河合隼雄のことば

河合隼雄のことば
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河合隼雄のことば @hayaokawai

(4) だから、死というものには非常に残忍で悲しい面と、非常にめでたい面とが共存しているとユングはいうんです。そういう考え方は、やっぱり大事なんじゃないでしょうか。

2011-05-01 22:06:46
河合隼雄のことば @hayaokawai

(3) 「トーデス・ホーホツァイト(死の結婚)」という言葉がありますけれども、死というのはこの世から離れてあちらへ結合に行くわけだから、いうならばこの世界の根底との最後のこの世の結合であり得るわけです。

2011-05-01 22:06:31
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2) そして汽車の中でものすごく悲しくなっていると、結婚式のにぎわいのダンスの音楽とか、そういう楽しげな音が心の底から聴こえてくるんです。この話が示しているように、結局死というのは結婚なんですね。

2011-05-01 22:05:59
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1) ユングの自伝に出てくる話ですけれども、お母さんが亡くなったときユングは遠いところへ行っていて電報で死を聞いて引き返すわけです。

2011-05-01 22:05:50
河合隼雄のことば @hayaokawai

一般に人間があまりにも極端なものを求めようとすると、必ずその逆の存在によっておびやかされることになるものである。

2011-04-30 12:11:53
河合隼雄のことば @hayaokawai

(4) そして、われわれ日本人も西洋の方法論に頼ろうとするかぎり、日本の昔話の分析は極めて困難になるか、西洋に比してつまらない物語であると断定を下すより仕方がなくなるのである。

2011-04-30 12:00:46
河合隼雄のことば @hayaokawai

(3) これに対して、日本の物語は、物語を対象として考えるならば、それは既に明らかにしたように、分析を拒否する構造をもっているのである。このような事実が、日本の昔話の分析を著しく困難なものとし、あるいは西洋の研究者の戸惑いを誘発するのである。

2011-04-30 11:55:24
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2) つまり、日本人であるかぎり、黙って消え去ってゆく女性像に対して感じる「あわれ」の感情を抜きにして、この話の全体を論じることはできないのである。西洋の物語は、それのみを対象として分析、解釈し得る完結した構造をもっている。

2011-04-30 11:49:52
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1) 西洋の物語は、それ自身がひとつの完結された形をもち、その完結性がわれわれの心を打つ。これに対して、わが国の物語は、むしろそれ自身としては完結していないように見えながら、その話によって聞き手が感じる感情を考慮することによってはじめて、ひとつの完成をみるものとなっている。

2011-04-30 11:24:34
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2) 昔話というものは、いうなれば「自己」という書かれざる経典に対する民衆の知恵に基づく解釈なのである。近代人はそのような知恵からあまりにも離れたために、昔話の解釈などという屋上屋を架することさえ必要になったのであろう。これは本来的には不必要なことである。

2011-04-30 11:19:33
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1) 「禅の問いは根本的には『自己とは何ぞや』という問いの発言である」という上田閑照の言葉に照らして考えるとき、昔話は「自己とは何ぞや」という問いに直接的な答えを用意するものではないにしても、少なくともそれに対する「解釈」を提供しているものということはできる。

2011-04-30 11:14:52
河合隼雄のことば @hayaokawai

マックス・リューティのいう「無の状態に至る」結末は、否定的な意味合いをこめているが、これを肯定的に解釈することも可能である。本来「無」は否定も肯定も越えた存在である。

2011-04-30 11:04:22
河合隼雄のことば @hayaokawai

人生の中には、一見対立しているように見えて、実は案外お互いに共存し、裏付けとなっているようなものが、案外多いのではないか。そのような目で自分の生き方を見てみると、必死になって排除しようとしていたものに価値のあることがわかるのではなかろうか。

2011-04-30 01:51:38
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2)壮年から老年にかけての時期においてやり遂げることが、中年の人間に要請されているのではなかろうか。

2011-04-30 01:51:00
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1)ひとつのイデオロギーに頼って、いわば槍一すじで武功をたてるようにして、若者が大人になるという時代は終わって、限りなく相対化された多くのイデオロギーや、ものの見方のなかで、それを自分の個性との関連上において、自分にふさわしい世界観へと組み込んでゆく作業を、

2011-04-30 01:50:44
河合隼雄のことば @hayaokawai

また自分の行為で誰が喜んだか悲しんだか、そういう感情面からみることもできる。だけどもうひとつ、自分のこの行為で私の魂はどう感じただろう、あの人の魂はどう感じただろうと。そういう思い方をすると、ふっと次元が変わり、視座がより広がるんですね。

2011-04-20 08:02:52
河合隼雄のことば @hayaokawai

ユング派の分析家ヒルマンが面白いことをいっています。魂というものがあるかないか、そういうことをいっているのではない。「魂」というものの見方でみてみようと、そういうことなんだと。そうやってみると違ってくるんですね。例えば自分のしていることを損得の面からみることもできる。

2011-04-20 08:02:28
河合隼雄のことば @hayaokawai

そういう表現方法しか相手にとらせてない。普通の表現方法で僕に通じないと、向こうは思っているわけですから・・・というふうに考えだすと、わかることがあるんです。そこで二人の関係を見直して、それをいうわけです。

2011-04-20 08:00:50
河合隼雄のことば @hayaokawai

そういうときにものすごく大事なのは、そういうことでしか相手は僕にものがいえんようになってるということです。そんなふうに僕は何を追い込んできたんかを考えるわけです。

2011-04-20 08:00:35
河合隼雄のことば @hayaokawai

ヘタな人ほど、どうしよう、とめようか、とめまいかと考える。行こうかというと、向こうは待ってます。それで行ったらダメです。電話かけるたびにくるんだからまたやるに決まってます。

2011-04-20 08:00:18
河合隼雄のことば @hayaokawai

とことん聞いて下までいくからトンと上がってこれるわけです。その人にしたら死にたい、親を殺したい、といおうが何いってもピタッと聞いてるから、こんなすごい人がいないと全面的に依存してきます。夜中の12時頃でも、先生死にたい、いうて家に電話掛かってきます。橋のたもとの公衆電話からって。

2011-04-20 08:00:01
河合隼雄のことば @hayaokawai

世間一般ではみんな話聞くいうても話半分なんです。話半分にするというのが社交的なんです。私死にたいわ、いうたら、そんなこといわんで、とか、みんな頑張ってるやないの、とかいうんです。ところが僕ら、クライアントが死にたいですいうたら。ああ・・・と聞いてますからね。とことんまで聞きます。

2011-04-19 08:04:43
河合隼雄のことば @hayaokawai

つまづき=発展。つまづきが大きいほど発展の可能性も大きい。その希望を持ち続けることです。だから素晴らしい発展は同時に大きな苦しみを伴う。その苦しみをちゃんと受け止めること。そんな中で人は、心を使って「生きる」という大事業をやっていくのだと思います。

2011-04-18 01:43:10
河合隼雄のことば @hayaokawai

筋を追ってきれいにまとまると「なるほど!」ともっともなことに感じるのですが、人生というのはあんまりそういうことはありません。うまくまとめられるようなきわだったことはむしろ起こらないと思ったほうがいいんじゃないでしょうか。

2011-04-18 01:41:10
河合隼雄のことば @hayaokawai

大人は子供を「よい子」に育てる管理をますます強く、巧妙にして、悪の芽を早く摘み取る努力をしていると思いながら、その実は創造性の芽を摘み取ってしまっているように思われる。

2011-04-18 01:21:57
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