【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/後編】

20世紀初頭、幾多の困難を乗り越えて巨大な硬式飛行船を完成させたツェッペリン伯爵。 今や、伯爵と彼の飛行船は、前人未到の領域へ果敢に飛躍する時を迎えようとしていました。 それは同時に、更なる試練の始まりでもあったのです。
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この姿勢が、死亡事故を防止し、結果として王族から民衆に至るまでの幅広い社会的信頼と応援を勝ち得たのでした。安全性重視の発想が無ければ、ツェッペリンの夢と挑戦は、必ずや潰えていたでしょう。この点でも、彼は近代航空のパイオニアだったのです。 pic.twitter.com/6US5rcftpa

2020-09-19 18:20:50
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画像はDELAG社の客船から撮影されたベルリン中心街。 pic.twitter.com/xChp5HAUxH

2020-09-19 18:21:23
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余談ですが、DELAG社の船内では「シャンパン」が供されたと言われます。複数の英語文献にもそう書いてあるのですが、厳密には「スパークリングワイン」の場合が多いようです。たとえばLZ7ではドイツ産のダインハード・カビネットが出されています。 pic.twitter.com/po4Mxpu8UF

2020-09-19 18:23:18
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シャンパーニュとそれ以外のスパークリングを一緒くたにするな!と言いたいところですが、どうも一昔前までは日本だけでなく欧米でもそういう傾向があったようで…。 ただ、LZ13のキャビンを写したこの写真、左端に見えるボトルは、GHマム(シャンパーニュ)っぽくありません? pic.twitter.com/BY2680oVwr

2020-09-19 18:23:49
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閑話休題。画像は船内で軽食を楽しむご婦人方。機内食の豪華さは飛行船の売りの一つで、一回の食事でフォアグラのパテ、キャビア、ロブスターなどが出されたという記録があります。 pic.twitter.com/zkSNwXkCee

2020-09-19 18:24:18
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当時の飛行船は運賃や定時性の面で鉄道に太刀打ちできませんでした。船客たちは「早く移動できるから」ではなく、「空を飛ぶ、という夢のような体験ができるから」、飛行船に乗ったのです。従って、贅沢な食事は快適な空の旅を盛り上げる不可欠な要素でした。 pic.twitter.com/68O70sH8fg

2020-09-19 18:26:05
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旅客輸送と並んでDELAG社の経営を支えていたのは航空郵便事業でした。庶民でも手の届く価格でエア・メールを送ることが出来たため、国民的ブームが巻き起こったのです。 飛行船に乗ることは出来なくても、親しい人に「空を飛んで届けられる」手紙を送るのは愉快なことです。 pic.twitter.com/Dzo69OZlAl

2020-09-19 18:26:45
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ここに、一握りの富裕層だけでなく、社会全体へ飛行船の恩恵を行き渡らせようとするツェッペリン伯爵の経営哲学を垣間見ることが出来るでしょう。 pic.twitter.com/UDfAobTyBm

2020-09-19 18:27:18
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DELAG社の事業が軌道に乗り始めたころ、欧州の政治情勢はいよいよ緊迫の度合いを増していました。海洋進出を志向するドイツ皇帝ウィルヘルム2世は、大洋艦隊の急速な拡張に邁進し、海軍覇権国家である大英帝国との間に一大建艦競争を惹起するに至ります。 pic.twitter.com/LhPAMPgso8

2020-09-19 18:28:53
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一方、普仏戦争の雪辱を誓うフランスはロシアとの間に同盟を締結、両国の連携は年を追って緊密化し、ドイツ陸軍は二正面作戦のリスクに直面しました。これに対し、ドイツ陸軍参謀本部は、極力短期間でフランスを撃破し、返す刀でロシアを打ち破るという戦略を採用します。 pic.twitter.com/6hwCYpjige

2020-09-19 18:29:24
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かくして陸海双方で数的劣勢に立たされたドイツ軍は、その絶対的な戦力差を少しでも補うべく、従来の発想に囚われない新兵器の採用を真剣に検討せざるを得ない状況に置かれたのです。 その候補の一つとして、飛行船が浮上してきたのは、ごく自然な成り行きと言えましょう。 pic.twitter.com/UkLvp4JEWT

2020-09-19 18:29:56
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軍部は既にツェッペリンとDELAG社の成功を目の当たりにしていましたし、1912年の伊土戦争でイタリア王国軍が飛行船を用いてトルコ軍を爆撃した事実も知れ渡っていました。 (画像は爆撃に用いられたイタリアの軟式飛行船) pic.twitter.com/wmc6G5qi4t

2020-09-19 18:31:56
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1912年、ドイツ陸軍参謀総長の小モルトケは、3年以内を目途に20隻以上のツェッペリン飛行船を導入することを提案します。しかも、注目すべきは、飛行船は単なる偵察の道具ではなく、大規模な先制攻撃の担い手として位置付けられていたことでしょう。 pic.twitter.com/LAfQxTUFOT

2020-09-19 18:32:28
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ドイツ海軍もこれに続きました。かつて飛行船導入に反対していたテルピッツ海軍大臣は5年間で10隻のツェッペリン飛行船を配備する計画を作成、1913年1月に皇帝ウィルヘルム2世の裁可を得たのです。 pic.twitter.com/n2QYvCSZAX

2020-09-19 18:32:58
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ツェッペリン伯爵40年来の夢が、とうとう実現する時が来ました。1912年以降、「ツェッペリン飛行船有限会社」には軍からの発注が次々と舞い込みます。 こうしてドイツ軍による飛行船戦力の整備が緒に就いたところで、運命の開戦を迎えたのです。1914年8月のことでした。 pic.twitter.com/Nxup4pEr1x

2020-09-19 18:33:36
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以後、ツェッペリン空中艦隊は国家の総力を挙げて建設され(戦時下の建造数は約100隻)、熾烈な戦いに投じられていくのです。 ツェッペリン伯爵は飛行船部隊の指揮を執ることを切望するも叶わず、飛行船産業のリーダーとして尽力しました。 pic.twitter.com/6EvgUqFRFW

2020-09-19 18:34:16
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画像はツェッペリン艦から捉えられた空爆下のロンドン心臓部。 pic.twitter.com/VsDsO6rp9Y

2020-09-19 18:35:54
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DELAG社の旅客飛行船は全て軍に接収され、偵察や訓練などの後方任務に就くことになりました(例外的に最新のLZ17ザクセンは戦闘任務にも投入)。 ここに、同社による世界初の民間航空事業はひとたび終焉を迎えたのです。 pic.twitter.com/FBd4jWFvMB

2020-09-19 18:36:26
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しかし、第一次大戦後、旅客飛行船は数多の困難を乗り越えて甦ります。DELAG社はLZ127「グラーフ・ツェッペリン」などの巨大な豪華船を建造し、世界とドイツを結びました。 ツェッペリン伯爵は戦中にその生涯を閉じますが、彼の遺産は次の世代に継承されたのです。 pic.twitter.com/9Zt9mzFnCP

2020-09-19 18:37:02
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【CM】 WW1の最中、ブリテン上空で死闘を演じたツェッペリン飛行船団を描いた拙著、好評発売中です。「世界の艦船」5月号に書評掲載! 拙稿をご覧頂いて飛行船に興味を持たれた方は、是非お手に取って下さい。 amazon.co.jp/dp/4908862680/ 運気が上昇し、株や競馬で儲けられます。 (個人差あります)

2020-09-19 18:37:31
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また、WW1後のツェッペリンの旅客飛行船の活躍について知りたい、という方にはHAL氏の著作「Zeppelin Passenger Airship」をお勧めします。 hal9152zeppelin.booth.pm/items/1929339 日本語で読める資料の中で最も詳しい物です。

2020-09-19 18:41:58