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schizoophrenie @schizoophrenie
TLみてて,Fecebookって書かれてるのをみると物凄い失錯行為だなと思う.みんな無意識にFacebookさんをDISってんのかな…それともクソなほどfacebookを愛しているのか…(feces=糞便)
schizoophrenie @schizoophrenie
それと関連して.ラカンは「若き分析家への助言」として「クロスワードパズルをしなさい(Faites des mots croises)」(E266)と書いている.言葉と文字がどのように組み合わされることによって失錯行為,夢,症状といった無意識の形成物ができるかに注目しろということ.
Ayumu OKUBO @waschmaschine
クロスワードかぁ。そんな鍛え方があるとは。
schizoophrenie @schizoophrenie
この助言をTwitter風にアレンジするなら,「デーブ・スペクター @dave_spector をフォローしなさい」になるかな. ラカンが講義でダジャレばっかり言ってるのは,ある意味,分析の解釈でえられるような言葉の反響の効果を講義の実践に持ち込むためなのだ.
SatocHORIKAWA @satocerac
追加としてhttp://t.co/6cpyG2d回文ボットさんをフォローすることも推奨します!@schizoophrenie
schizoophrenie @schizoophrenie
だからこそ,ラカンの語り口はこれほどゆっくりしているのだ(聴講者がノートを完璧に取れるほど).言葉の一節,ときには一つの単語を,水面に石を投げ込むようする彼の話し方は,聴講者のなかにゆっくりと波紋をつくりだしていく. http://t.co/OJGmDZt
schizoophrenie @schizoophrenie
ちょっとアホっぽい(しかし重要な)話になってしまったので,少し理論的に補足する.精神分析において,そもそもダジャレを考えているのはダレか? この答えは,「無意識が考えている」あるいは「一次過程が考えている」となる.
schizoophrenie @schizoophrenie
フロイトは無意識の一次過程を,欲望の幻覚的満足とともに,圧縮や置き換えといった象徴的な文字操作を含むものとしてみていた.一方,チャールズ・ライクロフト(1956)は象徴性の次元を無視し,一次過程を欲望の幻覚的満足に還元してしまう.
schizoophrenie @schizoophrenie
想像と現実: C.ライクロフト http://t.co/9F1kdky ちなみにこの本ね.ラカンはライクロフトの論文に反論している(S5,p.214).つまり,一次過程における象徴的な文字操作は絶対に無視してはいけない,シニフィアンの水準をそこに読み込まなければならない,と.
schizoophrenie @schizoophrenie
夢判断 下: フロイト http://t.co/lnWv5yu そもそもフロイトは一次過程,二次過程について何と言っているか.もっとも重要な定義はこの本の第7章の次のものである.「一次過程は知覚同一性を目指し,二次過程は思考同一性」を目指す.そして,一次過程には文字操作が関わる.
schizoophrenie @schizoophrenie
最も分かり易く書くとこうなる.「ふとん(布団)」の表象を考えたとき,一次過程(知覚同一性)においては「ふとん」と「ふっとんだ」が等しくなる.二次過程においては,布団と吹っ飛ぶことを取り違えることは許されない(現実原理との関係)から,「ふとん」は「寝具」と等しくなる(思考同一性).
schizoophrenie @schizoophrenie
無意識の一次過程というのは,いうなれば人間の中で,文字の類似性に従った象徴的操作をつねに行う機械が作動しているようなものである(あなたのなかに,デーブ・スペクターがいる!).だからこそラカンは夢や無意識を「野生の解釈(interprétation sauvage)」と呼ぶ.
schizoophrenie @schizoophrenie
もう一つだけ,そしてこれが最も大事な点であるのだが,それでもやはり〈一次過程はシニフィアンのみには還元されない〉ということ.そもそもフロイトにおいてこの過程は欲望の原初的満足とも特権的に結びついており,(何度も言ってるように)シニフィアンと享楽のハイブリッドとして作動している.
schizoophrenie @schizoophrenie
ラカンを言語論者に還元してしまうこと,つまり「無意識は言語のように構造化されている」というプロパガンダを今後も続けることは,おそらくラカン理解にとって有害ですらある.このことを初めてはっきりとしめしたのが,他ならぬジャック=アラン・ミレールである.
schizoophrenie @schizoophrenie
1984年の「もう一人のラカンについて(D'un autre Lacan)」という論文(Ornicar28号)がそれである.彼は「構造と言語」を重視する50年代の構造主義的なラカンに対比して,享楽や対象a,ファンタスムを重視する60年代のラカン像を「裏ラカン」として提出する.
schizoophrenie @schizoophrenie
ミレールの論文における次の宣言を引用する.「ラカンの影響がシニフィアンの作用なるものの一方的評価として受け取られる場合,分析経験にはまったくの混乱がもたらされる」
schizoophrenie @schizoophrenie
フロイト フリースへの手紙 http://t.co/vgJsyvL そもそも精神分析は,天才的な言語学者(フロイト)が,独創的な性科学者(フリース)と格闘するなかで生まれたものである.精神分析はその出自からして言語と性の,シニフィアンと享楽のあいだの絡み合いの科学なのである.
schizoophrenie @schizoophrenie
精神分析への抵抗―ジャック・ラカンの経験と論理: 十川幸司 http://t.co/DmH9o3N この「絡み合い」こそ,十川先生が問題としていたものに他ならない.十川先生は60年代以降の分析のマテーム化が,臨床と絡み合っていないという点でラカンから離れていく.
schizoophrenie @schizoophrenie
ただし,これを十川先生のように「臨床との絡み合い」ではなく,言語と性→マテームと性→トポロジーと性,との絡み合いとして読みなおすところにむしろ臨床的可能性を見出すことができるかもしれない.Encoreでは「シニフィアンは享楽の唯一の実体」とまで言われるくらい絡み合っているわけで.
schizoophrenie @schizoophrenie
話が逸れてきたのでちょっと戻す.『四基本概念』に「欲動の分解(démontage)」って章があるけど,これはフロイトの欲動の概念そのものが「モンタージュ=組み立て」として,つまり異質なものの結合として現れていることを論じている.性とシニフィアンが結合される場としての欲動,である.
schizoophrenie @schizoophrenie
長々と読んでいただけてありがたいのですが,僕のユル系精神分析講義を読むより,さっきTwした立木先生の「カントとサド」論を読んだほうが100倍勉強になる,と言っておこう!
schizoophrenie @schizoophrenie
立木康介:ラカンの「カントとサド」をめぐる三つの思想史(PDF) http://t.co/SRZhGbl ちょっとこれは脱帽という他はない…ファイルが残っているうちにダウンロード推奨.

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