「名和晃平 シンセシス」展で露呈されたチープな作品世界と大規模個展の弊害
MOTで「名和晃平 シンセシス」展を見た。二巡以上することを前提とした展示なのだが、一巡目は五分もかからなかった。二巡目は「森美的解説」(:なかなか笑える)を読みながら見ることを促される。
2011-07-16 18:34:58(名和晃平 シンセシス)率直に思ったのは「こーやって見ると名和晃平って面白くないんな」ということ。「美術」的な設えや文脈に混じれば何かしらの「新しい感」とかも醸し出せるんだろーけど、独立してこーやって見せると、なんか凄くチーブだな、と。作りというより、発想が。それが全面に出てる。
2011-07-16 18:36:00(名和晃平 シンセシス)結局この展示だと、評価基準のキモが「びっくりする/しない」になってしまっている気がする。だから「びっくりする」人は素直に楽しめるのだろーけど、「びっくりしない」人間にとっては、なんの引っ掛かりもないままスーッと終ってしまう。
2011-07-16 18:37:05(名和晃平 シンセシス)去年のSCAIの個展では、名和作品の面白さをアナログ的な側面(同一シリーズ内の造形による個別の作品の出来不出来の差)に発見したことが収穫だっただけに、今回のようなアナログ要素を消し去る方向の展示では、取っ掛かりがないのは必然と言えば必然なのだが。
2011-07-16 18:38:23(名和晃平 シンセシス)ただ図書室で時間をつぶした後、帰りがけにもう一度覗いてみたら、最初に見たときほど印象は悪くなかった。多分観客(とくに素直に驚いて見ている観客)が増え、会場が「美術展」然とした感じになっていたからだと思う。その意味では観客も本展の重要な小道具なのかも。
2011-07-16 18:39:13中島さんとは若干世代がズレるので感想もややズレるかもしれないけれど、でも歴史的反復(あるいは流行のサイクル)という視点で言えば、バブル末期に自分が(80年代の残滓として?)銀座の画廊の片隅で見かけていたとしてもおかしくないような作品も名和展では見受けられた。
2011-07-25 20:33:19ただあのMOTの展示について言えば、歴史や流行の反復とかよりも、美術館型の大規模個展の弊害を自分は一番に感じたかな。現在では作家のステップアップの過程として30代であの規模のスペースで個展をすることも珍しくなくなったけれど、たいてい「期待」よりも「不安」のほうが的中してしまう。
2011-07-25 20:51:26たとえば名和晃平は今回そうした美術館型大規模個展というハードルをほぼ完璧にこなしていたように思うけど、「完璧にこなした」こと以外はほとんど見るべきものがなくなってしまったように感じた。これでいーんなら初期設定とブランドイメージがあれば、誰が「名和晃平」をやってもやっていけそうだ。
2011-07-25 20:53:03美術館のスペースに対応した大規模個展の弊害は、森美でのカバコフ展(2004年)あたりから痛切に感じ始めた。あぁ~この規模の新作個展を何本もこなさなければならなくなると、こ~なっちゃうのか、、、と。
2011-07-25 20:55:24その場しのぎの一発ネタ以外は、スペースの広大さに比して見るべきものがほとんどない。物理的な制約が創造性に結びつくことはままあるが、近年の「現代アート」の場合はむしろその逆パターン。野放図なスケールへの対応の必要が、内容の希薄さを生むもとになっているのではないか?
2011-07-25 20:56:35