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fussoo_moe
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ハリケーンの艤装作業。お馴染みの何でも作る英国のお姉さん達が主翼に腰掛けて作業しているのは宣伝写真の演出ではなくて正規の作業姿勢の様子。 pic.twitter.com/cAwg8rIus0
2015-11-29 09:40:04

二人一組でのリベット打ち作業。日本機は女子挺身隊がリベット打ちや組立作業に携わったので粗製乱造といいった話を簡単にするけれども米英共に作業者の多くは「女子」。日本のお姉さん達は作業が下手だったということで、その理由こそが考え処だ。 pic.twitter.com/zL4pyg5Fl8
2015-11-29 09:47:25

英国のお姉さん達のレクリエーション。 これは宣伝臭さ満載で、飛行機の組立作業の後に更に運動、しかもバレエなんてしそうにない。 pic.twitter.com/vXR2s6FGo4
2015-11-29 09:53:29

「リベット1本は弾丸1発だ」とのポスター。 これは造船方面だけれども飛行機にしてもリベットなんて出来れば打ちたくない。 pic.twitter.com/ydIPzskg8Z
2015-11-29 10:02:07

スピットファイアのリベットを打つ英国のお姉さん。見上げているのは見たことのあるオジサン。時は昭和16年。まだ日本のお姉さん達は誰もリベットを打っていない。というか開戦前だ。 pic.twitter.com/hCJORo3k0Z
2015-11-29 10:21:15

英国のお姉さんの中でも相当に年上である88歳のお姉さんがやっているこの作業こそ、漫画「あとかたの街」で主人公の少女が動員先でやらされる「辛い仕事」のリベット仕分作業。見た目のガッツが違う。 pic.twitter.com/aBO13vyYuK
2015-11-29 10:26:53


パートタイムのお姉さんがゲージを使ってリベットの検品作業中。英国と言えども日本と同じくリベットに不良品が混じるということで、漫画の描写から来る印象とはちょっと違う。 pic.twitter.com/Abvw3TtrXg
2015-11-29 10:46:18

フェアリーの工場内で2人1組でリベット打ちをする英国のお姉さん達。ペアでの作業の様子がよくわかる。これで1機当たり数万から十数万のリベットを打つのだけれども場所によっては10本に1本程度の打ち損じが出るのは当たり前の世界。 pic.twitter.com/UEUgYssvoJ
2015-11-29 10:54:01

一つの例として、昭和20年8月の川崎航空機の工員数は3万2590人。一般工員は男子1万8288人、女子7257人、男子学徒6152人、女子学徒893人といったもの。女子工員は25%しかいない。女学生は2.7%と「居ないも同じ」だった。
2015-11-29 11:09:03
@STEALBER 女性作業者の割合は無視できないけれども女性の教育問題にはできないということです。男が作業してもダメなんですよね。
2015-11-29 11:12:13
では例にとった川崎航空機で学徒動員の作業者が製造現場に現れるのはいつかといえば、19年度(19年4月)から。全工員3万6150人に男子学徒752人が含まれるようになる。この時成人女子工員は3541人。女子工員が1000人を超えるのは18年に入ってから。日本の動員はこれだけ遅い。
2015-11-29 13:01:54
話を極端に端折ると、ただ「粗製乱造」と具体的な事例や数量を調べもせずに語られてしまう現象は動員が遅くかつ急速だったことから生じたもので、他の国が既に動員体制を確立してから何年も遅れて同じことを急いで実施しようと試みて無理が出たという話にしかならない。女性とか学徒の話ではない。
2015-11-29 13:08:56
女子の戦時動員をする、しないといった話を女性の置かれた社会的立場や負わされた役割、または身体的特性と言ったもので説明しては間違えるばかり。飯炊きが居なくなっても動員はできるし、しなければならないし、女性一般が器用であろうが無かろうか、必要ならば採らなければならない。それが総動員。
2015-11-29 13:58:55
米英は第一次大戦でも女性を工場に動員したと聞きますから、そのときに「素人でもちゃんとしたものを作れるようにするノウハウ」を会得していたのでしょうか。 twitter.com/Kominebunzo/st…
2015-11-29 14:01:01
@sekkou_p お、良いところに来ましたよね。欧米は第一次大戦で国家総動員を体験しているけれども日本はしていない。ここでまず経験値が段違いにある訳です。
2015-11-29 14:05:18
川崎岐阜工場の工員数の推移はどんな具合かとみれば昭和14年(1939年)1月に6088人、これでも操業開始から大幅に拡充された数字で、15年1月に6253人、16年1月7358人、17年1月9033人と1万人を超えない。18年に1万3965人、19年1月で2万9312人になる。
2015-11-29 14:19:47
川崎の本工場である岐阜が第二次大戦勃発の1939年から終戦の1945年までに工員数で約6倍に拡充されていて、それに加えて新設工場の明石機体工場と都城工場で1万8000人が加わるので9倍から10倍の規模。戦争末期にどれだけ急速拡大したかがわかる。
2015-11-29 14:26:08
支那事変前の段階であれば川崎全社の工員数は1000人台。終戦時には5万人。十年選手の工員は50人に1人しかいない計算になる。日本の航空工業は戦時にこれだけ異常な拡大を遂げているので、その基盤となる工場の姿も大きく変わっているのでそれを無視して大雑把な話をしても事実を説明できない。
2015-11-29 14:32:29
熟練工なんて何処にもいない機体工場がどうやって増産を成し遂げたのか。川崎全社には昭和17年末に機械プレス26台、水圧プレス3台の設備しかない状態から全社300台を目標に拡大した。職人の手で増産していた訳ではなくプレス加工が急速導入されている分だけ増産が進んだとも言える。
2015-11-29 14:41:56
女子工員のみで機体の最終組み立てまで行った工場がある。しかも零戦。彦根の近江航空(現オーミケンシ)では三菱の疎開工場扱いながら機体の最終組み立てまで実施して終戦までに完成機を送り出している。繊維産業からの転換工場は量産に強い傾向があり関東なら隼の量産に貢献した片倉工業が代表格。
2015-11-29 14:58:42
@yoitomakeX 日本の生産技術(ものを安定して大量に作り出す工夫の総称として)の発展は繊維工業から始まっているんです。規格化だとか品質管理だとか、そういった営みが最初に広まったのがこの分野だからなんですね。
2015-11-29 15:04:19