お○ロ○キ○セ○天皇の件と90年代悪趣味系サブカルの問題

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清義明 @masterlow

お〇ロ〇キ〇セ〇天皇、そのHNを見るのも汚らわしいという人がけっこういて、そういう意味で奴なりのゾーニングは効いていたと再確認。

2021-02-19 23:21:25
清義明 @masterlow

しかし、この話は90年代悪趣味系サブカルの問題とも相通ずるものがあると今さら気づいた。 わたしがずっと引っかかり続けているのも、それが原因だ。

2021-02-19 23:23:26
清義明 @masterlow

90年代悪趣味系はアングラだから成立する一種のアイロニーだった。 その愛好者が自分たちがここなら大丈夫というところで、書いてる私も悪趣味、読んでいるあなたも悪趣味という共犯関係があって、はじめて成立するものだった。 もちろんそのルールが共有されている限りでは。

2021-02-19 23:33:03
清義明 @masterlow

最近90年代悪趣味系サブカルが、00年代から巷にあふれたネットの差別思想のボタンを押した犯人扱いされているのを見かける。 それはある部分では正解でもあり、しかし間違いでもある。そこはなんとも口ごもるような説明のしにくさを感じる。

2021-02-19 23:39:04
清義明 @masterlow

例えば『ディープコリア』という本は見る人が見れば差別本だろう。だが、書き手も読み手もそんな意識はない。 むしろここに本音で生きている人間たちがいるという、ある意味の人間賛歌のようなものを感じていた人は多いと思う。

2021-02-19 23:40:49
清義明 @masterlow

ロマン優光『90年代サブカルの呪い』はこう書いている。 「あの本を読んだ受け取り手は韓国に対して肯定的な受け取り方をしていました。当時の日本から失われつつあるプリミティブなエネルギーを感じていたと言えばいいのか」 これは本当にそう思います。

2021-02-19 23:44:20
清義明 @masterlow

だが、同時にそれは書き手と読み手の共通理解を前提とするもので、それは 「自分のような最低の人間でも生きているのだから、みんな生きていていいんだ。そういう反語で書かれた人間賛歌」 があるから成立したわけです。

2021-02-19 23:46:24
清義明 @masterlow

そのうえでロマン優光氏は指摘しています。 それは差別主義者は糞であるみたいな前提が全員に共有されていることで成立したもので、それを共有していると知らない人が見れば、差別主義者そのものに見えてしまう。 そして差別主義者が見た場合、それをアイロニーとして受け取られない可能性もある、と

2021-02-19 23:52:04
清義明 @masterlow

そうしたギミックをギミックとして受け取れない人が続出してしまった側面もあるというのは、『90年代サブカルの呪い』が悔恨として認める部分です。 しかしそれでも90年代サブカル戦犯論みたいな論調に対する反論はさせてくれというのが同書です。 私は同意できました。

2021-02-19 23:59:10
清義明 @masterlow

ロマン優光氏は書いています。 「ヒステリックな浄化運動にも、単に誰かを差別するためにそういったものを利用する輩にも、反していかなければならない。良俗に反しながらも、汚い劣情と寝ないような姿勢がなければ、表現としてのそういうものは生き残れない』と。 amzn.to/2Ztg1Uk

2021-02-20 00:03:02
清義明 @masterlow

そういう意味で「表現」の可能性を擁護する立場にいる津田さんが、アイロニーが通じない前科がありすぎるネット社会で危険だというストップをかける理屈もわかるし、アレはむしろ差別主義者をバカにするネタだろうという理屈もわかる。 なんとも難しい話なのである。

2021-02-20 00:07:00
清義明 @masterlow

『90年代サブカルの呪い』は、発信者側が自分たちの遊びを本気にする連中がいるという想像力が書けていたことと、いわば自己批判しています。 「もう電波に対してそんなに真剣に悩まなくていいんだ。好きに生きろよ」と書いた村崎百郎氏の不幸な最後が全てを物語ります amzn.to/2Ztg1Uk

2021-02-20 00:17:19
清義明 @masterlow

連ツイ、地の文に『90年代サブカルの呪い』の引用部分が混じってしまったけど、面倒だからそのままで。 おね〇リ〇メ〇ク天皇の話を、もう少し考えたい人にも、90年代サブカル悪趣味系の反論と悔恨について知りたい人にもオススメ。

2021-02-20 00:25:19