか聞きたいけどw

2012-11-03 01:51:20
後藤寿庵 @juangotoh

アリスくらぶの編集長はおぐわたさん。漫画ブリッコの編集長は大塚さん。当時おぐわたさんは「おたく」という言葉の発祥の一つとも言われる、漫画ブリッコ中森明夫氏の「東京おとなクラブ:おたくの研究」というコラムが差別的だという大塚さんと衝突。決別してたはずで、

2014-07-03 17:05:39

そうか、岡崎さんとは直接面識なかったのか。でも「おとなクラブ」人脈だから、もとはといえば小形くん系列ではあるよね。

当時小形くんが群雄社で作ってたエロ本の編集部に、よく岡崎さんが来てたのでてっきり小形くんが彼女をブリッコに連れてきたんだと思いこんでました。時系列が逆か。

ブリッコの前身になった雑誌は『COMICキュロット・デラックス』(セルフ出版)では? 実は俺持ってるんだよ(笑)。今、書棚から探し出したんだけど、ラインナップが中島史雄、谷口敬、飯田耕一郎、火野妖子、藤原カムイ、中田雅喜、それから夏目房之介(笑)。編集後記を「おーつかえーじ」と「緒方源次郎」が仲良く書いてます。

投稿: たけくま | 2005/03/16 12:37

吉田正高 @yoshidamasataka

『漫画ブリッコ』のセルフ出版から刊行された『コミック キュロットDX』☆ 「ロ⚫︎コン漫画家スーパーセッション」のキャッチコピーがアレですが(苦笑)、『ブリッコ』が美少女漫画路線に変わる1983年5月以前の出版なのが文化史的に重要♪ pic.twitter.com/w0BsUdmbMZ

2015-04-04 00:20:02
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kamS @kamS_XXX

…『ブリッコ』!『コミック キュロットDX』! (涙 …当時18歳の子供にとっては色々と刺激的な本でした。(実用含めて) …『ふゅーじょんぷろだくと』は『ぱふ』とのゴタゴタ以来、創刊から廃刊まで買ってましたね。 …何もかも皆… twitter.com/tg_editor/stat…

2020-05-21 21:20:54
トゥギャッター編集部 @tg_editor

80年代論『「おたく」の精神史』を周辺の話を掘り下げて考察 「おたく」とは何か? 「おたくの語源―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?」togetter.com/li/1518629 @pareorogasさんから #編集部イチオシ

2020-05-21 20:18:03
kamS @kamS_XXX

…中森明夫氏が「おたく」を造語したときには 「今まで通りマニアでいいじゃん。オタクとかかっこ悪いじゃん」と思って反発したんですよね。 …結構、その思いは後年まで引きずってました。青い…。

2020-05-21 21:31:53

元アリス出版&群雄社編集者・川本耕次の証言

高野文子とかさべあのまとかは、1980年代に入ると「コミック・ニューウェーブ」と呼ばれるようになるんだが、柴門ふみも合めて、彼女たちに共通するのは「少女漫画家ではない」という言葉に尽きる。それまで、女性の漫画家がデビューする場というのはほぼ少女漫画誌という媒体に限られていたのが、そういう商業的なジャンルに囚われずに書く場が作られるわけだ。そうした作家を世に送り出したのは、同世代の編集者だった。しかも、学生時代からコミケットで交流していた同人誌仲間がそのまま編集者、作家としてプロになるという、それまでの業界では考えられなかった時代が訪れていた。

川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37-38頁


明けて1982年、5月31日の日付で『ロリコン大全集』(都市と生活社)が出ている。これも近藤昌良のストック写真ヌードが少々入っているものの、ほとんどが雑多な記事で構成されていて、吾妻ひでおの漫画も『仁義なき黒い太陽・ロリコン編』という、同人誌の内幕モノです。実は、この頃から元ふゅーじょんぷろだくと編集だった緒方源次郎という男が私の仕事を手伝うようになっていて、そのカラーが色濃く出ている。後に漫画家になる白倉由美(引用者注:大塚英志の嫁)がまだ女子高生なのにカラーページで着せかえ人形描いていたりして、他にも緒方源次郎が連れてきたような女子高生が何人も参加してます。この本は「責任編集・監修 蛭児神建」となっているが、そちらはほとんど名前だけです。

川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 182-183頁


『レモンピープル』のライバルとして登場するのが『漫画ブリッコ』(セルフ出版)だが、こちらは多少複雑な経緯をたどっている。当初は石井隆、羽中ルイ、中島史雄などエロ劇画の再録誌として出発するが売上げが伸びず、編集者が交代、大塚英志と小形克宏になる。

この小形克宏というのは、私のところで「緒方源次郎」と名乗っていた男です。元はふゅーじょんぷろだくとの編集者だった。ここでは洋森しのぶ(のちの「みやすのんき」)、藤原カムイなどが起用される。藤原カムイは、私が抜けたあとのアリス出版で竹熊健太郎とともにデザイン関係の仕事をしていたらしい。

また『少女アリス』の編集部に出入りしていた女子高生の読者の中から、桜沢エリカなどが起用されている。ここは、私が『Peke』で目指したような「少女漫画家ではない女流漫画家」路線を受け継いでますね。中森明夫を起用して「おたく」という言葉を有名にしたのもこの雑誌です。

『レモンピープル』や『漫画ブリッコ』はいずれも今はないのだが、売れなくて廃刊したというより、世の中そのものがロリコン系漫画誌だらけになって役目を終えたので引退したという形に近い。気がつけば、あれだけ人気のあった「エロ劇画」はほとんど壊滅状態になっていたのだ。

川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 193-194頁

小形克宏 @ogwata

群雄社で徹夜仕事をしていた自分は、大塚英志の電話でかがみあきらさんの死を知った。彼は疲れた声で、かがみさんの住所録にある電話番号に片端からかけているんだと言った(今から思えば、彼はあの日を境に変わったように思う)。そうか、あれから30年も経つんだね。

2014-01-28 02:10:06
稀見理都 @kimirito

かがみあきら先生が亡くなられたことを綴っている大塚氏。「漫画ブリッコ84年10月号」 この事をきっかけに、後に編集長を退任することに… twitter.com/TokiBosi20/sta… pic.twitter.com/2otHUJzzwO

2018-08-09 09:41:47
時星リウス@妄想自由人 @TokiBosi20

1984年8月9日は26歳の若さで急死された漫画家 かがみあきら先生の御命日であります。 富野由悠季監督は彼の事を高く評価しておりました。 pic.twitter.com/71YD9ZerYd

2018-08-09 03:23:32
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後藤寿庵 @juangotoh

大塚さんは84年のかがみあきら先生死去の後は徐々にブリッコから手を引いてて、僕が大塚さんに呼ばれて編集部行ったら当人がいない。「大塚さんに言われてきたんですけど」と言ったらブリッコと関係ない別人の大塚さんが出てくる。一時間くらいして「やあごめんごめん」と現れるという

2014-02-18 02:57:32
後藤寿庵 @juangotoh

漫画ブリッコ編集長の大塚さんは白夜では契約社員だったので、常駐はしてなかったんですよね。いえばかがみあきら先生がなくなった後のブリッコは若干放置のけがあって。僕が大塚さんに呼ばれて白夜いったらいなくて、同姓のプロレス誌編集の大塚さんとしばらく話して「なんか違うぞ」みたいな

2014-07-03 17:30:21
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

大塚英志はブリッコを去る時「祭りは終わった。マイナーの時代は終わった」としきりに言ってたが、これは「ニューウェーブの黄昏」を示唆してたんだよね。事実、後継誌のホットミルクは「普通の商業誌」になってしまったし、後の美少女コミック誌はどんどんヱロ主体のヒネリのない内容になっていった。

2020-04-22 01:38:04
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

奇しくも大塚の「ブリッコ終了宣言」と時期を同じくして白夜書房のアブノーマルマガジン『ビリー』『バディ』が廃刊している。個人的な印象論だが、1979年から始まった一連の流れは1985年に断ち切られている。時代はバブルに突入していこうとしていたが、この時期から雑誌はつまらなくなっていった。

2020-04-22 01:39:41
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

「自販機専門三流劇画誌」の黄昏について故・米沢嘉博氏が『戦後エ口マンガ史』(青林工藝舎)でそれっぽいことを言及していた。なお氏は『劇画アリス』の後釜『グルーピー』で『シベール』を取り上げている。ちなみに「自販機劇画」は実話誌の埋め草扱いとなり、程なく消えていくことになるのだ。 pic.twitter.com/EmWqjrGVB2

2020-04-26 03:32:16
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虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

重要なのは『漫画ブリッコ』が最盛期でも3万部程度しか売れてなかったことで、この頃の□リコン/美少女まんがは「サブカル色の強いマニア向け少年誌」でしかなかったということ。そこに拘泥した雑誌は全て潰れ、後の美少女ブームを生き抜いた雑誌はマニア色を排した最大公約数的な雑誌ばかりだった。

2020-04-26 03:49:46
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

大塚英志が『漫画ブリッコ』から降りたのが1985年だが、よくもまあ、この頃まで「エ□マンガの体裁でニューウェーブ的な漫画誌をやる」ことが出来たものだと感心する。漫画界のニューウェーブは『漫画ブリッコ』創刊時には既に終わりかけており、それを2年間も延命させたのは凄いことだと思うよ。

2020-04-26 03:55:22

以下の文章は白夜書房刊『漫画ブリッコ』1985年7月号/大塚英志「重大発表」より抜粋

さて、モンダイの重大発表です。結論からいいます。7月23日発売の9月号を最後に大塚英志は編集長をおります。

一口でいってしまえば、「マイナーの時間」は終わったのです。「祭りの時間」が終わった──といってもいいわけだけど、とにかく、時代は次に向かって動きだしているのです。かがみあきらが逝き、藤原カムイが去ったように、もはや、ほくも、作家たちもコマを次に進める時間が来ているのです。次の始まりのために終わることが、『ブリッコ』には必要だったのです。

『八犬伝』じゃないけれど『ブリッコ』が解体することで、様々な可能性や、才能が珠となって四散していきます。『ブリッコ』という小さな世界で終わろうなどと、誰も(ぼくも作家も)思っていなかった以上、それは当然のことです。

そして、最後に言っておきたいのは7月23日を最後に、今までの『ブリッコ』はキレイさっぱりと忘れて二度と思い出さないこと。まさかそんなことはないだろーけど、『COM』のよーに後で評価される、なんてまっぴらごめんです。


大塚英志氏が『ブリッコ』時代から一貫して語っていることは、「われわれが生きている、この時代は不毛だ」ということなんですね。実際『ブリッコ』の編集後記読むと、やたら「不毛」とか「祭りは終わった」とか出てきますからね。

それこそ自分が関わっていたロリコン漫画ブームからして「時代の不毛」の現れなんだれども、その「不毛」で自分はオマンマを食べていることに対して、ものすごい屈折と韜晦が彼にはあるわけですよ。だから彼にとっては「不毛」の帰結として宮崎事件はあったのだろうし、それに対して目をそらしてはならないと主張していることは、わかる。

同時に、失踪した吾妻ひでおや夭逝したかがみあきらなどに対する大塚氏の尋常ならざる思い入れもまた「不毛な状況の犠牲となった天才」という文学的な意味で、わからなくもない。─竹熊健太郎


かがみあきらの死で「不毛」にとりつかれた大塚英志。大塚史観からオミットされた編集者小形克宏。マイナー誌で関係者も少ないので検証も大変。大塚英志はあまり好きではないけど功罪を見極める必要はある。

投稿者: dmekaricomposite | 2020/05/23


大塚英志というひとは、たいへん複雑な人物ですよね。実際、いろんな意味でデカい存在だと思います。あだや疎かにできんというか。

しかし、一方で80年代からこっちのマンガ史・オタク(別にひらがなでもカタカナでもぼくはどっちでもいいと思っていますが)史のある部分は、「大塚史観」に大きく規定されてしまっていると思います。

実際に『ブリッコ』の誌面をみてみると分りますが、「美少女系」の嚆矢であると同時に、ニューウェーヴ・コミックの末尾という感触も強くあります。そこが先行していた『レモンピープル』と異なる点ではないかと思うのですね。

また大塚氏が降板して以降の『ブリッコ』から、後続誌の『ホットミルク』へとつながる流れや、並行する『ペンギンクラブ』の創刊と大部数化など、大塚氏はほとんど無視しています。『ホットミルク』の投稿はがきからマンガ家になっていったひととか、存在としては小さくないと思うのですが。

いずれにせよ、大塚氏の「史観」は彼自身の来し方についての言及をほぼ出ないのですね。そうした内省性や「自分語り」は、彼の誠実さの表れかもしれないけれど、しかし、ここまで続くと「自分を確認すること」の強迫的な反復に思えてきます。そんなに自分のやってきたことや、自分の存在を認めることができないのかなあこのひと、と思いますね。まあぼくはそういう「エイジ君」のおセンチなところが好きだったんですが。

投稿者: 伊藤剛 | 2005/03/16

DJたいやき! @ExposureSystem

面白い研究だ。 日本で華開いたマンガは一文化を築いていながら軽視され続け、その歴史を系統立てて調べられていないと感じる。 twitter.com/pareorogas/sta…

2020-05-21 20:18:27
azusa_tomita @a_t

おたくの語源―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか? - Togetter togetter.com/li/1518629 @togetter_jpから 大塚英志視点でしか知らなかったら新鮮

2020-05-21 23:04:57
トゥギャッター編集部 @tg_editor

@pareorogasさんのまとめ togetter.com/li/1518629 を本日の編集部イチオシに選ばせていただきました!興味深いまとめでした!意外な歴史があったんですね。 特集ページでも紹介しています。togetter.com/recommend みてね!

2020-05-21 20:18:13
Togetter(トゥギャッター) @togetter_jp

80年代論『「おたく」の精神史』を周辺の話を掘り下げて考察 「おたく」とは何か?、昔のツイートも遡って考えます。 / “おたくの語源―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか? - Togetter” htn.to/2rRY1ZyRYX #Togetter #オタク #漫画ブリッコ

2020-05-21 20:00:45
稀見理都 @kimirito

【宣伝】② 「漫画ブリッコ」休刊後の2ヶ月後の86年の創刊した「ホットミルク」ですが、伝説の編集長O子氏に直接インタビューし、創刊の秘密など、いろいろな逸話を凝縮させた内容になっています! 初不健全図書指定の原因が新貝田先生!? pic.twitter.com/cwYiAj0B88

2016-04-17 14:03:44
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