2021.03.14 青天を衝け(5)「栄一、揺れる」放送後の桐野作人先生による解説ツイート

2
桐野作人 @kirinosakujin

@mikage0903 @tabenomuraji 京都の藩邸では豚を飼っていないと思われますから、小松帯刀が徳川慶喜に献上した豚肉は、おそらく妻のお近さんが郷里から送ってくれた塩漬けか味噌漬けだと思います。お近さんは牛肉も小松に送っていますね。

2021-03-13 19:07:15
桐野作人 @kirinosakujin

別件で徳川慶喜が豚肉好き(豚一殿と呼ばれた)という話をしていたが、渋沢栄一と西郷隆盛の逸話を思い出した。『渋沢栄一伝記資料』に元治2年(1865)2月頃、渋沢が薩摩藩の二本松藩邸に西郷を訪ねたところ、豚鍋を振る舞われたとある。豚汁かすき焼きか? 渋沢と西郷の知られざる交流。#青天を衝け

2021-03-13 19:21:35
桐野作人 @kirinosakujin

薩摩の豚肉料理が話題ですが、徳川慶喜が豚肉好きが高じて「豚一殿」と呼ばれたのには父斉昭の督励だけでなく島津斉彬が関わっているかも。また島津久光が英国公使パークスを鹿児島に招待したときには子豚の丸焼きも登場。7年前の南日本新聞連載で概括的に書いたことがあります。#徳川慶喜 #渋沢栄一 pic.twitter.com/wxI1nbJ9vS

2021-03-14 12:39:05
拡大
桐野作人 @kirinosakujin

大河ドラマ「青天を衝け」第5回。今回は渋沢側は姉なかの狐憑きの話。一橋慶喜や江戸では安政の大地震という並行的な構成だった。姉の狐憑きの話は安政2年(1855)でペリー再来航の翌年ながら、まだ血洗村は牧歌的だった。渋沢家の諸系図には姉なかは見えないけど、実在したのか? #青天を衝け

2021-03-14 20:52:51
桐野作人 @kirinosakujin

この逸話は渋沢の自伝『雨夜譚』に登場する。渋沢は姉一人がいて病気だとするが、名前は書かれていない。姉の病気は家に祟りがあるからという親戚の勧めで、父市郎右衛門が姉を連れて大滝のある上州の室田に転地保養に出かけた。現在の高崎市の室田不動尊の滝か。ドラマでも滝が出てきた。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:52
桐野作人 @kirinosakujin

渋沢の中の家に押しかけてきた修験者一行は「遠加美講(とおかみこう)」というらしい。別名禊教ともいい、白川神道系の神道の一種とか。開祖は井上正鉄という神職で、身分を問わず多くの信者を集めたが、幕府衰亡を予見したとして三宅島に流され、嘉永2年(1849)、島で没したという。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:52
桐野作人 @kirinosakujin

渋沢家での口寄せはでたらめだったが、幕府衰亡の予見は当たってはいる。遠加美講は「吐菩加美依身多女(とほかみ・えみため)という呪文を唱えて修行するらしい。口寄せの無縁仏が祟るという託宣に渋沢がいつ頃の話かと尋ね、口寄せ女が5.60年前だと答え、さらに年号を尋ねるという場面、#青天を衝け

2021-03-14 20:52:52
桐野作人 @kirinosakujin

ドラマのいきさつはほとんど自伝『雨夜譚』のとおりである。面白いのは、口寄せ女が「金神(こんじん)と井戸の神が祟る」と述べた一節。 まったく余談だが、「金神」といえば、織田信長と朝廷のやりとりを思い出す。天正9年(1581)3月、朝廷が信長に左大臣を推挙した。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:53
桐野作人 @kirinosakujin

信長は正親町天皇の譲位と誠仁親王の即位を実現してから官位を受けると答えた。しかし、この左大臣推任と上位・即位は立ち消えになった。その理由は同年の移動・移転が「金神」に当たるからだという。「金神」は陰陽道で殺伐を好む凶暴な方位神である。移動の際の方位で祟るときがある。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:53
桐野作人 @kirinosakujin

この年、誠仁親王の二条御所から禁裏御所ヘの移転(即位のため)の「金神」の方位はだいたい北から東方面だった。二条御所から禁裏御所の方位は北北東で「金神」の方位に当たっていた。そのため、朝廷は縁起を担いで、同年の譲位・即位を見送ったといういきさつである。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:54
桐野作人 @kirinosakujin

「遠加美講」は神道だというが、陰陽道などを混ぜ込んだ民間の新興宗教だったようである。  あと、従兄の尾高純忠からアヘン戦争の書物を渡され、渋沢は夜を徹して一心不乱に読みふけっていたが、その後の江戸遊学から高崎城乗っ取り、横浜焼き打ち計画につながる伏線だろう。#青天を衝け

2021-03-14 20:52:54
桐野作人 @kirinosakujin

大河ドラマ「青天を衝け」第5回。ドラマの最後に安政の大地震が起こり、藤田東湖が圧死した場面が描かれた。東湖の自宅は小石川の藩邸内の官舎にあった。東湖は母を助けようとし、崩れてくる梁を支えて母を脱出させたが、自らは力尽きて圧死した。享年50.#青天を衝け

2021-03-14 21:14:45
桐野作人 @kirinosakujin

この地震で水戸藩執政の戸田忠敞(ただあきら)も圧死している。戸田は藤田東湖の盟友で「水府の二田」と称されたほど。安政大地震は江戸直下型の地震でマグニチュード7前後だと推定される。藩邸では死者60人、負傷者84人。被害が大きかったのは藩邸が小石川の低地という立地が大きい。#青天を衝け

2021-03-14 21:14:46
桐野作人 @kirinosakujin

藤田東湖、戸田忠敞という有能な側近を失った水戸斉昭はその後、迷走する。松平慶永は『逸事史補』で2人の死後、「水府老公は失策が多くなって万事不都合なことが増え、幕府の譴責をうけた。両人の輔翼は別段のことだった」と回想している。#青天を衝け

2021-03-14 21:14:46
桐野作人 @kirinosakujin

藤田東湖らの死後、水戸藩改革派はまとめ役を欠くようになる。一方、幕府とつながる保守派の結城寅寿派が台頭し、藩主徳川慶篤への働きかけを強めるとともに、支藩の高松藩や彦根藩と結ぼうとしていた。水戸藩の亀裂が次第に強まっていくことになる。#青天を衝け

2021-03-14 21:14:46
桐野作人 @kirinosakujin

大河ドラマ「青天を衝け」第5回。今回は一橋慶喜の出番は少なかった。慶喜はこの頃、京都の摂関家、一条忠香の娘美賀子(美賀君)との縁組が決まっていた。じつは美賀子は安政の大地震に巻き込まれている。折悪しく京都から江戸へ下向する途中の出来事だった。#青天を衝け

2021-03-14 21:38:25
桐野作人 @kirinosakujin

安政2年(1855)10月2日の地震当日、美賀子一行は品川宿に宿泊する予定だったが、地震のため川崎宿に逗留した。江戸城本丸に入ったのは5日のことだった。一橋屋形に入ったのは11日。なお、地震当日、慶喜の姿が水戸藩邸に見えた気がしたが、もしそうならちょっとどうか。#青天を衝け

2021-03-14 21:38:26
桐野作人 @kirinosakujin

慶喜が小石川の水戸藩邸に見舞いに行ったのは25日後の10月27日。このとき、外出に幕府の許可を得ているほど。御三卿の外出は手続きもあって大変だったようだ。次回は予告で篤姫が登場した。慶喜も婚礼を挙げるので美賀子も登場するか? #青天を衝け

2021-03-14 21:38:27
桐野作人 @kirinosakujin

訂正。誤変換ありました。 ✖純忠 ○惇忠 twitter.com/kirinosakujin/…

2021-03-14 21:45:17