- tebasaki_s
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つまり、日本側に自分が捕虜になったことを知らされる事は、日本兵士にとって死刑宣告にも等しい事実だったわけである。軍自体がハワイ真珠湾攻撃の甲標的攻撃隊で出撃し未帰還となった10名のうち、捕虜になった1名の存在をなかったことにして九軍神と崇めるぐらいだしなあ。
2011-07-20 23:51:05@norikainigata 他の本でもその事は取り上げられてた記憶 あと別書まで含めて触れられてたのは鬼畜米英言われてる分逆に「優しく」接すると警戒が解けて割合喋るとか、「喋っちゃいけない情報」について教育が無いからどんどん話すというのもあったな
2011-07-20 23:53:07あと、捕虜にとってトンネル掘りとかはいい精神安定剤や暇つぶしにもなるようなことがカレルの「捕虜」に書いてあった希ガス RT: @ROCKY_Eto_Iwao: 「大脱走」の映画の中で捕虜のリーダーがそんな演説ぶってましたな。 RT @V2ypPq9SqY というかむしろ義務だな。
2011-07-20 23:55:11@ryota2424 捕虜になるなとは書いてないですし、捕虜になっても戦いは続くと書いてたんですが・・・…
2011-07-20 23:56:21俘虜は敵のなるもの
市販用の事典であるためでもあろうが、捕虜になるのは敵国軍人で、捕まえるのは我国軍人という関係が前提になってる。「俘虜」の定義からして、「戦争によりて敵国の軍人を我軍の手にて生擒したるものをいふ」のである。やはり、誇り高き帝国軍人に捕虜などいないのである。
2011-07-20 23:56:32@tareyuu 割かし有名な話のようですね。そもそも捕虜になるはずがない組織だから当然捕虜になった時の教育だって無いかおざなり(確か物凄く簡単な教育だけしてたような)になるわけで。ああこれ今に通じる「安全神話のお陰で対策がおざなり」と全く同一ですな。
2011-07-20 23:56:58俘虜生活と娘さん
捕虜収容所といえばどこの軍隊にも『女役』というものが存在する。ジョンブルは「架空の少女」が収容所にいることを演技することによって精神の安定を図り、日本では「女装した兵士」に芸をさせることで精神の安定を図って痛そうな。ちなみ日本版では女役にラブレターが殺到、女役同士で嫉妬が発生した
2011-07-20 23:59:46“@V2ypPq9SqY: 今度は後方で敵の兵站を食らい倒し、生き延びることで敵の兵站に打撃を~~~捕虜収容所からの脱走は兵士の権利である。” 自分が書いた文章よく読んでみろよ。明らかにネガティブだよな?それに、昔は強かったけど今の自衛隊に人をバン出来ると思ってんのか?
2011-07-21 00:00:15もちろん、捕虜を虐待しちゃいけないよとも書いてある。昔は殺したり残酷な扱いをしたけど、今は取扱法大いに面目を改め、「我軍の手に収容されたる者は(略)為し得る限りこれを歓待して其の生命を保証」されるのである。「じゅねーぶ条約」の項目もある。
2011-07-21 00:01:58@norikainigata 話題にしてる事典でも、捕虜尋問でこれを聞けってことは解説してありますが、氏名・階級は答える義務があり、それ以外は黙ってろみたいなことは書いてないですね。
2011-07-21 00:07:35陸軍刑法では
つかそもそも、旧日本陸軍刑法でも明治41年公布の第三章辱職ノ罪第四一条で「やるだけやったなら6ヶ月以下の禁固で許す」と定めてる。つまり最善尽くせば降伏して捕虜になってもOKだったわけ。同条は野戦を対象にしてるが要塞戦でも明治41年刊行の「陸軍刑法義解』で同じように認めてる。
2011-07-21 00:09:37@ryota2424 その文章のどこがネガティブなのかはさておき。撃てるかどうかはやってみないとわからんのでなんとも。
2011-07-21 00:10:19同書では要塞戦の場合は最善尽くしたら敵に占領されても無罪と言ってる。ちなみにこの刑法は太平洋戦争開戦時まで変更されてない。つまり刑法上の責任がないから部下に責任はないし指揮官は野戦の場合でも最高で6ヶ月禁固で終わるはずだったわけである。本来ならば。
2011-07-21 00:11:48@purufeido 個人戦記を読んでいるとちらほら詳しい人も出てきますし、憲兵なんかだともう少しきちんとしてたのかもしれないですけど、全体の水準は低かったようです。
2011-07-21 00:13:27@V2ypPq9SqY 湾岸戦争で捕虜になったSAS隊員の話『ブラヴォー・ツー・ゼロ』は読んでおきたいですねん。捕虜になった時の対応や心がけが実体験を元に満載で。いやまあ体験なんてしたくないですけど。
2011-07-21 00:15:33