真珠湾攻撃する直前までの資料

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「1941年1月27日、東京のグルー大使から次のような電報が届いた。--日本駐在のペルー公使がグルー大使に対して「各方面から聞いたのだが、日本の軍部は日米間に事が起こった場合には真珠湾を奇襲する準備をしている。この攻撃は日本の全軍事力をあげてやるということだ」と語ったというのである。ペルー公使は、バカバカしいような計画だとは思うが、あちこちから聞くし、日本側からも入ってきている情報なので、あえて伝える気になったのだ、とグルー大使に述べた。翌日私はこの電報の内容を陸、海両省に報告した。」

186.コーデル・ハル 「ハル回顧録」 中央公論新社(2012.5.15.)

「ハルはグルーからの電報の写しを陸軍情報部と海軍情報部(ONI)に配布した。アーサー・マッカラムはONIとして見解を述べるよう求められた…マッカラムは米艦隊のハワイ駐留が日本を戦争に引き込みつつあることを太平洋艦隊に警告する代わり、グルーから送られてきた情報を「噂」として、割り引いて聞いた。1941年2月1日、マッカラムは太平洋艦隊司令長官に就任したばかりのハズバンド・E・キンメル大将に自分の見解を述べた。
「海軍情報部のこの情報を全く信用していない。そのうえ、日本陸海軍の現在の配備と使用とに関する既知のデータから、真珠湾への(日本軍の)移動が差し迫ってもいなければ、予見しうる将来、計画されてもいない」

「真珠湾の真実」p68 

真珠湾に関する3件の読書

「アプヴェーアによってポポフがアメリカに派遣される直前の1941年8月、アメリカでの調査リストの中に真珠湾の軍施設、並びに米艦隊の状況について調査する、という項目が含まれていたことでした。ポポフはここからドイツの同盟国である日本が真珠湾を攻撃するのではないか、と予測し、当時のフーバーFBI長官に進言したとのことです。これに対してフーバーはポポフを全く信用しておらず、この情報もフーバーが個人的に握りつぶしてしまったと言われていますが、このポポフ情報はアメリカのローズベルト大統領が日本の真珠湾攻撃を事前に知っていたのにそれを黙認したという真珠湾謀略説の根拠として用いられてきました。
 この話はポポフの回顧録でしか語られていなかったので、その信憑性が疑われていたのですが、1982年にミシガン大学の歴史学者、John Bratzel とLeslie Routが “Pearl Harbor, Microdots and Edger Hoover”と題した論文を発表し、ポポフの真珠湾情報はフーバーには伝わっていたが、ローズベルト大統領までは上げられなかった、という結論が導き出されています。」

https://downing13.exblog.jp/12127189/

リンク 暗いニュースリンク 真珠湾攻撃65年後の証言:米巡洋艦は見ていた - 暗いニュースリンク 先日、コロラド州の地元新聞に真珠湾攻撃に関する大変興味深い記事が掲載されたので、以下に全文翻訳して紹介。同記事の取材先、米海軍退役軍人フェントン氏の証言によれば、真珠湾攻撃直前に、ダグラス・マッカ... 15 users 1

「巡洋艦ボイシは、空港建設資材を輸送するために太平洋経由でフィリピンに向かう5隻の商船を護衛する任務に就いていた。1941年11月28日の夜明け前、巡洋艦の拡声器から乗組員達へ、戦闘体制を告げる命令が鳴り響いた。

慌てて甲板に上ったフェントンは、2ダースほどの国籍不明艦が3マイル先の地平に見え、東に向かっているのを確認した。月明かりに照らされ外形が浮かび上がったその艦隊は、巡洋艦ボイシの存在に気づいていなかった。

多勢に無勢の状況で、無線通話停止命令の下、巡洋艦ボイシは艦隊に発砲することなく、数日間後まで目撃事実を伝えられなかった。

巡洋艦ボイシがマニラに達すると、ボイシの乗組員達はダグラス・マッカーサー将軍の側近達に目撃事実を報告した、とフェントンは語っている。彼の記憶によると、将軍側の返答は「我が軍同様、連中にも海に入る権利はある」というものであった。」

http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2006/12/65_47a3.html

発達障害ニュース見つけ隊 @2030mirai

アメリカの極秘文書をテレビ朝日が入手 ①森村正こと吉川猛夫が領事館にほとんどいない事を1941年8月時点でFBIが把握 ②森村正が東京へと送った電文の英訳がアメリカに残っている 専門家 「マジックという外務省の暗号電報を解読しており、吉川と東京とのやり取りはアメリカに筒抜けになっていた」

2018-08-12 14:57:40
発達障害ニュース見つけ隊 @2030mirai

吉川猛夫が望遠鏡を使って真珠湾を観察していた料亭。 「真珠湾攻撃があったその日に、MPが来て望遠鏡を差し押さえていった」 つまり、吉川のスパイ活動はアメリカにばればれだった。 これはびっくり・・・。 #TVASAHI #歴史メモ #日米開戦 #真珠湾攻撃

2018-08-12 14:59:22
石部統久 @mototchen

「日本は週末に攻撃してくるかもしれない」 1941年11月30日ハワイ 『ヒロ・ヘラルド・トリビューン』 pic.twitter.com/35VJEm3TNW

2020-09-25 21:20:41
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海軍 @6zzOp

真珠湾攻撃は奇襲攻撃だったのか?米軍の思惑通りなのか?だが、著書「真珠湾の真実」には機動部隊の無線封止が米軍に破れらていただけでなく、多数の無線が太平洋上を発信されていたという。11月15日〜12月6日までに米海軍通信情報班は傍受した日本電波129通を内訳して上げている。 ↓

2019-12-08 14:32:54
海軍 @6zzOp

南雲中将発信の電報 60通 東京から機動部隊宛電報 24通 空母発信電報 20通 航空戦隊司令官発信電報 12通 第一航空艦隊の空母以外の電報 8通 ミッドウェー破壊隊の電報 4通 航空戦隊司令官宛電報 1通

2019-12-08 14:32:55
海軍 @6zzOp

更に日本機動部隊が単冠湾を出撃した1時間後に米海軍作戦本部のターナー少将は 「太平洋を横断する船舶の航路は全てトレス海峡とする」 と指定し、これにより日本機動部隊はどんな船舶も認めなかっただろうと紹介されている。どこまで本当なのかわからないが、全て本当なら

2019-12-08 14:32:56
海軍 @6zzOp

日本機動部隊は米軍の思惑通りに「真空海域」を航行して北太平洋を無線で発信しながらハワイへ向かっているという、日本側としては悲劇的な事実となる。

2019-12-08 14:32:56
伊達JKN@神社紀行ネット @Jinja_Kikou_Net

【12月7日・ハワイ真珠湾】 実はこれより前に既に作戦行動は開始されていた。 ハワイ時間1941年12月6日23時。 日本海軍潜水艦5隻が真珠湾内の艦艇を攻撃するために、特殊潜航艇5隻を発進させていた。

2016-12-08 07:56:37
伊達JKN@神社紀行ネット @Jinja_Kikou_Net

【12月8日・ハワイ真珠湾】 ハワイ時間7日3時42分。 米国哨戒艇が特殊潜航艇の1隻を発見。 ハワイ時間7日6時45分(東京時間8日1時15分)。 警戒中の米駆逐艦ウォードが特殊潜航艇(甲標的)1隻を発見し撃沈。彼ら特殊潜航艇5隻は未帰還となり、のちに九軍神として祀られる。

2016-12-08 08:02:21
伊達JKN@神社紀行ネット @Jinja_Kikou_Net

【12月8日・ハワイ真珠湾】 米駆逐艦ウォードが甲標的を撃沈したのは、南雲機動部隊航空隊が真珠湾攻撃を開始する1時間ほど前のことであった。 この事実は時を移さずに司令部に連絡され、それらの情報が司令長官キンメル大将に電話連絡されたのが7時40分(東京8日2時10分)であった。

2016-12-08 08:04:09
海軍 @6zzOp

12月8日02:24 ハワイ作戦 駆逐艦「ウォード」艦長アウターブジリッジは、第14海軍区司令部へ真珠湾口で正体不明の小型潜水艦を撃沈した事を報告。 「ワレ防衛水域ニ行動中ノ潜水艦ヲ発見 爆雷攻撃ヲ加エタリ」 #ハワイ作戦

2018-12-08 02:24:20
海軍 @6zzOp

12月8日02:24 駆逐艦「ウォード」は第14海軍区司令官に「港外で敵潜水艦発見、攻撃」したと報告、同司令官は応急出動艦である駆逐艦「モナガン」に出動を下令。

2017-12-10 01:06:32
渡邉英徳 wtnv @hwtnv

79年前の今日。1941年12月8日(現地時間),真珠湾攻撃の翌日にハワイ・オアフ島のビーチで発見された日本軍の特殊潜航艇「甲標的」。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/hxefW81oYp

2020-12-08 06:00:05
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渡邉英徳 wtnv @hwtnv

80年前の今日。1941年12月26日,ハワイ・オアフ島の砂浜に座礁した特殊潜航艇「甲標的」。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/tWVHQgwnKm

2021-12-26 06:00:09
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「ハワイヘの通報が遅れた理由

12月7日(日)午前9時、クレーマー海軍少佐は、日本の対米通告電報第14部
(日米交渉打切りを通告するもので、事実上の宣戦通告)
をスターク作戦部長に手渡した。

スタークは驚愕して
「何だって!これは戦争ということだ。
早速キンメルに知らせなければならん」と叫んだが、スタークはホノルルに連絡する努力は全くせず、代わりにマーシャル参謀総長に連絡を取ろうとした。

ところがマーシャルは何か奇妙な理由をつけて、突然、乗馬の遠乗りに出かけてしまった。
タンシル教授は、これは歴史を作った乗馬であると言う。
何故なら、この乗馬が真珠湾への警報を遅らせ、そのため米艦隊に大損害を与え、2000名以上の米国人の命を犠牲にする結果になったからであると論ずる。

そしてタンシルは、この乗馬には何か重大な目的があったのであろうかと疑問を提起している。
この疑問は真珠湾聴聞会を検討するほどに深まってゆく。

陸軍情報部極東課長ブラットン大佐の証言では、同大佐はこの日、午前8時15分~30分前後に第14本目の電報に接し、直ちに国務省へ届けた。

また同大佐が午後1時に対米通告すべしとの日本の訓電を初めて見たのは午前9時頃で、ブラットン大佐は直ちに「日本が本日1時あるいは1時前後に対米攻撃を計画している」
ことが分かった。

クレーマー海軍少佐にとってこの電報は「日本は本日真珠湾を奇襲する」ことを意味した。
この情報は午前10時までにノックス海軍長官の入手する所となり、それは直ちにルーズヴェルト大統領にも届けられたのであった。
(Tansill,Beard 各前掲書。『極東国際軍事裁判速記録』第253号)。

マーシャル参謀総長が乗馬から戻った午前11時25分に、ブラットン大佐は参謀総長室でマーシャル大将と会見、この時マーシャルは14本の電報全部と午後1時通告電を読んだ。
(前掲「速記録」)
タンシルによると、マーシャルは自分の机上の盗聴防止用の周波数帯変換器付き電話か海軍無線かFBI無線によってホノルルに連絡する時間は充分あったが、彼自身が最も良く知る理由で、ホノルルヘの警報を商業通信ウェスタン・ユニオンからRCAに中継して送り、「最優先」扱いにさえしないという不用意さであった。」

ハル・ノートに対する日本の回答入電「これは戦争を意味する」
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-311.html

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