「鬼滅の刃」炭治郎の仕事『炭売り』は、どれぐらい大変だったのか~「町の人は、竈門家を支える気持ちで買ったり用事を頼んだのだろう」
@JaHi8SXKvGxebKx 逆に、昔はそれぐらいしなけりゃ「現金」というのにありつけなかったんでしょうね。 今はどんなつまらない仕事してても決済は現金ですが、昔はその現金にありつくのにそもそも困難があったんですね。
2020-10-23 20:54:54@obenkyounuma 炭治郎の家、そんな職業でも数百年以上途切れる事なく続いているので、実はそこそこ山持ってたりと資産はある程度ある家なのではと思っている
2020-10-23 22:33:00@OGmk23797 こういう仕事をやっていたと言う事はよほど困っていたと言うことになるんでしょうか?
2020-10-23 22:47:18@obenkyounuma @sinkurou 山の境界争いで、領主様が戦に打って出るなんて、そんなに珍しい話では無いですね。
2020-10-24 00:25:49@OGmk23797 @melodiariuma 初めまして。 実家の亡くなった祖父は、炭焼きしてました。山奥に住んで、父が小学校上がるまでずっと。
2020-10-24 03:43:02炭焼きは昭和中期までは生きていました。 事実わしの母親もその手伝いをしていたそうです。 伯母は身体が人より小さく病弱だった母(妹)を気遣い、祖父たちに再三 「あの子に重い炭を担がせるな」 と注意していたと聞きました。 >RT
2020-10-24 11:34:13このシーンは、私も「おや?」と。炭をかごに背負っていくのは、いいとして、上に何もかけず(ゴザとかワラとか)、雪の降る中歩いてるんだよね。あれは、絶対なかっただろう。炭、湿気るよね。。。炭は相当に手や籠が汚れるので、そこらへんもどうしたのかな、とか。薪なら、なくはないだろうが。
2020-10-24 10:17:12流行ってる鬼滅の主人公は炭焼きが家の本業だけど、ど田舎に住んでた時「炭焼き小屋のおっちゃん」って呼ばれてた謎の人がいたのを思い出した。読み書きとか出来ないらしくて病院とか買い物とかは町の人がボランティアで付き添ってたけど何者だったんだろうあの人。
2020-10-24 10:14:22うちの父は北海道移住初代なのですが 岩手県の漁師の10人兄弟の四男で 小学校に上がる前から近所の炭焼き小屋の 手伝いをして小遣いを稼いでましたが あまりに生木割りが上手なので 是非娘と結婚して炭焼きを継いで欲しいと言われた為に 即座に荷物をまとめて 北海道まで逃げたという過去があります
2020-10-24 09:59:48いい話じゃないの?なんで逃げたの?という問いに 当時も炭焼きは儲からない仕事で その家が貧しかった事や そして何よりも そこの娘さんが父より12も年上な上 離婚されて戻って来たばかりの 身長170センチくらいある女性だったので 「まぁ、逃げるよね」(父談) うんまぁ、🥴やむなしかな
2020-10-24 09:59:48炭焼き職人って、儲かったのよ。街の燃料商との取引が有ったから、山奥に住んでても情報が入ったし。 twitter.com/kisei64/status…
2020-10-24 09:26:00辻政信、実家が炭焼きで兄弟が多いという情報を見たせいで、「俺は主席だから我慢できたけど次席だったら我慢できなかった」というセリフが浮かんで仕方ない
2020-10-23 17:03:20いやでもこの炭焼きは儲からない話はほんとそうで、だから炭って一時期本当に見なくなった。伝統を重んじるから多少でも必ず取引があると思われる西の方はともかく、うちの地元当りじゃお茶の先生が一時期とんでもなく困ってたよね。
2020-10-24 09:22:16ただまあ、そういうお茶の先生とかはお高い炭の方が好きだから入手自体はできたみたいなんだけど。 そんで活性炭効果が認められて今ではどばーっと需要が増えた。 なのに、生産側はまだ低迷期からたいして増えないままだから、一部生産者とアーティスト以外はなかなかね……後継者がね……
2020-10-24 09:22:16炭焼きは儲からないかー。なるほど。祖父は明治生まれでそれこそ炭治郎の世代かもしれないが、炭焼きやってたけど、それだけじゃなかったみたいだしな。普通に農家だったみたいだし、神主やってたみたいだし、曽祖父まで遡ると煙草も作ってたみたいだし、話にしか聞いたことないが、結局
2020-10-24 08:28:36何で生計立ってんの…?と思ってたものだが、実際貧乏だったようだしな。それで何人か亡くなってるものの6人も子どもがいたことを現代の価値観で考えるとミステリー…って感じ。そのうちの1人が母なのを考えると、勘弁してくれよ…ってなるけどな
2020-10-24 08:36:10子供の頃は炭焼きって言われても、それが商売になるのか炭を何に使うのかぴんとこなかったが、令和の鬼滅キッズはイメージできるのか…と思うとなんかすごいね
2020-10-24 08:43:34炭焼きのおばあちゃんの話
炭治郎の炭売りの話がバズっているではないか! たたら製鉄に興味のあった僕は、以前中国山地の奥深くで炭焼きをしていた100歳のおばあちゃんに実際に話を聞いていたのでその知見をネットの森に放ってみよう! まず、炭焼きは自分の山を持っているかいないかで結構違ったらしい。つづく #鬼滅の刃 pic.twitter.com/a4CpQidueN
2020-10-24 20:21:01そもそも戦前までの中国山地の奥深くでは、現金はほぼ必要なかった。基本的に地産地消で物々交換。 普通の家庭で唯一現金が手に入るのは米の収穫だった。 だが、炭焼き/売りは即時現金化できる仕事だった。 なので自分の山があれば、農閑期に現金収入を得ることができたわけだ。
2020-10-24 20:21:01自分の山がない場合は、農閑期に大地主に雇われて炭作りをしていたらしい。 中国山地の奥深くなのだが、謎のネットワークがあって飛騨の方から汽車を乗り継いで専門家集団が来ていたらしい。 その人達は、受け持った山での作業が終わるまで家族含めた集団で山で暮らしていたという。
2020-10-24 20:21:01なのでその子どもたちが、転校生としてやってくることもあったとか。 さらにその集団が木で作った食器を売りに来るので、米と交換したこともあったという。 この辺はサンカの都市伝説を匂わせるが、100歳のおばあちゃんいわく、おばあちゃんの祖父くらいの時代にはそのような人がいたらしい。
2020-10-24 20:21:02炭を作る仕事は重労働だが、夫婦二人で行っていたそうな。 炭焼きをする小屋を作り、連日薪をくべて燃やし続ける。 冬の間はその小屋が暖かいので、子供を寝かしてたとか。 おばあちゃんいわく、米と炭(自分の山)の現金収入があったので、重労働ではあったが生活は豊かな方だったらしい。
2020-10-24 20:21:02他にも蜂蜜やぜんまいの収穫などなど、副業をたくさん行っていた。 おもしろいのはどこからか問屋のおじさんがやってきて、現金と交換してくれていたという。 どこからか聞きつけて、蜂蜜問屋のおじさんが毎年同じ時期に買い付けに来ていたとか。 戦前の謎のネットワークすごい!
2020-10-24 20:21:03中国山地は森林が深く、良質な木材が多かった。 たたら製鉄もあったので、炭の質もよく、けっこう人気だったとか。 他にも線路の枕木は水に強い栗の木が良かったらしく、それもけっこう売れたという。 このおばあちゃんの本業はやはり稲作で、副業として現金収入を得ることができる炭作りをやっていた
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