整備兵氏による『日露戦争の戦役統計を読む』

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名無し整備兵 @seibihei

日露戦争のちょっとした話。大正初めに、陣中日誌等を資料とした「日露戦争の戦役統計」というデータ集がまとめられている。

2011-06-22 01:02:21
名無し整備兵 @seibihei

これによると、突撃時に正面戦力の8%が損耗すると攻撃衝力が減衰し、12%が損耗すると突撃は頓挫している。

2011-06-22 01:03:54
名無し整備兵 @seibihei

これを元に、大正5年に参謀本部で編纂された「戦史及び戦術の研究」では、以下のような記述になっている。

2011-06-22 01:04:57
名無し整備兵 @seibihei

「日露戦争においては突撃成功の戦例極めて少なきをもって・・・敵前4~500mもしくはそれ以上の距離より一挙に実施したる突撃は悉く中途において失敗し、夜間敵前至近の距離に迫り翌日我が砲兵の為敵兵萎縮しある機会を利用したる場合のみ成功せり」

2011-06-22 01:08:37
名無し整備兵 @seibihei

「蓋し同戦役のごとく不十分なる砲兵の支援の下に昼間遠距離よりする歩兵の近接は、南山の如く敵兵微弱なるか或いは地形特別に有利なる場合のみに進展し、しかもこの接敵行動すらその代償として我には多大の損害を要求」

2011-06-22 01:11:43
名無し整備兵 @seibihei

ここで「敵兵微弱」と書かれた南山では、wikipediaでは日本側38500人の参加兵力のうち死傷者約6200名。ロシア側は参加兵力17000人で死傷者約1400人

2011-06-22 01:17:32
名無し整備兵 @seibihei

この前の鴨緑江会戦で1000人程度の死傷者を出した黒木第1軍司令官は、天皇に「多大な死傷者を出して申し訳ない」と奉答している。日露戦争での死傷者の多さは、軍人を含めた当時の人にとっても衝撃だった

2011-06-22 01:20:38
名無し整備兵 @seibihei

従軍者が要路にいたため戦史の研究がはばかられた、というのはよく言われる。しかし、大正の前半頃は、意外と冷静な研究が行われていたし、1次大戦の戦訓も積極的に収集している。

2011-06-22 01:31:38
名無し整備兵 @seibihei

次はいつになるか未定ながら、日本陸軍による合理的な戦術の実例と、その挫折についてつぶやいてみたい

2011-06-22 01:33:32