ウイルス作成罪によせて ~ 物理のユニバーサリティと情報のヒエラルキーとカントの認識論

この世界は、なぜか物理法則に従いエネルギーが保存する。これは逆に言えば、結果を出すためには相当な行為をしなくてはいけない、ということだ。仮に、道具を使うとしても、エネルギーを解放するための機構の引き金を引く必要があり、少なくとも、この機構がないと勝手に安定点に落ちるから自壊する。
2011-06-27 01:06:51
現実の世界には、ある意味での等価交換をすることが要求されることに加え、階層が独立する性質がある。たとえば、原子分子の話をしているときに、原子核の中身についてはあまり問題にならない。つまり、細かい構造を適当に近似しても、結果として問題なく処理ができるのだ。
2011-06-27 01:06:57
階層独立性のない物理現象は知られている。たとえば、乱流がそうだ。乱流が難しいのは、小さなスケールの構造が大きなスケールと相互に影響を与えあうからであり、下の階層の小さな変化が上の階層に大きく影響する。サッカーの無回転シュート、あれは蹴った本人ですらどこへ飛んでいくか分からない。
2011-06-27 01:07:02
民法は、これも基本的には意思という引き金の非常にはっきりとしている世界だし、ほとんどの分野はそうだ。ところが、情報技術の世界は、このあたりの話が大きく違うように思える。まず、計算することにはボルツマン定数かける温度レベルの非常に小さなエネルギーしかいらない。
2011-06-27 01:07:07
また、情報技術の世界にも階層性はある。それは多段階であり、下の階層の小さな変化が上の階層を大きく変えうるものだ。しかし、乱流と異なる点は、この下の階層を正確に制御することによって、上の階層を意図通りに制御することができる点だ。この二つが、日常の世界とは大きく異なる世界を作り出す。
2011-06-27 01:07:16
以前作った「大根と石鹸を買って家に帰る途中、クラクションがなったので手足の生えた大根が石鹸を投げ、石鹸から噴出した水が歩行者を溺死させた。」というたとえは決して極端ではなく、エネルギーが問題でなく階層性が破れている世界は実際にこれが起きるのだ。実は私は買い物袋の原料を疑っている。
2011-06-27 01:07:40
不正指令電磁的記録作成罪が、なぜ気色悪く感じられるかといえば、ここだと思う。刑法は階層のないのっぺりとした世界である。これは、一番上の階層しか見えていないためにこうなっている。しかし、情報技術では、ある一番上の階層の住人に対して影響を与える手段は様々だ。
2011-06-27 01:07:46
刑法がのっぺりとした世界であること、それ自体はそれなりの合理性がある。刑法は、古典論的な現象しか扱ってこなかったことに加え、自由意志に対する信頼があったのであろう。刑法は違法性と責任に興味のある世界であるから意識が重要となり、法曹と主体の能力差があまりなければ、うまく働く。
2011-06-27 01:07:58
情報技術の世界では、一つ下の階層に潜れば、それはただの「である」世界であるから、それ自体に善悪は考えにくい。RFC 3514 の evil bit は象徴的であろう。結局 evil かどうかは一番上の階層の話なのであって、下の方の階層だけをみたからといって、それはよく分からない。
2011-06-27 01:08:09
だから、ぐちゃぐちゃの階層性の中を潜ったり浮かんだりして到達できる一番上の階層のどこかに害意を持った住人がいる、あるいはいないかもしれない。このヒュームが泣いて喜びそうな因果関係の世界を刑法上扱うには一番上の階層についてのみ議論をしていては、あまり意味が無いように思える。
2011-06-27 01:08:17
たとえば、現実の世界で爪楊枝を作っても、それが殺人に使われるとは思わないのは小さくて軽くて柔らかいからである。しかしながら、エネルギーが重要でない世界では、条件さえ揃えば、爪楊枝は奇声を上げ、巨大化し、高速で飛び回る。階層性のため、その条件もなんら関係が見いだせないようなものだ。
2011-06-27 01:08:22
常識的な世界に住む人は、これだけいっても何を言っているかわからないであろうから、もう少し述べておこう。普通に考えれば、おそらく爪楊枝が巨大化したのは誰かが魔法をかけたからだろうと思うだろうが、それがそもそもエネルギーの重要性と階層性のある世界の発想なのだ。
2011-06-27 01:08:27
魔法の世界では、すべての物が意思を持って、しかも魔法を使うかのように振舞うので、驚くような条件で驚くようなことが起きる。逆に、人がこの世界で犯罪を計画するときには、さまざまな物の意思に逆らわないように行う。この物の数は莫大で、これに指示を出している人間の数もたいてい莫大だ。
2011-06-27 01:08:32
結局のところ、現在の判例の立場に近いとされる因果関係論である危険の現実化で情報技術の因果関係論を処理しようとするには無理があり、多少の拡張が必要とされているように思われる。もっとも、この拡張が理論自体か理論の使用者に対するものなのかは問わない。
2011-06-27 01:08:43
この話を考えていると、広島市暴走族追放条例事件を思い出される。広島市長が数学者であったために、暴走族を含む一般化暴走族を規制しようとしたところ、過度の広汎性の法理と漠然性の法理によりこの条例は違憲ではないかと最高裁まで争われ、13:2で、合憲限定解釈により合憲とされた事例である。
2011-06-27 01:08:48
しかしまあ、余談ではあるが、数学において定理の適用範囲が広いことでその定理の評価が上がることはあっても下がることはない、それに対して適用範囲の広すぎる条例が無効になりうるとは。いやはや、異文化同士とはかくも分かり合えないものである。
2011-06-27 01:08:53
情報技術における犯罪について、どれほど精緻に議論をした気になったとしても、情報技術の世界がエネルギーと階層性という点で日常と大きく異なることを理解しないままでは、法曹界の人々にそのことが意識できるできないはともかく、漠然性の法理に触れる代物しか出てこない。
2011-06-27 01:09:02
コペルニクス的転回という言葉が象徴するように、因果関係もまた物自体のもつ性質ではない。物理学が20世紀初頭から爆発的に発展し、形而上学に対して再び冬の時代をもたらしたのは、人の持っている先天的な形式と概念を超えた何かを扱いだしたからではなかったか。
2011-06-27 01:09:06
おそらく、形式論理、ここでは形式主義に裏打ちされた数学程度の意味であるが、これは記号操作による現象の認識を許し、後天的な形式と概念を生み出した。神経回路が現象を認識できるならば、形式論理になぜできないといえようか。自然科学は、人ではなく人の乗り込んだ記号操作系がこれを行っている。
2011-06-27 01:09:36
人が神経回路によって認識している現象と、人の乗り込んだ記号操作系が形式論理によって認識している現象は、異なるものだ。たしかに、自然言語で自然科学について話すことがあるが、あれは記号操作系が現象を認識する様子を自然言語で説明しているものである。記号操作は自然言語で扱えるからである。
2011-06-27 01:09:42
たとえば、物理学では先後関係は扱うが、因果関係を扱う必要はない。少なくとも、法律論でいう因果関係に相当するものは扱わない。つまり、物理の因果関係と呼ぶものはこの宇宙が現に熱死していないことによる初期条件の特殊性からくるものであり、他の可能世界との比較をするものではない。
2011-06-27 01:09:49
自然科学の発展により、新たな現象が扱われるようになっても、それと身の回りで直接対面する機会はなかった。技術が介在し、ブラックボックスに閉じ込めることで、先天的な形式と概念に扱えるようにしていたからだ。そして、この前提の崩れる身近な形態が、情報技術の発達と生活への応用であろう。
2011-06-27 01:09:53
近年の人工知能の発展は目覚しい。将棋で女流王将を破ったこともあるが、米国のクイズ番組で歴代クイズ王に勝ったことは将来象徴的な出来事として歴史に刻まれるであろう。自然言語処理はさらなる発展が見込まれており、動物よりも高度な意思疎通のできる機械の誕生を予感させる。
2011-06-27 01:09:58
その一方で、アプリオリでない何かが情報技術から現れ、その時に刑法学は根本的な修正を迫られるであろう。それは犯罪行為の主体が自然人であるか、といったことを指しているのではない。科学と技術の発展により、人には扱えない形式と概念が日常に持ち込まれることで、認識論が根底から覆るのである。
2011-06-27 01:10:20
現在の裁判では、裁判所が科学を知らなくてもそこそこ妥当な結論が引き出せており、それは本当に驚異だと思っている。その妥当性がどのような形で崩れるのか、もしかすると、我々はそれをこの目で見ることができるかもしれない。その日を心待ちにしながら、私は筆を置くことにしよう。
2011-06-27 01:10:29