茂木健一郎さんの「知性に対するリスペクト」

脳科学者・茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの7月20日の連続ツイート。 現代における知性とは何か。それは難しい問題である・・・
コラム 茂木健一郎 シラバス 受験勉強 1980年代 知性 大学 計算主義
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茂木健一郎 @kenichiromogi
「連続ツイート」をお届けします。文章は、その場で組み立てながら即興的に書いています! ただ今、パリ滞在中にて、いつもの時間と違いますが、ご容赦。今日は、少しマジメなネタ。いつもマジメですが(笑)。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(1)池上高志(@alltbl)といつも話しているのは、知性に対するリスペクトのこと。この雰囲気がないと、大学というのは本当は厳しい。そして、ぼくの記憶では、例外はあるものの、1980年代くらいから、急速にそれが失われていった気がする。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(2)ぼくの経験では、知性に対するリスペクトを育むのは、受験勉強などではなかった。たとえば、中学校の時に手にした高木貞治の「解析概論」。最初からすべてはわからなくても、ページをめくっているだけで楽しかった。そんなもん、受験に役立つはずもなかった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(3)あるいは、高校の時に愛読したニーチェ。「舞踏」だとか、「ルサンチマン」だとか、そういう概念が本当に血肉になったように感じられた。ドイツ語をやろうというモチベーションも上がったが、これも、受験とは全く関係がなかった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(4)本当の事を言えば、知性に対するリスペクトがあれば、大学での教育は日本語でも何でもいい。一生奮闘しても、絶対に到達できないような深淵。それへの予感。そんなものに対する畏怖の念がある人は、それだけで立派な学生だ。80年代くらいから、日本からそれが失われた。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(5)本物の知性に対するリスペクトがあれば、受験勉強だとか、偏差値だとか、そんなことは本当にどうでもいいこと。しかし、そんな気配が、日本の大学から急速に失われると同時に、「シラバス」が普通のこととなり、就職予備校となっていった。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(6)ぼくと一緒に博士号をとった学生さんは、今までに6名。彼らが最初に国際学会で発表する時に感じるのは、おそらく、「自分がバカだとばれるんじゃないか」という恐怖。知性というのは本来無限であり、文脈と無関係であり、そして、野生のようにどう猛なものである。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(7)ぼくがパリで滞在している場所の近くにColledge de Franceがあり、そこでHenri Bergsonが教えていた。そんな歴史的な事実に対する熱烈なる興味と、深い関心。そんな知性へのリスペクトがある人ならば、まあ、一生大丈夫。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(8)日本の社会が、どんどん軽薄になるにつれて、大学の意味もなくなっていった。困ったことに、軽薄になる方が、現代に適応的でもあった。コンピュータ・ネットワークがもたらした「計算主義」全盛がそれと関係しているが、その話しはまた別の機会に。
茂木健一郎 @kenichiromogi
ちれ(9)現代における知性とは何か。これは難しい問題である。それを模索し続けること以外に、大学や学者、学生の意味はないと思う。シラバスなどという、軽薄なものではそれは拾えない。英語や国際化なしでも日本の大学は再生できるかもしれぬ。しかし、その道は険しい。
茂木健一郎 @kenichiromogi
以上、「知性に対するリスペクト」についての連続ツイートでした。今朝読んでいたStephen FryのThe Fry Chroniclesの中に、ちょうどケンブリッジの知的雰囲気についての記述があったので、もはや日本からは失われたものを思いだしたのです。

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