【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/前編】

20世紀初頭に巨大な硬式飛行船を開発したことで知られるドイツのツェッペリン伯爵。 彼の望みは空に浮かぶ壮大な艦隊の建設でしたが、軍当局は硬式飛行船の採用に消極的だったため、民間航空事業へと転進します。 はじめのうちは困難の連続でしたが、ツェッペリン伯爵の飽くことを知らぬ情熱と優れたリーダーシップにより、1910年代前半、遂に飛行船による大都市間の航空旅客輸送を実現しました。 これは第一次大戦前に行われた唯一の、そして世界初の本格的民間航空事業だったのです。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/前編】 20世紀初頭に巨大な硬式飛行船を開発したことで知られるドイツのツェッペリン伯爵。 彼の望みは空に浮かぶ壮大な艦隊の建設でしたが、軍当局は硬式飛行船の採用に消極的だったため、民間航空事業へと転進します。 pic.twitter.com/2bWOgoYycW

2020-09-05 15:29:33
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はじめのうちは困難の連続でしたが、ツェッペリン伯爵の飽くことを知らぬ情熱と優れたリーダーシップにより、1910年代前半、遂に飛行船による大都市間の航空旅客輸送を実現しました。 これは第一次大戦前に行われた唯一の、そして世界初の本格的民間航空事業だったのです。 pic.twitter.com/BQ9sDV2t7r

2020-09-05 15:30:12
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ツェッペリンの軌跡を描くにあたり、飛行船の誕生と発展について軽く触れておきましょう。 大空を自由に飛ぶことは、人類の古くからの夢でしたが、それが現実性を帯びるのはテクノロジーが飛躍的に発展した19世紀のことです。 pic.twitter.com/qKIchbC8s7

2020-09-05 15:30:49
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1852年、フランスの技術者アンリ・ジファールは3馬力の蒸気機関を搭載した気球を製作し、同年9月24日、パリの上空を時速10キロで飛ぶことに成功しました。この日の飛行距離は27㎞に達し、舵の効きも良好でした。 これは世界初の動力飛行であり、同時に飛行船が登場した瞬間に他なりません。 pic.twitter.com/0xYd5MhLwH

2020-09-05 15:31:22
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その後、飛行船は試行錯誤を繰り返しながらも発展を続け、1901年には故国ブラジルからフランスに渡ったサントス・デュモンが自在に操作可能な機体を披露します。彼はそれを用いてエッフェル塔を周回したり、行きつけのカフェに乗り付けたりしてパリジャンを熱狂させました。 pic.twitter.com/csXBE7ZGGy

2020-09-05 15:32:10
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彼らは、20世紀という「科学の時代」の到来を目の当たりにしたと言っても過言ではありません。また、デュモンの成功は、飛行船が思い通りに操縦できる「乗り物」として完成されうることを証明しました。 pic.twitter.com/g8BbRhJ0Uq

2020-09-05 15:32:51
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しかし、飛行船はその特性に由来する欠点の為、発明から半世紀を経ても商用・軍用ともに実用化の目途が立たない代物でもありました。ずんぐりした気嚢は風を受け易くすぐ流されてしまいますし、材質は布であるため、強度の問題から大型化にも限界があったのです。 pic.twitter.com/Tju8GnpBpq

2020-09-05 15:33:49
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その頃、ドイツではある軍人貴族が革新的なアイデアと共に、偉大な挑戦をしようとしていました。その名はフェルディナント・フォン・ツェッペリン。プロイセンの衛星国だったヴェルテンブルク王国に生を受けた騎兵将官です。 pic.twitter.com/dRFLasJ6sG

2020-09-05 15:34:31
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彼は単一の気嚢からなる軟式飛行船の欠点を克服すべく、金属製の構造材で葉巻型の船体を形成し、内部に複数の気嚢を配置することを考えていました。これにより空気抵抗の少ない巨大な船体を形成しようというのです。 pic.twitter.com/HOcxVMu9lV

2020-09-05 15:35:12
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船体が大きく、かつスレンダーであれば、風に流されにくくなりますし、大量の人やモノを乗せて長距離を飛行することが可能になります。 これこそは、黎明期の航空界に革命をもたらした硬式飛行船の概念に他なりません。 pic.twitter.com/SRS58DOQtI

2020-09-05 15:35:51
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ここでツェッペリンの経歴を紹介しておきましょう。由緒正しい伯爵家の嫡男として、1838年、ボーデン湖畔のインゼルに生まれた彼は、やがて軍人を志します。そして幾分時代遅れながらも依然として軍の花形であった騎兵隊の将校に着任しました。 pic.twitter.com/5QxfdzOhc9

2020-09-05 15:36:50
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1863年、ヴェルテンブルクの観戦武官に選抜され、南北戦争最中の米国へ渡ったことで、彼の人生は一つの転機を迎えます。ミシシッピ河畔の前線で、北軍の偵察気球に乗り込む機会を得たのです。 偵察は、騎兵にとって重要な、そして危険の多い任務でした。しかし空から見下ろせば全てが一目瞭然です。 pic.twitter.com/ncJE6kSPaM

2020-09-05 15:37:47
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このことは、ツェッペリンに非常に強い印象を与えました。 (画像はバージニア州の前線で撮られたツェッペリンの写真) pic.twitter.com/Caoy3gtfPC

2020-09-05 15:38:26
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1870年、ドイツの国運を賭けた普仏戦争が勃発します。精強な常備軍を誇るフランスは、参謀本部の的確な指導の下に鉄道と電信を駆使する予備役兵主体のプロイセンに惨敗。首都パリはドイツ諸邦連合軍に包囲されました。ツェッペリンはここでも気球が戦争に使われるのを目撃します。 pic.twitter.com/ju5qBhRNF3

2020-09-05 15:39:14
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重囲下のパリからは、重要人物や郵便物を乗せた気球が頻繁に飛び立ち、風に乗ってドイツ軍陣地の頭上を悠々と越え、後方と連絡を取っていたのです。 若き日のツェッペリンにとって、近い将来、「空」が戦場になる事は最早明らかでした。 pic.twitter.com/mzM1l2FoYJ

2020-09-05 15:39:55
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余談ですがこの戦争中、ツェッペリンは騎兵隊を率いて敵陣深く侵入し、追撃してきたフランス軍と交戦(画像)、命を落としかけています。 かなり血の気の多い軍人だったようですね。 pic.twitter.com/ld8hCtqhgt

2020-09-05 15:40:27
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戦争がドイツ諸邦側の勝利に終わり、統一国家としてのドイツ帝国が成立すると、ツェッペリンは順調に出世していきます。1882年には騎兵連隊長に任命され、2年後には大佐に昇進。 しかし、彼の望みは既に騎兵隊指揮官としての栄達では無くなっていました。 pic.twitter.com/Aob0u3ZJHw

2020-09-05 15:41:10
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戦勝終結後間もなく、彼は独自の飛行船のプランを練り始めます。1874年に記された構想は、この熱意溢れるアマチュア研究家の非凡な発想力と先見性を示して余りあるものでした。その中には既に、金属の構成材で形成される流線型の船体と、その中に並ぶ複数の気嚢を見て取ることが出来ます。

2020-09-05 15:41:38
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これによりツェッペリンの飛行船は、従来の単一の気嚢からなる軟式飛行船とは比較にならない大きさ、すなわち外洋船に匹敵する2万㎥に達する体積を有するとされたのです。 これこそは「硬式飛行船」の概念に他なりません。 pic.twitter.com/ap3WUPUpV9

2020-09-05 15:42:33
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今や、従来の単一気嚢からなる「軟式飛行船」が抱えていた諸々の限界、即ちずんぐりした船体から生じる空気抵抗や横風への脆弱性、気嚢が一つしかないことによる積載能力の乏しさを克服する理論的方向性が明確に示されたのです。 pic.twitter.com/Aht2n21Xtv

2020-09-05 15:43:37
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1885年、ヴェルテンブルク王国のベルリン駐在武官に任命されたツェッペリンは、ドイツ帝国中央政府の高官に硬式飛行船の建造を熱心に説いて回りますが、反応は捗々しくありませんでした。 外洋船と同等の大きさをもつ飛行船など、当時の人々には誇大妄想も同じだったのです。 pic.twitter.com/O3uPga9EDM

2020-09-05 15:44:10
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この頃、フランス軍は全長50メートルを超す大型飛行船「ラ・フランス」を完成させていました。失地の回復と雪辱を誓うフランスは、国を挙げて軍備の再建に努めていたのです。 このまま独仏再戦となれば、ドイツは空からの一方的な攻撃に曝されるでしょう。 pic.twitter.com/IKzbXi0TeX

2020-09-05 15:45:01
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1890年、業を煮やしたツェッペリンは時の皇帝ヴィルヘルム2世に直訴しますが、結果は空振りに終わります。 ここで彼は一世一代の大博打に打って出ました。陸軍少将の地位を擲って軍を引退、私財を投じて自ら飛行船建造事業に乗り出すのです。 pic.twitter.com/qXnpnGdFXr

2020-09-05 15:45:52
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時に、フェルディナンド・フォン・ツェッペリン伯爵、52歳。当時の感覚では老境といって差し支えないでしょう。それでも彼は、元将官としての安楽な引退生活など一顧だにせず、未知の世界を目指したった一人で果敢にルビコンを渡ったのです。 pic.twitter.com/uR7yMwq74V

2020-09-05 15:47:09
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それからの十年は、ツェッペリンにとって雌伏の時でした。飛行船建造に必要なあらゆるリソーセスを集めねばならないのです。 まずは、資金が無ければ始まりません。伯爵は先祖伝来の財産の一切を惜しげもなく手放す覚悟でしたが、それでも必要額には達しません。画像はツェッペリン家の屋敷。 pic.twitter.com/FXo4v3zE52

2020-09-05 15:48:21
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