2011年7月29日(金)夜
@yozhiku 病名や診断ってものが記号的分類の手法なので、どうしても主観性や共同主観性を排除できない部分が残ってしまうのだと思います。
2011-07-30 02:20:54@yozhiku 多少でも臨床をやっていたらそういう感覚が分かると思うんだけど、なぜかある分野に対してだけそれが効かない、という現象については、まああまり深追いしないほうが良いのかもしれませんが。フロイト的に。
2011-07-30 02:21:37@yozhiku DSMのWikipedia項目にも述べられていたように、精神分析的な問診中心の診断から、脳生理学的な検査中心の診断に変わってゆく可能性も今後は十分あると思います。「話を聞かない男・・・」でポピュラーサイエンス的にですが、紹介されていた方向性ですね。
2011-07-30 02:25:51@yozhiku そう考えるとペドフィリアという「診断」ってのは、現時点では、非常に社会的な要因を含むと考えざるをえない。なぜそれに糖尿病が対置されるのか、そのセンスがわからんのです。
2011-07-30 02:27:55@nankado あ、ごめんなさい。誤解をまねいたかな。名古屋で、若い人が糖尿病で時折意識がなくなるということがあるにもかかわらず、運転手を続けて、結果、人が亡くなったということがあったので。生活のこともあるし難しいよなと。
2011-07-30 06:25:26誤解を招いてはいけんので補足します。糖尿病のかたは、運転は出来ないわけではないです。欠格事項ではないです。運転手にむかない症状が出ることがあるが、欠格事項ではないため、本人の判断に任されている、といったような意味あいでした。誤解を招く表現で失礼しました。
2011-07-30 06:39:43@yozhiku むずかしい。なんかの欲望の水位を超えないって、確信できる人も確かにいるだろけど…。ロリコン座談会とか、本当に、よくなかったんじゃないかなあ…あれが人の親に与える圧迫感は相当のもんがある。
2011-07-30 06:33:55@Hornet_B 欲望という言葉を使うと心理の問題に見えます。が、糖尿病で意識がとぶ人と とばない人がいる。その時に、ある病者がそのいずれに属するかを(事前に)確実に判断できるのか、というのと実は同形かもしれないです。 ロリコン座談会は所詮ネタだと思うので私は触れませぬ。
2011-07-30 11:02:38@Hornet_B あ。「あれが人の親に与える圧迫感は相当のもんがある」というのには同意します。 でもああいうテクストは、つねに存在する。たとえば同性愛者がヘテロを強姦するのってたまらんよね!とか言ってるテクストだってありうるわけです。でも、それをもって同性愛を語ったらおかしい。
2011-07-30 11:06:41@nankado すると、「ペドフィリア」という精神疾患における診断は、極論すれば「病名」としては認めないほうがよい、ということ? (慎重に扱うべき、と言いたいのだとは思いますが。)
2011-07-30 10:19:29@nankado ラベリング→規制で簡単に再犯を防げるのか、といえば否だと私は思います。 が、ではそれを禁じ手にするならどういうモデルを立てるのか(立てうるのか)ということではあります。体感治安の問題に近いのかもしれません。ただし、被害者もその家族も現にいる、わけですが。
2011-07-30 10:29:07@nankado 同意します。もちろん、考慮だにしていないかは分かりませんが。 →たとえば、トレースされない手段を持っていれば累犯は止められないし、逆に「病名」をつけられれば強制的にトレースできるわけですよね。そういう問題も当然歴史的にはあったわけだけど
2011-07-30 10:30:18@nankado それはむしろモダンなのでは。きわめて「近代的」です。 →試験紙をなめたら異常者が分かる、みたいな感覚が「規制」の根底にはあるんじゃないかと・・・。どこかで「違うもの」として捉えていますよね。それこそプレモダン的な感覚というか・・・
2011-07-30 10:31:17@yozhiku 「病名」の判断基準を設定するのは権威ですから、私が言うことではないですね。ただ、どのように基準が設定されているのかはある程度知っておくべきでしょう。
2011-07-30 10:29:40@yozhiku 被害者やその家族が、ラベリングで救われるのかどうかは、また別問題でしょうね。もっとも現状では、被害者に対する支援を行うほうが、規制を行うよりも先ではないかと思われます。
2011-07-30 10:31:36@yozhiku じゃあ、言い換えて19世紀的と言えばよいでしょうかね。20世紀はそういう枠組み(自・対・他)がどんどん崩壊していった時代だったわけで。
2011-07-30 10:34:02それは糖尿病に固有の問題なのか、他の重篤疾患にも起こりえる疾患管理の問題なのか。後者ならば、ラベリングが間違っているわけですね。 RT @Hornet_B: //名古屋で、若い人が糖尿病で時折意識がなくなるということがあるにもかかわらず、運転手を続けて、結果、人が亡くなった//
2011-07-30 10:36:42@yozhiku ラベリングは差別意識の形成に役立つということを考えると、被害者のうっぷんを晴らすために差別意識に差し替えてぶつけさせる、というスケープゴート形成モデルは成立するかもしれません。抜本的な解決策ではないですけどね。
2011-07-30 10:39:38@nankado 誰が診断するか(権威)の問題ではなく、病名という「ラベリング」を認めるか、です。精神疾患を病名(病気)として認めないなら、糖尿病との比較を強力に否定できます。 (あ、「どのように基準が設定されているのか」私はもちろん知っています。もちろん「ある程度」、ですが。)
2011-07-30 10:50:23@nankado 別問題ですね。ただ、被害者が事後的に救われるかどうかの問題と、予防の問題は別です。(医療の問題と公衆衛生の問題が別なのと同じなのかな。) →被害者やその家族が、ラベリングで救われるのかどうかは、また別問題
2011-07-30 10:52:28@nankado ですね。その点で、昨晩のnankado兄の指摘をポストモダンだなあと思って私は読んでいました。ポストモダンとはつまり20世紀の思考、なのでしょう。 →言い換えて19世紀的と言えばよいでしょうかね。20世紀はそういう枠組み(自・対・他)がどんどん崩壊していった時代
2011-07-30 10:54:40@yozhiku 「社会的に」病名はつかないけど、実際にはこの病気の典型的な症例だ、というケースは存在するんですけど、それはどうですかねぇ。そういうケースに出会った時のほうが、むしろ、いろんな意味で注意しなければならないと思うんですけどね。ラベリングなんて飾りですよw
2011-07-30 11:40:14@yozhiku 僕もまあ感覚は重視してるんですけど、それを無批判に表明して良しとする個人的な基準は持ってないですねえ。直感と、ナイーブな思考ってのはまた別物だと思うし。
2011-07-30 11:42:18