第3回宗援連情報交換会アフター、特に心のケアを中心に

2011年6月19日(日)、宗教者支援連絡会の第3回が開催されました。谷山洋三氏(スピリチュアルケア学会):宗教者による「心のケア」のあり方について、茅野俊幸(シャンティ国際ボランティア会):被災地支援と宗教協力、吉田律子(サンガ岩手):岩手県からの現地報告、金子昭(天理大学おやさと研究所):シニアボランティアツアーの提案がありました。連絡会では島薗先生(@Shimazono)先生が古澤先生(@yumifurusawa)を指名され、谷山先生のチャプレン制度導入案についての慎重論が出されました。ここではその後、それに関連するツイートを中心に集めてみました。時間順にしてありますが、適宜、並べ替えてくださっても結構です。追加も歓迎です。
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@yuumatan

@Shimazono自分を認識する対象がいなければ、人は自分のことすら理解できない。他者の認識に入り込むことは、すなわち、自らを学んでいるのである。

2011-06-20 10:45:37
島薗進 @Shimazono

唯一の超越者に照らした自己と多様な他者から現れる自己。後者が重い現代。@yuumatan 自分を認識する対象がいなければ、人は自分のことすら理解できない。他者の認識に入り込むことは、すなわち、自らを学んでいる… @HASSANKONAKATA 宗教者など要らないというだけの話..

2011-06-20 10:56:05
@yuumatan

@Shimazono 前者と後者は、相反する概念ではないでしょう。目的に向かうための通り道。初めの一歩がどれだけ弱々しく、たよりないとしても、誰もそれを否定できない。

2011-06-20 11:12:32
島薗進 @Shimazono

仰せのこと、おおよそ理解できます。堅固な信念から出発できる人は少ないですね。@yuumatan 前者と後者は、相反する概念ではないでしょう。目的に向かうための通り道。初めの一歩がどれだけ弱々しく、たよりないとしても、誰もそれを否定できない。@Shimazono

2011-06-20 11:54:27
@yuumatan

@Shimazono 頑固な信念だからこそ、派手に転んで、痛みを知り、自らを変化させる基礎を有する。

2011-06-20 12:52:21
中田考 @HASSANKONAKATA

「縁なき衆生は度し難し」今も昔も同じこと ♬ → “@Shimazono: 唯一の超越者に照らした自己と多様な他者から現れる自己。後者が重い現代。@yuumatan 他者の認識に入り込むことは、すなわち、自らを学んでいる… → 宗教者など要らないというだけの話..”

2011-06-20 13:32:13
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Shimazono これは別の言い方をすれば、ケアする側の経験と学びの不足や偏りが、他者の世界への侵襲性を高め、害を及ぼす事につながるという事です。相手にダメージがある時は一層「他者」を修行や布教の叩き台にすることがあってはならず、なにより宗教者の自己満足は批判されるべきです。

2011-06-20 16:18:05
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Shimazono 会でも発言しましたが、だからこそ慎重であるべきかと。こうした場合の傾向として、人は利点の方に目が奪われがちですが、リスクの方も等しく提示される事がまずは最低限必要です。 QT: 当事者のニーズにそう実践...宗教そのものの変容...現代人の精神文化に重い意味

2011-06-20 18:20:14
縮限 @contractio

スピリチュアル・ケア vs 宗教的ケア

2011-06-20 19:46:35
金子良事 @ryojikaneko

あ、それ一応、意味が違うらしいです。宗教的ケアは上から、スピリチュアル・ケアは対象者に寄り添う形、というイメージと昨日、うかがいました。 QT @contractio: スピリチュアル・ケア vs 宗教的ケア

2011-06-20 19:50:57
金子良事 @ryojikaneko

@contractio 宗援連で報告があったんですよ。お医者さんの方もいらしていて、死については医者はやっぱりノウハウが足りないと仰ってました。連携が出来てないとも。報告した方は、宗教者は上から言ってみんな失敗して追い返されたから、反省して寄り添うべし(大意)とのご意見でした。

2011-06-20 19:55:05
金子良事 @ryojikaneko

@contractio なんかよく失敗するみたいですよ。というか、同じ人かもしれませんw 書いたのは永山さんですか?

2011-06-20 20:01:33
縮限 @contractio

@ryojikaneko コメントは控えますが、参照されているのは 窪寺俊之(2000)「宗教的ケアと日本のホスピス」『神学研究』47 というやつです。

2011-06-20 20:04:00
金子良事 @ryojikaneko

@contractio ありがとうございます。別の人ですね。ちなみに、失敗する原因の一つにケアやカウンセリングのプロフェッショナルな訓練を受けていないことをあげてました。だから、専門職を作った方がいい、と。反対意見も出て、熱い議論が展開されました。先ほどのRTがその一端です。

2011-06-20 20:08:34
島薗進 @Shimazono

仰せの通りと思います。頑固な信念が自覚されるぐらい、芯のある歩き方をして苦しむ経験をしていることが前提ですね。@yuumatan 頑固な信念だからこそ、派手に転んで、痛みを知り、自らを変化させる基礎を有する。

2011-06-21 00:18:30
島薗進 @Shimazono

ケアによる侵襲を抑える制度枠組みが必要ですがそれでも不可避。教師と生徒・学生の関係も同様?空白をどう超えていけばよいかの問題。@yumifurusawa これは別の言い方をすれば、ケアする側の経験と学びの不足や偏りが、他者の世界への侵襲性を高め、害を及ぼす事につながるという事です

2011-06-21 00:30:32
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Shimazono 心理臨床の文脈では、これは「枠」の問題とよく言われます。つまり、いかにより安全なアリーナを確保出来るかという事です。ここで簡単に「それでも不可避」と言ってしまえるのは、その場で殴られる方の当事者ではない(またはその場の想像力がない)からだと思います。(続く)

2011-06-21 00:38:38
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Shimazono ボクシングに例えれば、リングの上でしかるべきルールに則って、選手同士で防具を付けて殴り合うのは問題ないです。しかし相手が防具も付けられない、ふらふらでひん死の状態の人の場合は?またはリング外のストリートでいきなり後ろから殴り掛かるという状況の場合は?(続く)

2011-06-21 00:41:25
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Shimazono 宗教者に限らず、援助に関わる人は全て同様ですが、特にケアの提供者側は自らがそのような状況で相手に危害を与えうるのだという意識をいつも持つべきだと思います。知識や権威は使う人や状況によってはエンパワーメントにつながると同時に、時に凶器になり得るという事です。

2011-06-21 00:46:13
金子良事 @ryojikaneko

宗援連で議論されたチャプレン制度、とりわけこの震災での運用可能性については、僕は@yumifurusawa さんと同じく慎重派。理由は、訓練の仕組みが整っていない時点で、新しいものを作ろうとするのはリスクが高過ぎるから。もし失敗して社会的信頼を失ったら、二度目は五十年先だと思う。

2011-06-21 00:48:34
So Hoshino @Hoshino_So

@yumifurusawa 谷山先生のご発表であったような宗教的ケアとスピケアは明確に分節可能なのか、また先生が考える「安全ではないアリーナ」が被災地で不意に展開されてしまったらどうするべきなのか、などいくらでも質問が思いつきます。twitter上では質問しにくい物もあります。

2011-06-21 00:48:53
So Hoshino @Hoshino_So

@yumifurusawa ケアについても含めて、また先生のお話を伺わせてください。ちなみに、2CELLOS予約しました。

2011-06-21 00:51:46
古澤 有峰 @yumifurusawa

@ryojikaneko こんばんは。アメリカの場合、100年近くかけて今の病院チャプレン制度を作って来ていますが、それでも途中様々な紆余曲折があり、また現在も難しい問題を内包しています。私も安易な導入には反対の立場です。QT: もし失敗して社会的信頼を失ったら、二度目は五十年先

2011-06-21 00:52:05
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Hoshino_So そうですね、twitterだとなかなか難しいところがありますが、お書きになった点は大事なポイントであると思います。実際、私自身はかなりのリスクがあると考えています。(ちなみに、スピケアという表現にツボりました…これはまた違うニュアンスが入りそうですねw)

2011-06-21 00:54:05
古澤 有峰 @yumifurusawa

@Hoshino_So (…共感。ただ形だけ制度を取り入れても、同じ問題が繰り返されてしまう。それは被害を受けた当事者にとっても、熱心に援助活動に取り組む宗教者・援助者にとっても悲劇です。双方にとってより善い道はないか。これを求め提示していくのが、私の研究のレゾンデートルです。)

2011-06-21 03:09:38