日本の男色の話

日本史の男色の話をまとめてます(随時更新) 読み物として楽しんでもらえたり、何か創作のアイデアに繋がることがあると嬉しいです もし何か気になる点などありましたら、Twitterの方で尋ねてくださると、お力になれるかもです
67
こうく @usedtobe_sth

、衆道が盛んであったためです。谷崎潤一郎(すごくかっこいい人、『細雪』おすすめです)がばあやと歩いてるとき、美少年が好きな薩摩の軍人さんに声をかけられ、連れ去られかけたところを、警察が助けて、すぐに逃げたという話が残っています。

2020-07-23 20:51:00
こうく @usedtobe_sth

この頃のことを「薩摩人が幅を利かしていたせいか、美少年趣味が流行していたので、男の児が追いかけられたことはしばしばあった」と谷崎は『幼少時代』で回顧している。このとき、酒気を帯びて、礼装を着た、おひげの将校さんは陸軍の野津鎮雄という人だったそう。

2020-07-26 03:05:10

笑い話と男色

こうく @usedtobe_sth

ある男が毎晩夢精をしますので、大層くたびれておりました。医者が言うには「あなたさんは女や若衆のことを思って寝ますので、そのように夢精をしてしまいます。これからは、何か猛々しいことを思ったり鬼のことなんかを想像して寝なさいな」と言った。その後この医者が再び様子を見に来ましたら

2020-06-28 07:01:26
こうく @usedtobe_sth

以前の通りくたびれておりましたので、「どうなさいましたか」と男に尋ねますと「あなたの言う通り、鬼のことを想像して寝ましたところ、毎晩、鬼に男色の相手にされる夢を見て、くたびれております。こんな夢を見るなら、元々の夢の方がマシです」と答えた。 『咄之本』

2020-06-28 07:09:29
こうく @usedtobe_sth

とある法師が稚児と寝ていたとき、法師が稚児の口を吸うと、何があったのか、法師は稚児の歯を一つ吸い抜いてしまった。法師は驚き肝を潰し、暇もなく、逃げ帰り、吸った歯を落ち着いめ火を灯して見ると、麦飯であった。不嗜みな稚児の有様である。 『醒睡笑』

2021-03-25 04:08:21

古記録に見える男色

こうく @usedtobe_sth

藤原資房の『春記』 少将資仲は近頃、乙犬丸という三井寺の少年を愛し、三井寺を往復している。仲間には能長、経家、行経がいるようだ。みんな、様々なものをその少年に送っているという。少将資仲は行経に馬をもらい、その少年に与えたという。

2019-10-24 00:53:20
こうく @usedtobe_sth

大層感心できないことだ。資平はその旨をお聞きになり、嘆息された。前々から制止があったにもかかわらず、なんということだ。また一日中家にいなくて、流浪のようだともいう。私の一門の心にない。当然の運命だ。これを嘆くことは出来ない。家系は大層貧しい。どうするべきだろうか。

2019-10-24 00:56:00
こうく @usedtobe_sth

とても見苦しいことである。

2019-10-24 00:56:14

以下の話は『寧固斎談叢』にみえる話で、その真偽は不明だが、登場人物は実在の大名。

こうく @usedtobe_sth

13歳で、松江城主となった堀尾忠晴は天下無双の美少年と称されていた。かつて金沢城主で当時20代前半の前田利常は忠晴に惚れ、早速二人で会う約束を取り決めた。ある屋敷で会い、二人と、二人の仲を取り持った三名で酒を飲み、宴も闌の頃、仲達の三名は気を利かせて外に出た。

2020-09-23 16:40:07
こうく @usedtobe_sth

利常と忠晴との間に沈黙が流れる。利常は気まづさから、話題を振ろうと、「綺麗な月で、趣深いですね」と声をかけると、忠晴は「月が大変お好きなようですね。ゆっくり月をご覧になってくだされ。私はもうでて行きます」と怒って退出しようとした。仲達の者たちは忠晴を宥めたが、気分は直らなかった。

2020-09-23 16:42:45
こうく @usedtobe_sth

この一件から、利常は一層忠晴への思いが深くなったという。 後日、忠晴から利常のもとに、「あなたのもとを訪ねたい」と申し出てきた。利常は大層喜び、小書院を新築したが、当日になって「急病で行けない」との知らせが来た。利常はあまりに落胆し、ご飯も食べずに、寝間に籠っていた。

2020-09-23 16:45:33
こうく @usedtobe_sth

夕になり、忠晴のもとから身分の低い侍の使者が送られてきた。家のものは、使者の身分が低いため、利常に会わすことに反対だったが、利常はこれを聞くと起き上がって玄関に向かった。玄関に出ると、「これで帰ります」といった使者の後ろから忠晴が現れた。これは忠晴が利常の愛を確かめるために

2020-09-23 16:48:03
こうく @usedtobe_sth

仕組んだことだという。忠晴は利常の手をとり、「今日はありがとうございます。気分が悪く、行くのを取りやめたのを伝えましたが、今夜気分がよくなり、参上いたしました」と言った。利常は声も出ず、「忝ない」とだけいって奥へ連れていき、一晩中遊興に耽ったという。 『寧固斎談話叢』にみえる話。

2020-09-23 16:50:58

『万葉集』のおはなし

こうく @usedtobe_sth

『万葉集』には何首か男性が「我が背子」と人に呼びかけて詠った和歌が見える。一般的に「背子」とは女性が男性の夫や恋人を親しんで呼ぶ言葉(男性から女性は「君」)で、つまりは男性が男性を「背子」と呼び、歌を詠んだ例もある。

2020-09-24 16:24:43
こうく @usedtobe_sth

山辺赤人 我が背子に 見せむと思ひし 梅の花 それとも見えず 雪の降れれば (我が背子に見せようと思った梅の花。でも見えないのです、雪が降ってしまったから)

2020-09-24 16:30:01
こうく @usedtobe_sth

高丘河内連 我が背子と 二人し居れば 山高み 里には月は 照らずともよし (我が背子と二人きりでいると、山高い故に里に月明かりが照らさないけど、それでもよいのだ)

2020-09-24 16:33:15
こうく @usedtobe_sth

また『万葉集』の編者と伝わる大伴家持の和歌について、古くから男色と思われている贈答歌がある。 大伴家持が藤原訓須麻呂に送った歌3首 ・春の雨は いやしき降るに 梅の花 いまだ咲かなく いと若みかも (春の雨は頻りに降るのに、梅の花はまだ咲かないのは大層若いからだろうか)

2020-09-24 16:43:15
こうく @usedtobe_sth

・いめのごと 思ほゆるかも はしきやし 君が使ひの まねく通へば (夢のように思えってしまうだろう、愛しのあなたの使者が繁く通ってくるので) ・うら若み 花咲きがたし 梅を植えて 人の言繁み 思ひそ我がする (若いのでまだ花の咲きそうにない梅を植えて、噂が立っているので煩っている私です)

2020-09-24 16:48:28
こうく @usedtobe_sth

一方で藤原久須麻呂の返歌を見てみると ・奥山の 岩陰に生ふる 菅の根の ねもころ我も 相思はざれや (奥山の岩陰に生える菅の根のように、懇ろに、私もあなたを思わないことがどうしてあろうか) ・春雨を 待つとにしあらし 我が宿の 若木の梅も いまだふくめり (春雨を待っているのでしょうか、

2020-09-24 16:53:15
こうく @usedtobe_sth

私の家の若木の梅はまだ蕾です) 契沖の弟子であった海北若冲は『万葉集作者履歴』で「大伴家持のこれらの歌は久須麻呂という美少年との贈答歌である。男色関係であったと古来から考えられている」と見える。(僕もこの解釈が良いんだけど!!)実は一方でそうではないという説もあり、調べていくと

2020-09-24 16:55:42
こうく @usedtobe_sth

大変面白くございます。

2020-09-24 16:55:50