- toopiltzin
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けっこう割れたね…ちなみに私は「強くそう思う」だよ。この論法を認めないと、ラッセルのティーポットや空飛ぶスパゲッティモンスターがいてもおかしくないことになるんだよね…私はそう考えているよ。 twitter.com/viewpointicsta…
2020-12-25 07:09:14@viewpointicstan おや、これはまた私向きの話題ですね。 ではこの問題を「正しさ」ではなく「損得」で考えてみましょう。別に私はラッセルのティーポットやスパモンがいてもなんら困りません。 ただし、この二つの仮定と新宗教?と、現に人の心を捉えている既存の宗教との違いは、”権威”でしょうか。
2020-12-25 18:37:45@viewpointicstan さて、損得感情と言いましたが、神は存在すると得なのでしょうか? 少なくとも、命をつなぐ点においてそのようです。 以前もお話したこの本のお話です。 帰依する世紀末―ドイツ近代の原理主義者群像 (MINERVA歴史叢書クロニカ) 竹中 亨 amazon.co.jp/dp/4623039536/…
2020-12-25 18:38:58@viewpointicstan 結論から言えば、信仰が篤い地域は自殺率が少なく、信仰が危うい地域は自殺率が異様に高かったのです。 人口あたり50%とか言いましたか。これは「世紀末の病」とでも名付けられるでしょう。この時代、進化論によって「神は死んだ」のです。
2020-12-25 18:41:02@viewpointicstan その時、カトリックのような保守派の地域は自殺率に変動がなく、プロテスタントのような革新的な…… ”進化論を受け入れなければいけない”地域は自殺率が急増しました。プロテスタントはもはや、人の生きる意味をつなぎとめることができなくなりました。
2020-12-25 18:42:00@viewpointicstan 私もカトリックの”論理的に破綻している部分”には思う所がありますが、事実人の命を救うならそれは興味深いことです。
2020-12-25 18:42:04@viewpointicstan あるいは、この本も損得には重要でしたね。 バチカン・エクソシスト (文春文庫) トレイシー ウイルキンソン amazon.co.jp/dp/416765167X/…
2020-12-25 18:42:41@viewpointicstan 以前お話した通り、この本では「精神科医監修のもと、悪魔祓いが行われる」のです。なぜこんな馬鹿げた儀式が医術として行われているのかといえば、患者が悪魔を信じ、それゆえ”悪魔祓いによってしか落ち着かない”からです。
2020-12-25 18:44:00@viewpointicstan 「悪魔憑き」を信じている人には投薬もカウンセリングも効果がないようです。すべてではありません。それなりの数の人は精神科医で完治することでしょう…… それでもなお、一定数の人が「エクソシストを呼んでくれ」と居座るわけです。
2020-12-25 18:45:25@viewpointicstan これに関しては興味深い考察があります。前掲書や心理学の本(河合隼雄)なんかでは、西洋の「自我」と悪魔憑きへの考察がされています。それによると、彼らは悪魔と神を”求める”のは、彼等の責任を他者に転嫁するためなのです。
2020-12-25 18:47:52@viewpointicstan 精神病なら、それは自分がかかり、自分が治さなければいけません…… この辺は現代日本の自己責任論にも通じますね。 「これは悪魔の仕業なのだ」と言えば、その人の責任ではなくなります。 類似例は『源氏物語』の狐憑きの例ですね。
2020-12-25 18:49:01@viewpointicstan 源氏側は「新しい妻に嫉妬し、正気をなくした正妻」を”狐憑き”とみなが扱うことで「正気でないこと」を理解しました。これが精神病だと理解されていたなら、やはり「自己責任論」が顔を出すでしょう。宗教と神の興味深い点はまずはこの1つ目。
2020-12-25 18:50:22@viewpointicstan もうひとつの論点は「神はいない」と確信した人が”なぜか”正気を失うことです。その具体例はまず前掲書『帰依する世紀末』のプロテスタントの異様な自殺率にも現れていますが、別の形でも余計にやっかいな形で現れます。
2020-12-25 18:52:05@viewpointicstan 『帰依する世紀末』はもともとナチズム研究の本です。 「いつユダヤ人差別は生まれ、ナチズムは何を源流としたか」 その答えが「神の死」であり、以下のような経過をたどったと筆者は考えているようです。 「神の死」→「自然への執着」→「自然を有する所の、国家の崇拝」
2020-12-25 18:53:59@viewpointicstan 人はどうも、「神なし」だと安定しないようです。 前掲書では他にも「無神論の団体」が新たに建てられたにも関わらず、まさにその団体が新興宗教の団体に変化する過程も書かれています。
2020-12-25 18:55:26@viewpointicstan つまり、人間は神でなくとも(超自然的で、非科学的な)なにかに依存するようです。 もっとも、人間にそういう性質でもないと現代まで宗教なんて存続しないでしょう。
2020-12-25 18:55:58@viewpointicstan それゆえ、「歴史的経緯」から理解するなら神を捨てた後の道こそが大事になります。私が知る道は以下の道です。 1.ナチズム、国家の崇拝 2.新興宗教、新たな神の創設 3.原理主義的な環境論 4.エセ科学への”信仰” ここまでは『帰依する世紀末』で扱われていますね。 もう少し足します。
2020-12-25 18:58:15@viewpointicstan 5.哲学。深い自己への理解による世界の理解 これ以降は蛇足ですかね。 「人間の性質」と見切ればある程度神と距離をとっても大丈夫かもしれません。 「神を捨てた後」は小説『カラマーゾフの兄弟』で問題提起されていますね。有名な「大審問官」という劇中劇です。
2020-12-25 19:00:11@viewpointicstan 作者はドストエフスキー、常識的に考えてクリスチャンですが、彼をして劇中劇はこう語ります。 「人々はキリストによって自由を得たが、人々は自由に”耐えられなかった”。それゆえ、人々は自由を教会に差し出す。教会は自由と引き換えに人々に安心を与える」……
2020-12-25 19:01:34@viewpointicstan 都合の良いことに「大審問官」が出る上巻だけ青空文庫にあります。よろしければどうぞご覧ください。 aozora.gr.jp/cards/000363/c…
2020-12-25 19:02:22@viewpointicstan さあ、結論を繰り返しましょう。ティーポットやスパモンは教会のように人々を安心させるでしょうか。Noですね。 ですが、もしティーポットやスパモンがあることで人々が安心し、それによって余計な争い、自殺、差別が避けられるなら、”非科学的ななにかの信仰”は検討に値します。利益から。
2020-12-25 19:03:49@viewpointicstan このように宗教をある種の主義や陰謀論、なんならエコロジーと関連付けるのは歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの論法ですね。彼の新刊『21 Lessons』の「物語」という章でこの人間の認識の不完全さが論じられています。
2020-12-25 19:05:39@viewpointicstan 21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考 ユヴァル・ノア・ハラリ amazon.co.jp/dp/4309227880/…
2020-12-25 19:05:42