小説と国家 国語 リンク集

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おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

先日、J. Goodyの記事を読んで、もともとキリスト教もイスラムも、宗教的主題に基づかないフィクションを取り締まる世界だったということに気づいた。「本当にあったこと」ではない架空話に人が夢中になることは問題視されたようだ scienceshumaines.com/la-peur-des-re…

2015-01-24 18:42:00
リンク Sciences Humaines La peur des représentations Le rejet de l'image, celui du th鰾tre et de toute fiction partent d'un m麥e regard soup輟nneux jet sur toutes les formes de repr駸entations, qu'elles soient sacr馥s ou profanes.
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka

キリスト教圏の場合はルネサンス期からどんどん世俗のことを扱った演劇(つまりはいわゆるフィクション)が増えていき、18世紀には「小説」も成立するが、教会は19世紀頃までそうしたものに目くじらを立て続けたという

2015-01-24 18:43:12
國學院大學サブカルチャー研究会 @kokugaku_subcul

國學院大学サブカルチャー研究会 : 狐さんもふもふしたい聊斎志異 blog.livedoor.jp/kokugakuinsc/a…   ブログ更新っ!

2013-07-29 14:08:03
リンク 國學院大学サブカルチャー研究会 狐さんもふもふしたい聊斎志異 : 國學院大学サブカルチャー研究会 你好!雪理です。夏といえば怪談ですね!そこで中国の怪異小説集、聊斎志異の布教をするべく解説をさせていただきます。中国文学における小説の地位中国の歴史において小説とはその名が表すとうり、大道(経典や政治、歴史)に比べ得るものが少ない、すなわち小道とされ

国民国家誕生と小説

リンク glim-re.repo.nii.ac.jp WEKO - 学習院学術成果リポジトリ

「『グリム童話』は五〇年近くの間に何度も書き換えが行われ、次第に変質していった。その過程でグリム兄弟が擦り込んだのは、当時の市民階級に期待された倫理観や家庭像であった、とする。『グリム童話』は国民国家を形成するための「近代メルヘン」を創造したので、広く諸外国で迎えられたのだとも述べる。」
http://web1.kcn.jp/takehara-folklore/shohyou1.htm

「『クオーレ』とは1886年にデ・アミーチスの著した児童文学のベストセラーで、『母をたずねて三千里』などその中のエピソードは日本でもこれまで何度かアニメの題材にされてきました。

長らく統一国家が存在せず、遅れて近代化の流れに乗った19世紀のイタリアは、国民国家形成のための新しい価値観の創出ということが至上命題としてありました。それは国を統合する愛国心、自己犠牲の精神、勇気、思いやりといったものでしたが、そのような価値感を称揚する上で、個の尊厳というものが当然のように犠牲にされてきたのでした。」
http://zatsuzatsukyoyasai.blogspot.com/2010/05/blog-post_24.html?m=1

国民国家と国語 小説

リンク 国立国会図書館 本の万華鏡 第150回常設展示 近代日本と「国語」 「本の万華鏡」では、様々なテーマに沿って、皆さまを国立国会図書館の蔵書の世界へと誘います。
表現者クライテリオン(公式) @h_criterion

“共通の言葉が地域や階級を超えて使われるようになることで国民意識が育ち、国家事業の基礎となった”/【松林薫】「日本語」はどのように作られたのか | 表現者クライテリオン the-criterion.jp/mail-magazine/…

2019-01-26 19:29:51
リンク 表現者クライテリオン 【松林薫】「日本語」はどのように作られたのか | 表現者クライテリオン 私たちは日本語で会話したり、読み書きしたりします。そうした言葉は空気のように存在するので、遠い昔に生まれ、徐々に姿を変えながら現在に引き継がれてきた「自然なもの」という印象を受けがちです。 しかし、現在使われている日本語(この文章もそうです)は、極めて人為的に「開発」されたものです。明治維新後、国民国家を急いで建設するため、言語学者や小説家、ジャーナリストなどが編み出し、学校やメディアを通じて広めたものなのです。 その事実は、明治から大正にかけて新聞に掲載された記事と、同じ紙面に連載された連載小説の変遷を 12
早川タダノリ @hayakawa2600

イ・ ヨンスク先生のインタビュー。岩波現代文庫におさめられている『「国語」という思想――近代日本の言語認識』はおもしろいよ。:国語とは何か【前編】 | イ・ ヨンスク(李妍淑) | トイビト toibito.com/interview/soci… #トイビト

2020-02-13 11:59:31
リンク トイビト 国語とは何か【前編】 | イ・ ヨンスク(李妍淑) | トイビト 日本で育った多くの人にとって、当たり前の存在である国語。しかし、この「国語」という概念は、日本が近代化を果たした明治期に、ヨーロッパの言語学の理論に基づいて作られたものだそうです。国語はなぜ、どのようにして生まれ、そして何をもたらしてきたのでしょうか。近代日本をフィールドに研究を進める社会言語学者 イ・ヨンスク先生のインタビュー前編です。 6 users 900
リンク トイビト 国語とは何か【後編】 | イ・ ヨンスク(李妍淑) | トイビト 国民を統合することを目的として、明治期につくられた「国語」。日本の植民地政策に伴い、朝鮮をはじめとした東アジア各地ではその使用が強制されることになります。私たちにとって国語とは、そしてことばとは一体どのようなものなのでしょうか。一橋大学大学院言語社会研究科 イ・ヨンスク教授へのインタビュー後編です。 5 users 453
リンク 揺らぎの国民文学 - constructive monologue 揺らぎの国民文学 - constructive monologue 先の第138回芥川賞の候補者が明らかになった時点で、メディアの注目は、受賞した川上未映子よりも中国生まれの楊逸による日本語小説が候補に挙がった点に集まった。また選考結果を伝える報道でも、川上に次ぐスペースが割かれたのは楊逸が受賞できなかった理由に対してであった。このようなメディアによる焦点の当て方あるいは話題の構築は、「日本人=日本語=日本文学」という図式が無自覚的に想定されていることを示唆している。数多の文学賞の中でもっとも注目を集め、いわば「国民文学」の象徴的な位置を占めている意味を有している芥川賞の 1 user
maruya_essai @maruyaessai

丸谷 ベネディクト・アンダーソンが『想像の共同体』のなかで、近代の国民国家の成立は、十八世紀にヨーロッパで開花した小説と新聞が大きく寄与している、といってますね。近代小説が近代国家をつくった。この考え方は小説史にとって参考になるものだと思うんです。『文学のレッスン』

2021-01-22 18:06:03

「近代の国民国家の成立の歴史からも明らかなように、近代国家の成立と、「国語」の成立が不可分であるとしたら、「国語」を形成するために大きく寄与したのは文学である。ナショナリズム論の古典中の古典となったベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』において強調されるのは、国民(ネイション)形成における出版資本主義の重要性であった。小説や新聞の流通によって「口語俗語」が「国語」として形成され、それを読む相互に無関係な多数の人々が、地縁的・ 血縁的なつながりを越えたある一つの共同体に属しているという意識を共有するよう になる。自分たちのことを「私たち」と言えるような人々の集=国民を創出するために、近代の国家は何よりも共通の言語を必要としたのである」

http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/daigaku/pdf/gengo5-1.pdf

リンク KAKEN 表象の政治:十九世紀末日本文芸における国民国家的表象の生成 前年度の研究を基に英文モノグラフの草稿作成を主とし、新たに下記のトピックを研究した。1.明治30年代小説が前景化した「社会」「家庭」とそれをめぐるドラマを国民国家生成に関連づけ、そこに固有の主体形成に関わる物語として分析した。近代文学史的枠を外し、尾崎紅葉、広津柳浪、川上眉山等、代表的文壇作家の小説を同じメディア空間に現れた、徳富蘆花、菊地幽芳、村井弦斎等の非文壇的「流行」小説と対比し、関連づけた。特に、弦斎の『日之出島』、蘆花の『黒潮』に注目した。2.20年代「美文」と近代紀行文成立との関係を、表象とし
リンク CiNii Articles CiNii 論文 - 日露戦争後の鴎外・森林太郎における「国家」と「文学」--明治期における「文学」概念の形成過程をめぐる国民国家論(3) 日露戦争後の鴎外・森林太郎における「国家」と「文学」--明治期における「文学」概念の形成過程をめぐる国民国家論(3) 大本 達也 , Tatsuya OHMOTO , 鈴鹿国際大学 鈴鹿国際大学紀要 (12), 175-183, 2005

「近代国民国家は白紙の状態から生まれるのではない。それぞれ、世界帝国という“地”の上に形成されるのである。その場合、文学の役割は極めて大きかった。それは、漢字やラテン語やアラビア語といった世界帝国の文字言語に対して、新たな文字言語(言文一致)を形成するものである。しかし、一度国民国家が確立されると、「近代文学」の役割は終わる。われわれは今、それを目撃しつつある。それは、国民国家を越えて、ヨーロッパ共同体のような「世界帝国」の新版が形成される過程に対応するものである。その意味で、「近代文学」は終わる。しかし、それは文学が終わることを意味しない。あるいは、批判的な思考と想像力が終わることを意味しない。今後に、それがもっと必要になるだろう。」

トルコ語版『日本近代文学の起源』への序文
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-37.html