梅原彩香 さんによるカオスラウンジ宣言の考察

梅原彩香さんとmoriokaさんによるカオスラウンジ宣言についての考察です 「カオス*ラウンジ宣言」http://chaosxlounge.com/info
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@umeume1

…けれども、その傾向が厳密に過剰になって行くと、全体の創造誠意、という所ではなかなか苦しくなって行く。どこまでが引用で、どこからが盗用かという話もそうだし、オリジナルを追求しすぎると、かえって優れたオリジナルは生まれにくくなる、というのもそう。

2011-06-29 01:12:55
@umeume1

カオスラのいうところの、0年代以降の、アート畑の閉塞感、って、一つにはその傾向が極まって、どん詰まりに近かった、てのもたしかだ。とうじ芸大の学生だった頃の自分を振り返っても。

2011-06-29 01:15:14
@umeume1

その打開策として、かれらが、匿名性の海の中で、少しずつ違うが似たような、膨大なコンテンツが生まれて行く、ネットの中の現象に着目した直感は、ある程度正しいとおもう。

2011-06-29 01:17:41
@umeume1

作る、ということの衝動には、どこか、個人としての才能や能力だけには還元出来ないところがある。わたしは、梅原彩香、という署名を入れた作品を作ることにいつもどこか苦しさを感じる。何かが貧しくなるような。

2011-06-29 01:20:38
@umeume1

逆に言うと、個人としての作家なんてものが存在しなかった時代、例えば、美的な創造物というのは神に捧げる装飾や衣装で、特にそこに作り手が名前をのこさなかったころ。作り手はは、今のアーティスト、なんてものより、遥かに情熱を込めてものを作っていたような気がするのだ。

2011-06-29 01:23:31
@umeume1

こういう例もあるかな。どうも、美術界隈のわたしらが、『これ以上どんなオリジナルが作れるの!』と言う閉塞感でウンウン言っていた頃、オタクやら腐女子の友達は、匿名性の場や、二次創作の場で、なんだか、遥かに生き生きと、お奥を生み出していたんだわ。今もね。

2011-06-29 01:26:27
@umeume1

オリジナル、や、個としての作家の内面性に依存したアート、みたいな思い込みを捨てることは、現状への起爆剤となる。そのもくろみは確かに正しい。ただし彼らの甘かった所は、その結果をコントロールする、出来るみたいな意識を捨てられなかったことではないかな。

2011-06-29 01:29:40
@umeume1

創造の過程を生成するアーキテクチャ、とみなし、自己もその末端と言うか、一部になる、というアイディアは、突き詰めれば、なかなか侮れない深淵に向き合うことになると思う。

2011-06-29 01:31:30
@umeume1

私は作るけれども、作るのは私ではない。私が作るものも、私が作るということも、私のものではない、というような。

2011-06-29 01:32:50
@umeume1

きっと論点がずれてきているけど、、、そこで口を開けているものは、無意識、と呼ばれるものに似ているんじゃないかな。

2011-06-29 01:34:15
@umeume1

人は、個としての自分に留まりつつ、自分の無意識を見ることは出来ない。けれど、私、というものを保ちつつ、その私、でないもの、のほうが遥かに大きく、私を支配している、ということに気付くのはなかなか怖いことだ。

2011-06-29 01:37:39
@umeume1

彼らが、真に自身をアーキテクチャ的なものと見なし、そのように振る舞うなら、その試みは、なかなか面白いものを開いたかも知れない。…どんなことになるのかは、ちょっと想像が及ばないけれど。

2011-06-29 01:40:49
morioka @morioka_11

@umeume1 こんばんは。はじめまして。ずっと興味深く読ませていただいていました。が、最後で無意識を持ち出されたのでコケてしまいました。w そう言ってしまえば、それは今始まったことではなく、遠くシュールリアリズムの時代から問題にされていたことではないでしょうか?

2011-06-29 01:39:46
@umeume1

@unseal_art ははあ、すいません(笑)ご期待に添えるほど幅がなくて。とりあえずぐるぐる独り言ついでに整理してたんだけど。

2011-06-29 01:42:15
@umeume1

@unseal_art 確かに、無意識ってのは安易か。でも他に何が言えるかなあ。

2011-06-29 01:43:17
morioka @morioka_11

@umeume1 もしカオスラの人たちがネットの時代の無意識に導かれるままに、匿名の、集合的な制作活動にとどまり、それで作家性を乗り越えていこうとしているなら、近代のアートの枠を超えることになるでしょうが、果たしてそれは可能かがポイントになると思います

2011-06-29 01:44:20
@umeume1

@unseal_art アーキテクチャって言葉で、彼らが何か面白いものを外そうとしてた、のは確かだと思うんです。だけど、結局、ちょっと外してすぐ戻しちゃったみたいな感じがする。それは何かなあ、と。

2011-06-29 01:45:00
morioka @morioka_11

@umeume1 うーん、結局、めざしたものとリアルな自分たちの落差ではないでしょうか? リアルとは作家性、作品性、マーケットということですし、著作権も絡んできます

2011-06-29 01:47:04
@umeume1

@unseal_art ええと、それこそ、シュルレアリスムの頃と同じことが壁になってくると思うんですが、無意識、そのものと、無意識的に見えるもの、装えるものって違いますよね。

2011-06-29 01:49:19
morioka @morioka_11

めざしたものは、ある意味、リアルでは実現不可能なものであり、商品化を拒むものだったと思います。集合的な制作物の総体です。もちろんインスタレーションとしてそのアイデアを商品化することは不可能ではありませんが極めて難しい

2011-06-29 01:50:51
@umeume1

@unseal_art たぶんかれらは、何か面白いものを見ていたし、それが、いまのアートってもんの閉塞感の起爆剤になり得たことは確かだと思うんです。

2011-06-29 01:50:59
@umeume1

@unseal_art そう、経済的な要素と、創造行為ってやつを上手くわけておくのてすごく難しい。現行の貨幣経済のもとでは。

2011-06-29 01:52:40
morioka @morioka_11

@umeume1 起爆剤については疑問です。実際に彼らの展覧会を見ていますが、私はほとんど何も感じませんでした。ネット上のキャラたちが乱舞しているだけで、キャラに関心がない人たちはたぶん何の印象も持てなかったでしょう

2011-06-29 01:53:57
@umeume1

@unseal_art そうか、私は、彼らに関心を持ったのがつい昨日で、今はただ、宣言文のアーキテクチャ、というアイディアについて考えているんです。写真で見た限り、私もあまり作品自体に動かされるものは感じません。

2011-06-29 01:56:00
@umeume1

ま、でも今となっては実際見ておきたいな。

2011-06-29 01:56:23