つか ケマル到着のタイミングが神過ぎる。あと一時間が二時間遅ければ、そして司令部の総予備を勝手に突っ込ませなかったら、一日目で決着してたやもしれぬ
2011-07-23 19:40:40@yukikazemaru 両側に大きなミスはあったが、連合軍は毎回勝ちかけていた。だけどそれをしらなかった
2011-07-23 19:42:22上陸作戦に混乱は付き物といえ、なんでこんなアホなことになるのだろうか。最悪から完璧まで10の回答があるとすれば、常に最悪の回答を選び続けるガレポリ上陸軍。
2011-07-23 21:38:13運命論者になるつもりは無いのだが、ここまで来ると作戦どうのこうのより、「運が悪かった」としか言えないレベルで理解不能である
2011-07-23 21:43:243月の連合国海軍による攻撃後でも、オスマン軍の弾薬は大量に残っていた。「one more push」伝説を広めたのはチャーチルで、ムーアヘッドの「ガリポリ」もこれを踏襲している
2011-07-23 21:53:19また、ガリポリ上陸作戦時、ケマルより先に土第9師団予備の第27連隊がアリブルヌ(アンザック湾)に向けて出動しているのを忘れてはならない。ケマルが名将であることを否定しないが。
2011-07-23 21:59:06英陸軍公刊戦史の記述。病気による後送者を含むイギリス軍の損害の総計は20万5千に昇る。戦死、行方不明、負傷合わせて11万5千。病気による後送9万。フランス軍の損害は4万7千。オスマン軍の損害は、公式記録によると25万1千。別ソースによると、35万に昇る。
2011-07-23 22:12:53エリクソン博士曰く、初動でオスマン軍が有利になった理由は以下の通り。1.ドクトリンが高い度合いで標準化されていたこと、2.報告システム、3.火力支援協同。
2011-07-23 22:18:12ザンデルスたそは上陸戦時も、8月攻勢時も主攻はサロスではないかと疑っていた。一方の連合軍は海峡の砲台を占領で首尾一貫していた。
2011-07-23 22:26:18オスマン軍はバルカン戦争の苦い経験から無能な将校のくびを片っ端から飛ばしていったので、ドイツ軍人が肩代わりしてくれるのは助かった。1880年代からオスマン軍はドイツ式に傾倒していたので、ドイツ人が参加しても不具合が出にくかった。
2011-07-23 22:38:46しかし、メソポタミア戦役でのセルマン・パク会戦(クテシフォンの戦い)~クッテル・アラマ包囲戦でオスマン軍は快勝している。メソポタミア方面にはドイツ軍人はほとんど参画していない。
2011-07-23 22:41:10