高岡滋医師の見解(水俣と今回の原発について)

高岡医師の見解。
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高岡 滋 @st7q

(1)放射線について、「人体影響の科学的データがない!」と声高に言う人には、「それがどこから手にはいるのですか?」と尋ねてみましょう。それは、放射線の被曝を受けた被害者・犠牲者からのものです。犠牲なしにこの科学が存在しないことを考えれば、威張って言うようなことではありません。

2011-07-23 07:41:32
高岡 滋 @st7q

(2)問題なのは、「科学」を盾にものを言う人が、データ収集の難易度を認識し、あるいは実際に真剣に収集しようとしているかどうかです。特に行政に従う「専門家」は、行政に都合の悪いデータをスルーする方法を知っています。自分で収集せずに、「科学的根拠がありません」と言う可能性も大です。

2011-07-23 07:41:50
高岡 滋 @st7q

(3)このような「専門家」は、自分が科学的であるかのような物言いをしますが、実際には、それは科学の営みではなく、科学の理論や推論の切れ端を利用して因果関係を否定し、それが科学的であるかのように装っているのです。水俣病ではそのような物言いをする医師がたくさんおりました。

2011-07-23 07:42:35
高岡 滋 @st7q

(4)最近の報道をみると、国と福島県の調査というものは、これまでの水俣病でのやり方よりも、手法がグレード・アップしていく可能性があります。例えば、私たちの批判や健康不安の声があると、それに対応して、まともな調査であると装うようになってきます。

2011-07-23 07:42:50
高岡 滋 @st7q

(5)環境汚染の人体被害に関する調査で重要なのは、被害を反映しうる項目を調査することです。これはその専門家がどこまで被害を想定するかにも依存していますし、医学の進歩により、知見も変わってきます。ですから、調査機関には、行政から独立した専門家を入れなければなりません。

2011-07-23 07:43:08
高岡 滋 @st7q

(6)もう一つは、国民自身の記録をとることです。住民の個人的な記録、医師の記録、水俣病一斉検診のような調査も含みます。これらを模索しなければなりません。行政による専門家支配と、専門家の行政依存を監視・批判し続け、専門家と行政の関係の透明化を求めていかなければなりません。

2011-07-23 07:43:55
高岡 滋 @st7q

①水俣病患者数はもともと膨大であったと思いますが、近年症状が出てきた人が存在することも事実ですし、医学的知見の進歩もあります。これだけで一冊の本が書けそうですが、これから数字を打ってツイートしてみます。@hokketama 何故患者さんの数が年とともに増えるのでしょうか?…

2011-07-28 11:23:50
高岡 滋 @st7q

②水俣病の原因となったメチル水銀の人体影響はもともと未知であった。そのような物質の毒性は、曝露を受けた人々を調査して初めて判明するが、国や国に従う専門家らによる調査がなされず、結局、熊大第二次研究班、私たち医師団などの研究成果の根拠の一部を国が取り入れ、救済がなされてきた。

2011-07-28 11:27:51
高岡 滋 @st7q

③昭和34年に水俣病の原因がメチル水銀と判明してからも、昭和43年まで(メチル)水銀を海に流し続け、魚介類摂取制限や禁止が事実上なされなかった。水俣病の原因が魚介類と判明したのは早かったが、汚染魚の流通はそのままであった。

2011-07-28 11:35:53
高岡 滋 @st7q

④医学的根拠のない診断基準(いわゆる昭和52年判断条件)を設け、厳しくした。しかも、この52年判断条件の実際の運用も厳しくされ、基準が根拠なく厳しくされた。このような運用には、文書化されたものと、文書化されていないものがあったと思われる。

2011-07-28 11:45:33
高岡 滋 @st7q

⑤メチル水銀によって引き起こされる健康障害が何なのか、行政は国民や住民に知らせなかった。判断条件の誤りは、ここにも影響している。現在、水俣病特措法は「あたう限りの救済」を掲げているが、それにふさわしい周知の努力はなされていない。

2011-07-28 11:46:32
高岡 滋 @st7q

⑥水俣病をめぐる差別があり、水俣病であると申告、主張できない環境が長期間にわたって続いていた(いる)。行政は、水俣病差別に対する対応どころか、水俣病の差別を助長、利用したと考えられる。住民間や患者間の分断を誘導し、分裂を救済拒否の理由にしたこともある。

2011-07-28 11:50:28
高岡 滋 @st7q

⑦国側の医学者は、水俣病の拡がりや健康障害の内容を調べるための調査・研究をおこなわず、医学的根拠なく行政に従った。実例としては、昭和48年の第三水俣病をめぐる環境庁「専門家会議」、昭和52年判断条件策定、昭和60年に判断条件に関する「医学専門家会議」。

2011-07-28 11:56:44
高岡 滋 @st7q

⑧裁判が起こり、判決や和解のたびに行政は「解決策」を出すが、裁判の当事者が関連する範囲に救済をとどめ、出生・居住年や居住歴、救済基準などの救済範囲を狭く設定した。今年の裁判和解では、指定地域外の住民や昭和44年12月以降の出生者を一部救済したが、今後の運用は不透明である。

2011-07-28 12:00:05
高岡 滋 @st7q

⑨メチル水銀による健康影響は、摂取量、胎児・小児・成人などによっても違い、個人差もあり、個人診断可能なレベルから集団で始めて異常とわかるレベルまである(水俣は濃厚汚染時期が長く、長期汚染であった為、多くは個人診断可能)。摂取後すぐに異常が出現するとは限らず、症状の変動もありうる。

2011-07-28 12:04:42
高岡 滋 @st7q

⑩水銀は昭和7年から流され、昭和31年に公式発見された後、それ以前に重症例が散発していたことがわかるが、この時期に多数の軽症例が見逃されていたと考えるべき。診察しないと分かりにくい場合、症状があっても水俣病と自覚されない場合もあり、メチル水銀の症候は見逃されやすいことに注意。

2011-07-28 12:10:11