【閑話休題】「中の人」の過去(2004年ごろのおはなし)

そもそも中の人はアカデミズムでご飯を食べてません。では彼はなぜ曲がりなりにも学問的なことをやろうとするのか? 彼はなぜ何かを残そうとするのか? 彼は過去なにをしていたのか? 今回はそんなお話です。
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あれ? 何か出てきましたよ?

ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「押入れの段ボールにえらく古い紙がファイリングされて入っていたんですが、なんですか、これ?」 中の人「ああ、それを見つけたか。本来なら俺が持っているべきではないものだ。だが本来の持ち主がただの藁半紙だと思ってるのか、未だに返還請求が来ない。来たら喜んでお返しするがな」 pic.twitter.com/KmX3bYk1QQ

2020-06-03 09:30:32
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ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「つまり?」 中の人「さっきのは裏面だ。表面見てみ」 独語独文「これは・・・押印が『東北大学文学部長金倉圓照』とありますね。なんでこんなものがうちに?」 中の人「誰宛になってる?」 独語独文「柴田助教様、とありますね。どなたです?」 pic.twitter.com/aGdBgdU2Tg

2020-06-03 09:30:36
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ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「いつの日付で交付されたものだ?」 独語独文「昭和二十五年? 1950年ですか」 中の人「そうだ。これは東北大学の文学部が1950年の12月12日に、教員に宛てた冬季休暇のお知らせだ。そしてこれを受け取ったのは戦後の東北大文学部を切り拓いた一人、柴田治三郎先生ということになる」

2020-06-03 09:30:37
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「おやまあ。これだけではそう言い切れないのでは?」 中の人「おう。そうだな。では何処でどうやって見つかったかから話そう。裏に書かれているものが何かという話もな」 独語独文「お聞きしましょう。あなたの話が真実にせよ論拠に欠けているにせよ、聞いておくべきことでしょうから」

2020-06-03 09:30:37

中の人の昔話、はじまりはじまり

ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「この紙は2004年7月2日、東北大学ドイツ文学研究室で発見された。正確に言えば、その日俺が文学部附属図書館の閉架図書から借りてきたカール・レーヴィット著の『Von Hegel bis Nietzsche』という本の478ページと479ページの間に挟まってたのを一つ上の学年の先輩が見つけた」

2020-06-03 09:30:38
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「この時点ですこし記憶が曖昧なのでは? 検索をかけましたが『Von Hegel zu Nietzsche』というタイトルのはずですよ」 中の人「そりゃ1950年代に入ってから出た第二版のタイトルだ。初版は1940年にこのタイトルで出てて、内容が部分的に違う」 独語独文「細かい話ですね。それで?」

2020-06-03 09:30:38
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「この初版本だが、東北大学文学部附属図書館には二冊収蔵されている。一冊は教官の記念文庫である石津文庫に。これはレーヴィットのサインが入っているが、事故により欠損している」 独語独文「何があったんです?」 中の人「俺が借り出した時にカウンターの人が上から貸出表を糊付けした」

2020-06-03 09:30:39
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「なんてことを・・・」 中の人「いやもう、あの時は腹を切って詫びようかと本気で考えた。60年も経つと著者のサインは落書きか何かに見えてしまうらしいが、俺にとってはそれじゃ済まされない話だったからな」 独語独文「そう、著者について。そもそもレーヴィットって誰ですか?」

2020-06-03 09:30:39

カール・レーヴィット(Karl Löwith)って誰?

ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「ああ、そこからか」 独語独文「そこからです」 中の人「そうか。レーヴィットはハイデガーの弟子だった人だが、政治的な問題や哲学のスタンスの違いからたもとを分かった人だ。本人はドイツ人という考えでいたのだが、ナチスによりユダヤ系とされてしまってな。亡命して日本に来た人だ」

2020-06-03 09:30:40
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「1930年代のことですね」 中の人「そう。世界中がもめていて、世界中で悲劇が起こっていた時代だ。日本に来た経緯は『Mein Leben in Deutschland vor und nach 1933』という本に書かれている。レーヴィットの半生記だ」 独語独文「その人は日本で何をやっていたんです?」

2020-06-03 09:30:40
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「京都大に九鬼周造という哲学者がいてだな・・・」 独語独文「ああ、『いきの構造』の人ですね」 中の人「その人の助力を得て日本で教えることになり、東北大で教鞭を執ることになった。当時の教え子には先に挙げた柴田治三郎先生やキェルケゴールの翻訳で知られる斎藤信治先生がいた」

2020-06-03 09:30:41
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「ここまでの話がややつながりにくいのですが」 中の人「そうか。では一旦整理しよう。レーヴィットはハイデガーの弟子だった人。東北大学で教鞭を執った。その弟子は柴田治三郎や斎藤信治。時代は1930年代のこと。一旦これだけ覚えておいてくれ」

2020-06-03 09:30:41
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「そして、東北大の図書館には『Von Hegel bis Nietzsche』が二冊あり、一冊はサイン本。だがもう一冊の方が遥かに大切な資料だ、と言っておく。理由はこれから話す」 独語独文「わかりました。休憩にしますか?」 中の人「おう。いまお茶を淹れる。すこし休むぞ」

2020-06-03 09:30:41

この文書と東北大にある資料の関連性

ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「さて、お茶もいただいたし続けるか。さっきの藁半紙だが、裏面に何が書かれているか説明していなかったな」 独語独文「そうですね。あれは何です?」 中の人「レーヴィットはナチスによりユダヤ系と認定されてしまったという話をさっきしたよな?」 独語独文「ええ。大変だったでしょうね」

2020-06-03 10:12:30
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「大変だとも。知っての通りナチスの時代はユダヤ系とされた人はドイツ国内で出版すらできなかったからな」 独語独文「哲学者にとっては危機的な状況ですね」 中の人「そこでなのだが、レーヴィットの論文の中でも珍しい部類かと思うが、フランスで書かれたものがある」

2020-06-03 10:12:31
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「当時フランスの哲学誌にRecherche philosophique というのがあってな。第4号(1934年から35年)と第5号(1935年から36年)の二号に渡ってレーヴィットの論文が掲載された。タイトルをL’achèvement de la philosophie classique per Hegel et sa dissolution chez Marx et Kierkegaard という」

2020-06-03 10:12:31
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「えらく長いタイトルですね」 中の人「そうだ。だから日本で翻訳が発表された時にタイトルは略称になった。『ヘーゲル・マルクス・キェルケゴール』というタイトルで未来社から出ている』 独語独文「おそらく絶版ですよね? どなたが訳されたのです?」 中の人「柴田治三郎先生だよ」

2020-06-03 10:12:32
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「さてこのRecherche philosophique という雑誌の該当する巻なんだが、東北大学の図書館の別館に収蔵されてたりする。さっきの藁半紙の裏面はこのレーヴィットの論文の翻訳の下書きだ。該当箇所を見つけたんだが、残念ながら資料の原本もコピーも手元にはない。いますぐには立証する手段がない」

2020-06-03 10:17:37
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「では、結局あなたの妄想話なのでは?」 中の人「そう言われりゃそれまでだな。誰かが東北大の図書館を訪ねて、俺が今話した内容を見てくれない限りは。ところで、別館の哲学誌なんだが、すこし面白い書き込みがあってな」 独語独文「左側に『ヘーゲル-ニーチェの69ページ』とありますね」 pic.twitter.com/OEmsiYgyIv

2020-06-03 10:23:16
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ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

中の人「そう。レーヴィットの著作の特徴の一つとして、『何度も同じ話をする』という点が挙げられる」 独語独文「それで、この書き込みがなにか?」 中の人「収蔵されている初版本は二冊あると言ったな? その本にはもう片方の69ページにこことの類似性が書き込まれている」

2020-06-03 10:31:54
ドイツ語学ドイツ文学たん @germanist_tan

独語独文「誰か学生が書き込んだのかもしれませんよ?」 中の人「俺もそう思った。しかし、その本と工学部に収蔵されている書き込みがある第二版、岩波文庫から出ている柴田訳の『ヘーゲルからニーチェへ』の注釈、版による差の解説を読んで確信した。書いたのは柴田先生ご自身の可能性が高い」

2020-06-03 10:31:55