小松左京死去に対しての(主に)SFクラスタの人たちの追悼(その1)
- kokada_jnet
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今日15日は新聞休刊日.15日にあたるときくらい別の日を休刊にしろよ...と思わないでもないけど,各紙とも14日に終戦に関する特集的な社説を掲載.そんな中,ジャパンタイムスは普通の2本立てで,小松左京の死(戦後史にからめて),もう1つは「ぴあ」の廃刊について...
2011-08-15 13:25:34@golivewirecom 【あと3日】8月17日小松左京追悼トーク「巨星、宇宙に逝く」。18時半〜開演まで幻のサウンドドラマ「宇宙に逝く」をBGに流します >> こちらのイベントですが、何時から会場には入れますか?
2011-08-15 15:02:10小松左京の自伝的エッセー「SF魂」(新潮新書)を読んだ。戦前戦後に10代を過ごし、「児戯に等しい」とまでいわれたSFの地位を向上させ、日本を沈没させたり、首都を消滅させたり。文章を駆使し、想像を吐き出し続けた、おもしろい人だったんだなぁと、いまさらながら知りました。
2011-08-15 15:32:28被災地、被災地以外の日本、海外からの視点、などなど、多様に織り込み、故小松左京から20代の書き手まで、それぞれの世代の視点も多様に盛り込んで、そしてイデオロギー的・倫理的な統一を「敢えて」しなかったが故に、非常に豊饒で多角的な本になったと思います。
2011-08-15 17:30:43是非お手にとってください! RT:@naoya_fujita 「3・11の未来 日本・SF・創造力」これは読みたい! 26日が発売日ですね。
2011-08-15 18:14:17故小松左京氏の作品や、日本SF第一世代の作品に表れている原爆や放射能の問題などをここ数ヶ月読んできて、8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下、そして8月15日の終戦記念日を経験してみると、全く今までと、アニメやサブカルチャーに対して見る目が変わってしまっている。
2011-08-15 23:02:40「SF」という軸は、現在の、一過性で消費されてしまいそうなサブカルチャー評論やオタク評論・ネット評論が、歴史や政治・経済などと繋がって強度を持つために非常に有効だと思う。
2011-08-15 23:04:21ここのところ小松左京作品を読み返していたためか、「読んだことのなかった小松短編の中に、無類に怖い作品を発見して昂奮」という夢を見る。夢で読んでいたのは、テレビ創世期に、企画相談を受けた小松が発案した、エーヴェルスの連続自殺ものの怪異譚『蜘蛛』のドラマ化の顛末を語る、という短編で。
2011-08-16 00:30:35限りなく朧なのだけれど、夢の中で、知人に「この小松が企画の『蜘蛛』ドラマ化って実話なの?」と聞いていたような? いなかったような?
2011-08-16 00:36:39夢の中での、小松発案の『蜘蛛』ドラマ化は、撮影時に何か忌わしいことが起ったらしく、製作中止となったらしいのだけれど、ドラマ内での、人々を連続自殺に誘い込む「蜘蛛」登場シーンについて、夢の小松はその短編作の中でこう書き記していた。 「あんな怖い映像は、見たことがない」
2011-08-16 00:45:09この「見たことがない」の言葉を見つけるくだりは、夢の中ながらえらくはっきりと記憶していて。 自分勝手に「ああ~、この『蜘蛛』ドラマ化体験が、小松左京の中で後に『牛の首』へと繋がるのか!」と盛り上がってしまっていた。
2011-08-16 00:49:28目が醒めてみると、小松左京がエーヴェルスの『蜘蛛』について言及した文章を特に読んだ記憶もなく、なんで小松がエーヴェルスと結びついた夢を見たのか、は、夢らしくただただ不思議なのだけれど。 単に極私的な好みが噴出しただけか。
2011-08-16 00:58:12エーヴェルス『蜘蛛』や、『蜘蛛』から示唆を受けた江戸川乱歩の『目羅博士』あたりの、連続自殺ものの怪異譚の映像化は、ぜひとも見てみたいものだけれど。
2011-08-16 01:07:42小松左京の親友、高橋和己の代表作『憂鬱なる党派』を引っ張り出して見ていたら、小松『日本アパッチ族』の「まえがき」と重なる、「廃虚」についての思考が記述されていた。
2011-08-16 01:15:05…朝起きて顔を洗い…朝の挨拶をし、自分のそれぞれの務めを果たし、そして夜眠るという日常の形式を頑固に守り続けること。どんな悲劇も日常化してしまうこと、戦争を日常化し、窮乏を日常化し、いかなるものをも日常化するその日常性の地点から…虚妄の希望と虚妄の絶望を批判し拒絶すること」
2011-08-16 01:26:33『憂鬱なる党派』は、原爆症を患った青年が、かつて共に大学紛争を闘った友人たちを訪ねて回るという、高橋和己の自伝的要素孕まれた物語なのだけれど、そこで描かれる元同窓生たちの風貌の中に、かつて京大で高橋と同窓であり、共に同人活動行った小松の姿もまた塗り込められているのだろうか?
2011-08-16 01:35:04小松左京の、こと小説作品には、高橋和己の挙げる「廃虚ののちの人間の、三つの生き方」をそれぞれに横断して行く、多岐の可能性が在り。
2011-08-16 02:06:28「震源域、水深3200mの海底に亀裂」の記事を見た時、小松左京の『日本沈没』序盤のそっくりな場面を思い出す。潜航艇で潜った日本海溝の海底が異様な状況になっていたというものだった。…小松左京も宅間守がいなければ穏やかな晩年を送れただろうに。☞http://t.co/jpoeQTG
2011-08-16 06:38:10小松左京が、ある物理学者に、人類の文明はそれがどれくらい栄えようと、物理的に永続することはありえず必ず終わりがくると告げられ、床を転げまわって泣いたという話、だれかのエッセイだったと思うのだが、どうもソースが見つからない。ただ、事実だとは思う。
2011-08-16 06:37:03