捕虜の勧め もしくは脱走しようぜ!

時系列順だと、分かりにくいかも。 誰か編集してくださいw
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プルフェイド・リュパール @purufeido

@baron_yamaneko まあ自分自身もあまり捕虜になった後の教育が十分でなかったらしいので、相手側のもよくわかりませんよね・・・

2011-07-21 00:15:34

俘虜への処遇方針

フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

RT @nanboku_bot: 捕虜となった南軍兵には何の規制もかけなかった、彼らにはわが軍と同じように食料が支給された。わが軍の兵士と捕虜たちは、まるで同じ大義のために戦ってきたかのごとく友好的だった。(ユリシーズ・シンプソン・グラント) #nanboku

2011-07-21 00:16:37
山猫男爵 @baron_yamaneko

RT @Hikasuke333: (将校斥候時)敵の重囲または敵手に陥りたるときの処置 「五 死を装いて夜間脱出帰還し得たることその例に乏しからずといえども常に然るを得ず。万一を僥倖して捕われんより、むしろ進んで自決するに若かざるべし」 『野戦歩兵小隊長必携』(1936年)

2011-07-21 00:17:52
山猫男爵 @baron_yamaneko

前にブログ記事に書いたことだが、日中戦争時と太平洋戦争時の生還した捕虜の処遇方針を紹介。日中戦争時は、一律に敵前逃亡などにあたらないか捜査して、嫌疑あれば起訴、不起訴者・無罪判決者は必要に応じて懲罰処分。将校は別扱い。http://t.co/FMW0eXw

2011-07-21 00:24:53
山猫男爵 @baron_yamaneko

これが太平洋戦争時になると、一律捜査して嫌疑有なら起訴までは一緒だが、不起訴者・無罪宣告者も全員(!)厳重なる懲罰処分となる。将校の場合はやはり別扱い。なお、この将校別扱いというのは、実質は自決しろってことになるんでしょうね。

2011-07-21 00:28:01
山猫男爵 @baron_yamaneko

日露戦争のときは、ロシア軍に捕まってる日本人捕虜に対する手紙や支援物資の送り方などを、「カタカナで書いた方がロシア当局が検閲しやすいから早く着くよ!」なんて官報その他で広報してたのに。同じ国とは思えない。

2011-07-21 00:35:24

精神主義の登場、そして変容

のり @DDH_182_no2ri

じゃあ何であんな有様になったんかいと言えば、大正・昭和陸軍の精神・倫理混同用兵思想とでも言うべき奇奇怪怪な代物のせい。海軍とも共通するが、日露戦争以後の日本軍は「寡を以て衆を撃つ」思想に傾倒していく。しかしどう考えても普通にやっては弱小兵力で強大兵力には撃ち勝てない。

2011-07-21 00:17:31
のり @DDH_182_no2ri

そこで登場するのが兵力の劣勢を補うための精神諸力の滋養と発揮という思想。平たく言えば個々の将兵の頑張りで何とかしましょうという事なんだが、この時点では「兵力が足りないから精神力でカバーする」という健全な思想だったのに、大正昭和と時代が変遷するにつれ、これが変容していく。

2011-07-21 00:19:47
のり @DDH_182_no2ri

つまり「わが精神力は素晴らしく強いから敵の物質的戦力を凌駕して勝てる」というアベコベの捻じ曲がったものに変わっていた。またこの頃から陸軍は負けとは「自分が負けと思ったから負ける」という漫画バキそのまんまの思想を堂々と普及させ、これが発展しいわゆる「必勝の信念」という言葉を生み出す

2011-07-21 00:25:08
のり @DDH_182_no2ri

必勝の信念(=素晴らしいわが精神力)さえあれば勝てるというこの言葉は、軍の光輝ある歴史に由来し赫々たる伝統を持つ国軍の忠君愛国精神を磨くものとされた。こうなるともう正常な思考なんか忘れ去られ「必勝の信念に疑問を抱く(=自分が負けと思う)奴は国軍を侮辱する行為)と解釈される。

2011-07-21 00:29:08
のり @DDH_182_no2ri

ここまで来れば、なぜ降伏・捕虜という選択肢がなくなったかが分かる。戦いとは自分から負けを認める者が負けとなるものであり、必勝の信念を持った将兵に負けなどなく、負けを認め降伏するという行為は光輝ある伝統に則る国軍の栄誉を穢すものであり、そのような行為はありえないわけである。

2011-07-21 00:33:14

責任の果たし方

名無し整備兵 @seibihei

「日本の軍人は責任観念を誤解してはいないか。官吏なら辞職、軍人なら戦死によって最高の責任が果たされるように思っているのは誤りである。自分の職分、地位によって、責任の限度があることを知るべきである。」

2011-07-21 00:32:13
名無し整備兵 @seibihei

「その限度において、全力を尽くしたら、それでいいのである。負傷者、病者は直ちに後方に送るべし。而して健全なる戦友に職務を譲るべきであろう。こうして初めて国家としての戦闘能力が発揮されるのであって、無理に死ぬまで戦わせるようなことは、名誉でもなければ、奨励すべきことでもない」

2011-07-21 00:35:12
名無し整備兵 @seibihei

法学博士の浮田和民教授の弁。遼陽会戦に関して。なお、日露戦争当時の情報幹部として知られる石光真清の従兄

2011-07-21 00:38:25
のり @DDH_182_no2ri

ホント、どうしてこうなったと目を覆いたくなるばかりの思想のウルトラジャンプ&スーパーチャンポン。 思うに、旧陸海軍が一番得意だった事って、「言葉遊び」なんじゃないかなと思う。

2011-07-21 00:40:39