2021.03.07 NHK大河ドラマ「青天を衝け」 第四回「栄一、怒る」放送後の町田明広先生による解説ツイート

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町田 明広 @machi82175302

「青天を衝け」4回目を拝見!今日も盛りだくさんで、まさに大河ドラマの醍醐味を堪能しました!中でも、慶喜と円四郎のやり取りは思わず吹き出してしまうほど、非常に面白かったですね😃橋本左内や井伊直弼など役者も揃い、かつ安定の時代考証も相まって、これからも期待大です😉#青天を衝け

2021-03-07 20:44:26
町田 明広 @machi82175302

まずは、冒頭に登場した浜田彌兵衛から始めよう。江戸初期の貿易商で寛永2年(1625)、長崎代官末次平蔵の命で台湾に渡航したものの、交易を図ったが台湾に根拠地をもつオランダ総督の妨害で失敗した。#青天を衝け

2021-03-07 20:45:03
町田 明広 @machi82175302

浜田彌兵衛は、この報復のために武装兵を率いて台湾にわたり、オランダ人の根拠地に切りこみ捕えられた。結果はオランダ側の謝罪で終わったが、この事件のため、日蘭貿易は一時中絶した。なお、生没年不詳。#青天を衝け

2021-03-07 20:45:21
町田 明広 @machi82175302

さて、まずはペリーの話題から。1年後と言い残して立ち去ったペリーであったが、嘉永7年(1854、11月27日に安政に改元)1月16日、半年程度で早くも再来を果たした。これは日本への再航に障害が生じるのではないかと、ペリーが焦燥感を募らせたことによる。#青天を衝け

2021-03-07 20:46:24
町田 明広 @machi82175302

その理由として、ピアース新大統領が対清(中国)政策に重点を置き、ペリーの使命に対して消極的になったことがある。また、清国駐在公使マーシャルがペリー艦隊に居留民保護の援助を求め、彼と軋轢が生じたことも、ペリーには日本行きの妨げになると感じたのであろう。#青天を衝け

2021-03-07 20:47:00
町田 明広 @machi82175302

ペリーは、中国進出の中継基地として、また捕鯨産業の維持・発展に極めて重要な日本を開国させた名誉を、何としても自分のものとして手に入れたかったのだ。ペリーは間違いなく、焦っており、それがこの短期間での再来となった。#青天を衝け

2021-03-07 20:47:24
町田 明広 @machi82175302

これを迎え撃つことになった、老中阿部正弘を首班とする幕閣の対応を見てみよう。阿部は当時の実力者である徳川斉昭を取り込むため、彼を嘉永6年7月に海防参与に任命した。斉昭は盛んに建白をしたが、その中で「内戦外和」の主張を繰り返した。#青天を衝け

2021-03-07 20:48:08
町田 明広 @machi82175302

斉昭の主張の中身は、国内で危機感を煽って武備を充実させ、それまでは交渉を引き延ばそうという消極策で、いわゆる「ぶらかし」戦法である。そして、嘉永6年11月1日、幕府はペリーの再来を見越し、「大号令」を発してどのように対応するかの方針を世に示した。#青天を衝け

2021-03-07 20:49:06
町田 明広 @machi82175302

大号令では、ペリーの要求に対する諾否は留保したままで、なるべく平穏に処理するという漠然としたレベルのものであった。まさに、「ぶらかし」戦法そのものであった。また、アメリカが武力を行使する可能性に対する覚悟を促し、万一アメリカから戦端を開いたら開戦止む無しを厳命した。#青天を衝け

2021-03-07 20:49:53
町田 明広 @machi82175302

しかし、その主意はあくまでも「ぶらかし」にあって、本心から戦闘をする意志などなかった。阿部は、斉昭に諮って対外方針を決定する一方で、諸侯・幕閣・幕臣らに大統領国書の訳文を示して、広く意見を聴取した。家康も驚いた、前代未聞の「言路洞開」である。#青天を衝け

2021-03-07 20:50:35
町田 明広 @machi82175302

その結果、おおむね「ぶらかし」論に沿った意見が中心で、祖法である鎖国体制を堅持し、武備充実までは交渉を引き延ばすというものであった。残念ながら、将来的な生産性のある意見は乏しかった。#青天を衝け

2021-03-07 20:51:51
町田 明広 @machi82175302

一方で、勝海舟などの一部の幕臣は、寛永期以前、鎖国は祖法などではなかったとし、通商を認めて貿易の利潤によって軍艦を建造するなど、武備充実を図ることを提言した。しかし、大号令はこれら少数意見に斟酌しなかった。#青天を衝け

2021-03-07 20:52:37
町田 明広 @machi82175302

嘉永7年3月3日、日米和親条約がペリーと日本側全権の林復斎との間で締結された。主な内容は、下田と箱館の開港とそこでの薪水・食料など必要な物資の供給、漂流民の救助と保護、アメリカへの最恵国待遇であった。#青天を衝け

2021-03-07 20:53:00
町田 明広 @machi82175302

開港というと、まるで開国したような印象を受けるが、日本のすべての港で物資の供給などをすることはできないので、下田と箱館の2港を指定したという意味である。開港というよりは、寄港を許したとする方がより正確である。#青天を衝け

2021-03-07 20:53:17
町田 明広 @machi82175302

また、アメリカ人の行動の自由が保障されたが、行動範囲が厳しく指定されており、これをもって外国人の国内への侵入を許すことになったわけではない。あくまでも、物資の供給を受けるための一時的な居留を認めただけで、恒久的な居住を認めたわけではないのだ。#青天を衝け

2021-03-07 20:54:22
町田 明広 @machi82175302

なお、日本にとっての最大のポイントは、通商を回避して和親に止めたということである。つまり後世の我々が開国と位置付けている日米和親条約は、当時の日本人にとって見れば、アメリカとは国交を樹立したものの物資の供給(施し)を認めたに過ぎず、鎖国政策を順守したことに他ならない。#青天を衝け

2021-03-07 20:54:59
町田 明広 @machi82175302

確かに、正式な国家間の条約ではあったものの、これ以前に天保の薪水給与令があり、内容的にはその考え方と何ら矛盾していない。これは撫恤政策と言えるもので、外国船を追い払う鎖国と、貿易を開始し外国人を国内に受け入れる通商の中間のような対外政略である。#青天を衝け

2021-03-07 20:55:33
町田 明広 @machi82175302

もちろん、日米和親条約は国家間の正式な条約であり、一時的であれ居留を認めた事実などから、天保の薪水給与令から通商に大きくシフトしたことは否めない。しかし、日米和親条約はあくまでも鎖国の枠内であり、この段階では開国はしていないのだ。#青天を衝け

2021-03-07 20:56:45
町田 明広 @machi82175302

1年半後にその報告を受けた孝明天皇が嘉納、つまり了解している事実からも、鎖国体制の堅持と同時代人は認識していたと言えよう。和親と通商では、それほど大きな違いがあった。このあたり、なかなか理解が難しいかも知れない。#青天を衝け

2021-03-07 20:57:05
町田 明広 @machi82175302

幕府はアヘン戦争や南京条約の締結について、十分な情報を入手していた。戦争には負けたものの清は南京条約を和親条約と位置付け、現に正式な通商を認めていないことがその後分かってきた。アヘン戦争によって清が英国の植民地になったような物言いもされるが、それは決して事実ではない。#青天を衝け

2021-03-07 20:58:13
町田 明広 @machi82175302

清(中国)は東アジア的華夷思想の中にまだ浸っており、イギリスに対して撫恤を施したとしか認識していなかった。このことから、幕府にはアメリカも和親条約で了解するとの読みがあったのかも知れない。#青天を衝け

2021-03-07 20:58:46
町田 明広 @machi82175302

なお、清が文字通り、欧米列強による帝国主義支配を受け、植民地にされ始めたのは、アロー戦争(1856-60)後の天津・北京条約(1858・1860)によってである。なお、この戦争の余波による日米修好通商条約の締結経緯は、いずれ放送回時に述べたい。#青天を衝け

2021-03-07 20:59:03
町田 明広 @machi82175302

通商を求めたペリーに対し、林復斎は人権を振りかざすペリーを逆手にとり、来意は漂流民の救助と禁錮や虐待の禁止を求めるためで、通商は人命にはかかわらないと論破、和親は受け入れるものの、通商は断固として拒否。通商拒否に対し、ペリーは熟考の後、棚上げにすることを了承している。#青天を衝け

2021-03-07 20:59:57
町田 明広 @machi82175302

交渉の経過は、幕府が単なる弱腰外交一辺倒でなかった証拠であるが、米国が日本との貿易には多くを期待していなかったことの裏返しでもある。米国書にも、貿易については5年ないし10年間試験的に実施し、利益がないことが分かれば、旧法に復することもできると明記されていた。#青天を衝け

2021-03-07 21:00:47
町田 明広 @machi82175302

ペリーにとって、和親条約では必ずしも使命達成とはいかなかったが退役が近づいており、日本を開国させたという名誉をもって退く決意であった。通商条約を結べなかったが、アメリカに帰国後、あたかも通商を開始し、日本を開国させたというプロパガンダをメディアに対して行っている。#青天を衝け

2021-03-07 21:01:08