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Bunzo @Kominebunzo
ハリケーンの艤装作業。お馴染みの何でも作る英国のお姉さん達が主翼に腰掛けて作業しているのは宣伝写真の演出ではなくて正規の作業姿勢の様子。 pic.twitter.com/cAwg8rIus0
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Bunzo @Kominebunzo
二人一組でのリベット打ち作業。日本機は女子挺身隊がリベット打ちや組立作業に携わったので粗製乱造といいった話を簡単にするけれども米英共に作業者の多くは「女子」。日本のお姉さん達は作業が下手だったということで、その理由こそが考え処だ。 pic.twitter.com/zL4pyg5Fl8
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Bunzo @Kominebunzo
英国のお姉さん達のレクリエーション。 これは宣伝臭さ満載で、飛行機の組立作業の後に更に運動、しかもバレエなんてしそうにない。 pic.twitter.com/vXR2s6FGo4
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Bunzo @Kominebunzo
「リベット1本は弾丸1発だ」とのポスター。 これは造船方面だけれども飛行機にしてもリベットなんて出来れば打ちたくない。 pic.twitter.com/ydIPzskg8Z
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Bunzo @Kominebunzo
スピットファイアのリベットを打つ英国のお姉さん。見上げているのは見たことのあるオジサン。時は昭和16年。まだ日本のお姉さん達は誰もリベットを打っていない。というか開戦前だ。 pic.twitter.com/hCJORo3k0Z
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Bunzo @Kominebunzo
英国のお姉さんの中でも相当に年上である88歳のお姉さんがやっているこの作業こそ、漫画「あとかたの街」で主人公の少女が動員先でやらされる「辛い仕事」のリベット仕分作業。見た目のガッツが違う。 pic.twitter.com/aBO13vyYuK
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Bunzo @Kominebunzo
パートタイムのお姉さんがゲージを使ってリベットの検品作業中。英国と言えども日本と同じくリベットに不良品が混じるということで、漫画の描写から来る印象とはちょっと違う。 pic.twitter.com/Abvw3TtrXg
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Bunzo @Kominebunzo
フェアリーの工場内で2人1組でリベット打ちをする英国のお姉さん達。ペアでの作業の様子がよくわかる。これで1機当たり数万から十数万のリベットを打つのだけれども場所によっては10本に1本程度の打ち損じが出るのは当たり前の世界。 pic.twitter.com/UEUgYssvoJ
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Bunzo @Kominebunzo
一つの例として、昭和20年8月の川崎航空機の工員数は3万2590人。一般工員は男子1万8288人、女子7257人、男子学徒6152人、女子学徒893人といったもの。女子工員は25%しかいない。女学生は2.7%と「居ないも同じ」だった。
ステルバー @STEALBER
@Kominebunzo 女子の教育が行き届いてなかったとかですかね。 そもそも技術系の教育自体無かったかもしれんし。
Bunzo @Kominebunzo
@STEALBER 欧米と違って女子挺身隊なんて日本の作業者のごく一部ですから、女性の教育問題じゃないんですよ。
ステルバー @STEALBER
@Kominebunzo ん?じゃあ一体何の話・・・?
Bunzo @Kominebunzo
@STEALBER 女性作業者の割合は無視できないけれども女性の教育問題にはできないということです。男が作業してもダメなんですよね。
Bunzo @Kominebunzo
では例にとった川崎航空機で学徒動員の作業者が製造現場に現れるのはいつかといえば、19年度(19年4月)から。全工員3万6150人に男子学徒752人が含まれるようになる。この時成人女子工員は3541人。女子工員が1000人を超えるのは18年に入ってから。日本の動員はこれだけ遅い。
Bunzo @Kominebunzo
話を極端に端折ると、ただ「粗製乱造」と具体的な事例や数量を調べもせずに語られてしまう現象は動員が遅くかつ急速だったことから生じたもので、他の国が既に動員体制を確立してから何年も遅れて同じことを急いで実施しようと試みて無理が出たという話にしかならない。女性とか学徒の話ではない。
Bunzo @Kominebunzo
女子の戦時動員をする、しないといった話を女性の置かれた社会的立場や負わされた役割、または身体的特性と言ったもので説明しては間違えるばかり。飯炊きが居なくなっても動員はできるし、しなければならないし、女性一般が器用であろうが無かろうか、必要ならば採らなければならない。それが総動員。
石膏粉末P @sekkou_p
米英は第一次大戦でも女性を工場に動員したと聞きますから、そのときに「素人でもちゃんとしたものを作れるようにするノウハウ」を会得していたのでしょうか。 twitter.com/Kominebunzo/st…
Bunzo @Kominebunzo
@sekkou_p お、良いところに来ましたよね。欧米は第一次大戦で国家総動員を体験しているけれども日本はしていない。ここでまず経験値が段違いにある訳です。
Bunzo @Kominebunzo
川崎岐阜工場の工員数の推移はどんな具合かとみれば昭和14年(1939年)1月に6088人、これでも操業開始から大幅に拡充された数字で、15年1月に6253人、16年1月7358人、17年1月9033人と1万人を超えない。18年に1万3965人、19年1月で2万9312人になる。
Bunzo @Kominebunzo
川崎の本工場である岐阜が第二次大戦勃発の1939年から終戦の1945年までに工員数で約6倍に拡充されていて、それに加えて新設工場の明石機体工場と都城工場で1万8000人が加わるので9倍から10倍の規模。戦争末期にどれだけ急速拡大したかがわかる。
Bunzo @Kominebunzo
支那事変前の段階であれば川崎全社の工員数は1000人台。終戦時には5万人。十年選手の工員は50人に1人しかいない計算になる。日本の航空工業は戦時にこれだけ異常な拡大を遂げているので、その基盤となる工場の姿も大きく変わっているのでそれを無視して大雑把な話をしても事実を説明できない。
Bunzo @Kominebunzo
熟練工なんて何処にもいない機体工場がどうやって増産を成し遂げたのか。川崎全社には昭和17年末に機械プレス26台、水圧プレス3台の設備しかない状態から全社300台を目標に拡大した。職人の手で増産していた訳ではなくプレス加工が急速導入されている分だけ増産が進んだとも言える。
Bunzo @Kominebunzo
女子工員のみで機体の最終組み立てまで行った工場がある。しかも零戦。彦根の近江航空(現オーミケンシ)では三菱の疎開工場扱いながら機体の最終組み立てまで実施して終戦までに完成機を送り出している。繊維産業からの転換工場は量産に強い傾向があり関東なら隼の量産に貢献した片倉工業が代表格。
よいとまけ @yoitomakeX
@Kominebunzo なぜ繊維工場は組み立て工場への転換に向いているんですか?気になる。
Bunzo @Kominebunzo
@yoitomakeX 日本の生産技術(ものを安定して大量に作り出す工夫の総称として)の発展は繊維工業から始まっているんです。規格化だとか品質管理だとか、そういった営みが最初に広まったのがこの分野だからなんですね。
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コメント

ワス @wsplus 2015年12月11日
ソ連だと戦車工場で働かされ、そのまま戦車兵にされた例も >
¡No me arrepiento de nada! ⋈ noteにプロフィール掲載しました @m_m1941 2015年12月11日
密林じゃプレミアついてるけど、いちおう挙げときます 戦時期航空機工業と生産技術形成 三菱航空エンジンと深尾淳二 前田 裕子著 http://www.utp.or.jp/bd/4-13-046068-4.html
生やし長二郎(こののにおじさん) @Retina014 2015年12月11日
ヒコーキの木製化についても、日本は列強に比べて遅すぎたのに、証言では「日本だけが特に追い詰められた」例のように語られるんですよね。
まるりょう @Himagn01Maruryo 2015年12月11日
日本と英米の兵器関連の信頼性の違いは、工員の熟練度というより工作機械の性能によるんじゃ無いかと思いますけど。戦前日本の工作機械はアメリカからの輸入品で、開戦後1〜2年でパーツのストックが尽きた結果低性能な国産機に切り替えてどんどん工作精度が落ちていったとかいう。
愚者@ C97申込済 @fool_0 2015年12月11日
やはり経験の差が大きいなあ。あと日本の工作機械の精度の低さは『陸軍潜水艦(著:土井全二郎)』でも言及されていて、まるゆの生産効率や工作精度が落ちた原因が作業員のサボりにあるのではないかと疑った工場側が調べてみたものの、ちょうど同じ時期工作機械が限界を迎えていた事も重なって原因が特定できず結局うやむやになったとか。
FIN @rightsandduties 2015年12月11日
国力の差としか言いようがない これが戦前日本の限界点
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年12月11日
平塚のレンズ工場で働く女性たちを描いた黒澤明「一番美しく」はとても美しい映画です。
対青軒@不忘天安門、反消費税増税 @edu_lin_par 2015年12月11日
初心者でも作業できるようにマニュアル化、システム化されていたかどうかの違いも大きく、その反省が戦後のトヨタ方式に受け継がれていったのではないか。丁型駆逐艦だったか、造船所で当時なりの「カイゼン」で起工から進水までの期間が大幅に短縮されていったのは。
とくがわ @psymaris 2015年12月12日
工業の経験値の差ってことですね。あまり考えたくないが、QC管理もマニュアルもしっかりしてる今兵器を女性がつくる場合にはクオリティの低下はあまりないんじゃなかろうか。
🍵昴hey🍵 @subaru2101 2015年12月12日
総力戦に対して国家としての経験も個人としての経験も少なかったのかもね、日本は。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996 2015年12月12日
一連のまとめの中に矛盾する箇所があるのはご愛敬と言えるかな。一言で「熟練工」と言った時のイメージの違いみたいなものがあるように思う。熟練工と未熟練工の違いとしてアウトプットの精度がそろっているかという点がある。つまり1個目と100個目を同じものとして扱えるかどうか、という事なんだな。言い換えるなら、戦時動員の女学生工員であっても、アウトプットが揃っているならば、アウトプットを揃える工夫を工程に持ち込めたなら、熟練工と同じ仕事ができるわけだ。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996 2015年12月12日
それは、例えば作業のマニュアル化、余計な事をしない、させないという事であろうし、作業を細分化して複雑な事をしない、させないという事であろう。「規格化」というのも、アウトプットを揃えるための手段であって、規格化が目的ではない。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996 2015年12月12日
確か1950年代から60年代の話、日本がトランジスタの量産で飛躍した時代のなんだが。当時、女工さんが何十人と席を並べてゲルマニウムやシリコンのチップに手作業で配線をハンダ付けしていたわけ。ある時、なぜか歩留まりが悪化するという現象が見つかった。その原因を調べると、女工さんが髪の崩れを作業用のピンセットで直そうとして髪をしごくので、髪油や汗がピンセットに付く事が原因であると分かった。これは典型的な「余計な事をする」だな。
nekosencho @Neko_Sencho 2015年12月12日
こまかいとこはおいといて、作りかけの航空機美しいなあ
イエーガー@アニサマオジサン @Jaeger75 2015年12月12日
単純に戦中までの日本の工業は「個人の器用さに依存しすぎ」てたんだよ(出来ないのはそいつが悪いという理屈)、そんな段階はとっくに卒業していた他国は「出来ないのは教え方が悪い」ということに気付いていた。要はそんだけ
壊人二十面相@現在再起動中・・・ @Niju_Menso 2015年12月12日
ソ連の戦車工場で女性工員が戦車作ってそのまま戦車ごと戦場に出荷なんて日常茶飯事だったってのは有名な話だし、やっぱり当時の日本は個々の製品の質はともかく生産技術に関しては他国に劣ってたんだなぁ。
齊藤明紀 @a_saitoh 2015年12月12日
戦時中の真空管式巨大コンピュータENIACの写真にも女性技術者が多く映っています。講義で見せる際には「アメリカでは女性の社会進出が進んでいたというわけではなく、戦時体制のため」と補足しながら見せてるけど、学生は理解してるかなあ〜
小熊善之 @0guma 2015年12月13日
熟練工に頼らない製造工程とか、製造工程を想定した設計とか、日本に足りなかったものは多いよね……。
nekosencho @Neko_Sencho 2015年12月13日
a_saitoh あの当時はコンピュータ自体が他にあるかないかわからない時代だったので、ENIACを「巨大」コンピュータというのはどうもひっかかりますね。他でたとえるなら、ドラえもん(いつもの大きさ)を指して「巨大どらえもん」って呼んでるような感じがします
坂東α @bando_alpha 2015年12月14日
WATERMAN1996 それがこのまとめで言っていることそのままでしょうに
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