人参があるなら馬参や狼参そして竜参、神参もあるはず3(#えるどれ)
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ついにウンナの尖歯が、十重二十重の根の守りを貫き、ウィスティエの細首をとらえ、深くえぐった。 「ぐがああ!」 たちまちたおやな根菜は崩れ、砕け散る。 「ぐぐぐ…獲ったり」 しかし背後にはそっくりの姿がもう一つあらわれ、兎参を捕えたのと同じ網で耳長の獣をからめとった。
2020-08-07 21:28:16何たることか。 死力を尽くした奥義の応酬と思えたのは、魔女によるめくらましでしかなかった。幻獣の注意を大技に引き付けておき、その間に己そっくりの囮の人参、そう、いわば囮参(がじん)を生やしていたのだ。
2020-08-07 21:30:15「さあ…吸い尽くしてくれよう…あまたの人参を食らい肥え太った兎…さぞかしたっぷりと養分を蓄えておようが」 人参娘は、空しくもがく雌兎ににじり寄った。 「待たれよ!ウィスト!どうか」 「くどい!腰抜けはそこで見ておれ!」
2020-08-07 21:32:13かきくどく黄の肌の少年を一蹴すると、闇色の少女は真紅の獣の耳をいらうようにそっと指でなぞった。 「憎いか…おぞましいか…人参を食らう兎が…逆に人参に吸い殺される…ぐぐぐ…ふふふふ…ほほほほ!」 夜を凝らせたような裸身がのけぞり、また勝ち誇った笑いを響かせる。
2020-08-07 21:34:33だが刹那、双眸が宙の一点に焦点を結んだ。 白い影が一つ、ぎくしゃくとした浮き沈みしながら宙を過ってくる。小さなからくりじかけの天馬だ。左右の翼がどこか角度を違えていて、羽搏き方もいびつだ。 「ヒカリノカゼ…なぜ…」 機械の駒は慕わしげにウィスティエの側までやってくると、
2020-08-07 21:36:48痛々しい軋みをさせながら妖精の乙女のうわべに変身した。そうして足をひきずりながら足元まで近づく。 「もしや…力づくで檻を…何という無茶を…霊気なきおもちゃが…いや…そなたは…ああ…ごめんね…ヒカリノカゼ」 暗い膚に尖り耳の娘はしゃがんで大切な人形を抱き上げた。
2020-08-07 21:39:11「ひとりぼっちにして…ごめん…」 ウィスティエが頬ずりすると、ヒカリノカゼも嬉しそうに頬ずりを返す。 「ウィスト…?」 ダングがぽつりと名を呼ぶ。 「ダング…さん」 すると少女は少年を省みた。
2020-08-07 21:40:47「魔参の力を…引き渡されよ」 「あ、はぇ…」 糸目の少年が札を掲げると、尖り耳の少女はすと腕をしのべる。虹色の輝きがあふれ、艶やかな面に吸い込まれていった。
2020-08-07 21:42:15「これで…人界と参界は…」 ダングがほうと息を吐いて跪く。だが間を置かず暗黒の人参塔は鳴動を始め、触手は次々と萎れ縮んでゆく。 解き放たれた赤兎だけはしかし狂乱の態で半ば石化しているはずの塔の床に食らいつき、新鮮な人参でもあるかのように齧り砕いていく。 「ウンナ!もうよい!」
2020-08-07 21:45:03許婚が呼び掛けても、獣は応じなかった。 あわててワン氏の跡継ぎが駆け寄ると、ヒ氏の娘は丸い尾を振り回して叩きのめした。あれほど慕い合った伴侶さえもう眼中にないようだった。 「ウンナ…ウンナ…」
2020-08-07 21:46:18古く強い呪いが乙女を貪り尽くそうとしていた。 仙参が加護として与えた玉兎の裘は、歴代の持ち主が肉の器を差し出し、人参の霊気を食らううち、みずからの意志に似たものを持ち始めていた。
2020-08-07 21:48:26「…ウンナ!!な、ならば拙も!拙もともに兎に!一緒に!」 男児の言葉に、赤兎は返事すらしない。どれだけ大きな耳があってももう聞こえていないのかもしれなかった。あるいは人間だった際に誓ったように、許婚を巻き込まず呪いを一身に引き受けようというのか。
2020-08-07 21:50:25ウィスティエは傷んだ人形を撫でてから、息を吸ってはいた。 「ごめんね…ヒカリノカゼ…直してあげたいけど…」 滅びゆく人参塔にあって安全な場所は見出しがたかったが、それでもすぐには崩れないだろう平らな場所に相棒を置く。
2020-08-07 21:52:14それから妖精の軽やかさで人間の仔に近づくと、細い指を伸ばす。 「ダングさん…あの…札を下さい」 「ウィスト…拙…拙はウンナを…」 「えっと…な、なんとか…します…」 惑乱の極みにある少年から札を抜き取ると、そっと掌の間に挟む。黒い虹が隙間から零れ、硬質の符は塵となって崩れた。
2020-08-07 21:54:18黒の乗り手は今度は、赤兎に歩み寄っていった。 獣は唸りを上げて振り返り、再び魔女と対決した。 「ウンナさん…ありがとう…ございました」 真正面から噛みついてきたウンナを、ウィストはしっかと抱き留めると、尖った歯が喉元に食い込むに任せた。
2020-08-07 21:56:26黒の乗り手の末代。 九人目にして最強の黒の創り手は、今やみずからの魔法を明確な意志を持って用いていた。 玉兎の裘はさほどに厄介な遺物だった。魔参よりも、仙参よりも。人参によって作られながら、人参以上の力を持つに至った存在だった。
2020-08-07 21:59:39もちろん悪霊姫と妖精王の血を引き、八度に亘る戻し配合によってそれぞれの原初の特質を顕現させた、影の国の真の世継ぎにとって、ただ滅ぼすだけならば困難はなかった。 だが黒の創り手がなそうとしていたのは、遥かに複雑で巧妙な業。癒着し溶け合いつつある幻獣と人間の肉の器と霊気を分かち、
2020-08-07 22:03:47獣となって消えゆく乙女に再び現世に引き戻そうとする試みだった。 例えるならば、いったん水で割った葡萄酒から再び生(き)のままの酒を取り出そうとするにも等しい。 ウィストは七匹の黒き獣と、半妖精の賢者が与えた書、さらには異界の妖精王の薫陶を駆使し、かつてなにものも行ったことのない、
2020-08-07 22:06:37玄妙にして精緻な魔法を織り上げた。 燃え盛る赤兎の霊気と、かそけき乙女の霊気をゆっくりとどちらも傷つけぬよう引きはがし、また溶け合おうとするより先に、黒の創り手自身の霊気を滑り込ませる。
2020-08-07 22:08:01玉兎の裘は肉の器を失って激しく抗ったが、すぐに別の、本来の獲物ではないが、より好ましい標的を発見し、そちらと一つにならんとした。 少女はあえぎ、霊気と肉の器にしみこんでくる異質な呪いに神経を直に熱で炙られるような痛みを味わったが、しかし耐えた。いつものように。
2020-08-07 22:10:39闇の術と人参の術は絡み合い、互いを縛り付け合い、一つの糸玉のようにしっかりと固まってもはや外へ出てゆこうとはしなかった。 そばにワン氏がいようとも、ヒ氏がいようとも、玉兎の裘はもはや取り込もうとはしない。いや裘そのものがもう存在しないのだ。 あるのはただ。 小さな黒兎。
2020-08-07 22:13:56人参塔が完全に瓦礫と化すなかで、ダングは気を失ったウンナに駆け寄ってきつく抱きしめた。崩壊に呑まれる恐れなど意にも解さなかった。 幸いにも、塔の屋上は最後まで無事だった。下の層がひとつまた一つと潰れるにつれ、許婚二人と傷んだ人形を載せたまま、ゆっくり地上へ降りていった。
2020-08-07 22:16:46なお抱き合ったまま意識を失ったヒ氏とワン氏の仔等のそばで、妖精の乙女をかたどった傀儡ヒカリノカゼも、まるで死んだように動かくなっていた。 もとから命はないはずだが。それにしてもいつもの活気を欠いていた。
2020-08-07 22:18:27小さな黒兎はのそのそ歩き、人形に近づくと、しばらくくんくん嗅いでいたが、やがて少年と乙女が同時に発したうめきに怯えて逃げて行った。
2020-08-07 22:19:33変化が起きたのは小さな傀儡だけではなかった。 はるか参界の外れ。ヒ氏の屋敷の上空に係留を続けている飛行船パスパルドゥー号でも異常が生じていた。 まず乗組員である双子の屍妖精、アルミオンとアルキシオが一瞬ふらついた。 「…ふむ」 「気づいたか兄弟よ」 「五感が急に衰えたな」
2020-08-07 22:22:54