日米の飛行機と自動車の大量生産

戦前戦中日本とアメリカの生産体制の違いを解説するツイート集。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

1944年の航空機生産数は日本の2.8万機(曲がりなりにも、世界4位)に対して、米国は10.1万機です。かかる生産量の圧倒的な懸隔が、稼働率の優劣と相まって、航空戦力の絶望的な差に結実し、ひいては戦局の帰趨を決定づけました。 pic.twitter.com/T9f6nKiiNy

2021-03-13 17:26:57
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HIROKI HONJO @sdkfz01

日本同様、多数の非熟練工に依存しながら、これ程の成果を上げた米国の航空産業の成功の秘鑰は一体何だったのでしょうか?次項ではそれをご紹介します。 (本項のデータは主として 佐藤達夫「戦前日本軍機の特質と戦後の自動車開発に関する一考察」より引用しています。) pic.twitter.com/PT7D9s6RGR

2021-03-13 17:28:14
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HIROKI HONJO @sdkfz01

《米国の大量生産ノウハウ》 米国をして、航空機生産量の急増を可能ならしめたものは、「大量生産体制」(俗に「フォード主義」)と呼ばれる、体系化された生産管理システムです。これは、①製品・部品の規格化、②専用機械の導入、③作業の標準化、④流れ作業化という四つの要素が要諦となります。 pic.twitter.com/nYlLSjTMLq

2021-03-13 17:29:38
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ヒラリー・クリントン大好き! @inchikihillary

フォード社ウィローラン工場でのB24の生産については、文林堂刊・世界の傑作機No.160 B-24に詳しい。 米国の大量生産システムの源流はヘンリー・クレイの唱えたアメリカンシステム(更に辿ればハミルトン初代財務長官)にある。そのクレイの政策を継承したリンカーン大統領はやはり偉大だ>RT

2021-03-14 03:13:39
HIROKI HONJO @sdkfz01

① 製品・部品の規格化とは、バリエーションを絞ることで、効率よく量産を行うことを可能にするものです。1908年からおよそ20年間も生産され続け、累計1,500万台に達したフォードT型がその象徴と言えるでしょう。 pic.twitter.com/sAnvfKtKe4

2021-03-13 17:30:47
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② 専用機械は、全自動、ないし未熟練工でも確実な作業が行える半自動式の加工機械を意味します。これは規格化された製品・部品の量産に特化した設備で、熟練工が用いる多品種少量生産のための汎用機械の対極にあるものです。 pic.twitter.com/GXdw3V3XSr

2021-03-13 17:31:58
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③ 作業の標準化は、労働者一人一人の作業を綿密な時間研究に基づいて最適設計し、未熟練工でも対応できるよう明確に定義(マニュアル化)することです。専用機械を用いるため、これを操作する作業は比較的単純です。それらを幾つか組み合わせて一人分の標準作業を構成します。 pic.twitter.com/pmZA4INqyU

2021-03-13 17:33:31
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④ 流れ作業化とは、究極的にはアッセンブリーライン(自動コンベアライン)の導入を意味します。③の作業標準化の段階で、各労働者の作業時間を平準化しておき、これをタクト・タイムとしてラインを稼働させます。(チャップリンが映画「モダン・タイムス」で揶揄した生産方式ですね。 pic.twitter.com/c9MF1bqbqH

2021-03-13 17:34:55
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また、品質管理には今日SQCとして知られるものが導入されました。これは統計学を駆使して品質検査を行い、異常が発生した場合には科学的に原因を割り出し、不具合を排除するものです。

2021-03-13 17:35:55
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「フォード主義」は、その名の通りフォード社の生産・品質管理技術者によって完成され、1913年にハイランドパーク工場に設置された生産ラインに結実しました。これにより、それまで職人の熟練に頼っていた時代は自動車1台あたり748分かかっていた生産時間が、93分にまで短縮されたのです。 pic.twitter.com/mg7xglgGdr

2021-03-13 17:37:07
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かくて、フォードT型の生産台数は1910年の2万台から、1925年の200万台へ爆発的に増大。価格は1/3以下になったのでした。それこそは第二次大戦下の航空機生産の先行体験に他なりません。 この生産システムはGMやクライスラーへも伝播し、デトロイト方式とも呼ばれるようになります。 pic.twitter.com/JJaqBNXEIa

2021-03-13 17:38:22
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言うまでもなく、「フォード主義」の本質は、移民国家アメリカにおいて、賃金の安い未熟練工を活用して(当時としては)最先端のハイテク製品であった自動車を安価かつ高品質に量産することにあります。従って、女性や若年労働者を用いて兵器の生産を行う場合でも非常に有効に機能するのです。 pic.twitter.com/AzXJ8xsmPs

2021-03-13 17:39:49
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しかし、戦前の米国の航空産業は、未だ大量生産の導入には至っていませんでした。「1940年段階における航空機生産の特徴はハンド・メイド的性質にあった。熟練工は部品を汎用工作機械によって少量製造し、(中略)機体組立においては多種多様な機種が同一フロアーで並行して製造されていた。」 pic.twitter.com/4xZ55ZS00I

2021-03-13 17:41:09
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「だが、参戦後には量産化が至上命題となり、機種の削減と航空機部品の標準化がすすめられ、生産はアッセンブリーライン方式に変更され、…(この転換は)生産性を大幅に上昇させるとともに、… 熟練工に替わって、婦人労働者を中心とする未熟練工の雇用を拡大する技術的基盤を提供した。」 pic.twitter.com/qJo4TBtaYn

2021-03-13 17:42:37
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「自動車生産方法として全面開花した大量生産方法が、戦時要請に応じて航空機生産に大規模に適用され、航空機生産の飛躍的拡張を決定づけた」(堀一郎「第2次大戦期におけるアメリカ戦時体制の実態について」『経済学研究』vol30 北海道大学) pic.twitter.com/QeKSp23QUM

2021-03-13 17:43:13
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巨大な自動車産業があって初めて、航空産業における大量生産が確立されたのです。米国は、豊富なノウハウと、多数のエンジニアをプールしていました(1930年代後半の米国の年間自動車生産台数は400万台、日本は4万台。1940年の米国の技師は大学卒だけで30万人、日本は高等工業学校卒を含めて6万人)。 pic.twitter.com/9pKlE6nC6b

2021-03-13 17:44:39
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戦争が始まると、デトロイトの技術と人材は一斉に軍需産業に振り向けられ、莫大な生産増加をもたらしたのです。 GM社のW.S.クヌードセン社長が兵器生産を監督する「生産管理局」の局長に就任し、民間人でありながら陸軍中将の地位を与えられたのは、偶然ではありません。 pic.twitter.com/Y9mFlc8P32

2021-03-13 17:45:19
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また、フォード社のウィローラン工場は流れ作業ラインをもつ世界最大の工場で、昼夜を問わず1時間につき1機という驚異的なスピードでB24を生産。航空機工場の一つのモデルとなりました。ルーズベルト大統領がデトロイトを「民主主義の兵器工場」と呼んだのには、このような背景があったのです。 pic.twitter.com/HkJjReXQP6

2021-03-13 17:47:34
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《日本の航空機増産政策の破綻》 日本の航空産業も、1930年代までは熟練労働者が汎用設備を用いて様々な製品を少しづつ作っていました。 しかし、このような職人芸に頼った手工業的生産では、総力戦に伴う大規模な増産には到底対応できないことは明白です。 pic.twitter.com/AAqdC87nvy

2021-03-13 17:48:15
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日本政府もこの点は認識しており、1938年の国家総動員法施行以来、企画院や商工省、内務省などの中央省庁が航空機生産能力増強のための法令を急速に整備していきました。とは言え、高級官僚には大量生産についての体系的知識が欠けていたため、(続く) pic.twitter.com/TWWtlpIFvp

2021-03-13 17:50:10
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究極的には「産業報国」という言葉に端的に集約される観念論や、中身の乏しい掛け声の域を大きく超え出るものではありませんでした。人とカネを集めることは出来ましたが、肝心の中身が無かったのです。 pic.twitter.com/cn2r5YrC98

2021-03-13 17:50:48
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国家レベルでの大量生産体制への移行の兆しが生じるのは、開戦後に産業界が自ら旗振り役を買って出るのを待たねばなりません。とりわけ大きな役割を果たしたのは、日本経済連盟会(経団連の前身)が1942年に設置した「産業能率増進委員会」です。

2021-03-13 17:52:15
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同委員会は、各企業から生産・品質管理の実践経験豊かな人材を多数抜擢しており、実際的な調査・研究が精力的に進められました。その集大成とも言えるのが、政府に提出された「機械工業に於ける多量生産実現具体策」です。 pic.twitter.com/X7lLdKZEor

2021-03-13 17:52:49
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この中には、製品・部品の規格統一、専用機械の導入、作業の標準化、流れ作業の導入など米国式大量生産技術(フォード主義)のエッセンスが遺漏なく盛り込まれていたのみならず、括目すべきことには、生産・品質管理技術を担う技師の大量養成機関を設置することが謳われていました。 pic.twitter.com/vjqFO5TGdZ

2021-03-13 17:53:29
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委員会はこの後、航空産業を中心とする主要な軍需産業へ生産・品質管理技術を伝播する活動に注力し、戦後の経済発展へも少なくない影響を与えました。(佐々木聡 「太平洋戦争期における「科学的管理」の一側面」) pic.twitter.com/XUwdmphYjH

2021-03-13 17:55:00
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