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2011年8月3日

JG2 Richthofen

最古参の戦闘航空団 JG2 Rchthofen についての簡単なまとめです。
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もちはらみなみ @rokuharaminami

JG2が破壊した敵戦力はサンダーボルト12機であったが、JG2側の損害はパイロットの戦死または行方不明33名と負傷4名であった。これは出撃人員の40%に近かった。それでもこの航空団は帝国崩壊まで戦い抜いたのである。

2011-08-03 21:17:58
もちはらみなみ @rokuharaminami

90機を越えるJG2の編隊は目標までの飛行の間に12機以上が撃墜された。サン•トロン上空でも敵機による攻撃や対空射撃を浴びせられ、出撃時の4分の1の戦力が失われた。また帰途でも敵機に襲われ、多数の機を失った。

2011-08-03 21:14:53
もちはらみなみ @rokuharaminami

パイロットの大半は実戦経験がゼロに近い状態であり、厳重な無線封止が命じられているので、指揮官たちの指示は実質的に「編隊を組んで、おれについて来い」以上のものではなかった。

2011-08-03 21:13:46
もちはらみなみ @rokuharaminami

JG2の攻撃目標はベルギーのサン•トロンであり、航空偵察写真と台上に作られた立体模型を使って、ビューリゲン中佐と3名の飛行隊長はパイロットたちに作戦計画を説明した。

2011-08-03 21:03:42
もちはらみなみ @rokuharaminami

さて、司令がクルト•ビューリゲン少佐になったところから大分先へ進んで、ボーデンプラッテ作戦へ。1944年12月31日は西部戦線の戦闘飛行隊のほぼ全部は飛行活動を停止していた。翌日の早朝に実施と計画されている大作戦の準備のためである。

2011-08-03 20:59:56
もちはらみなみ @rokuharaminami

このパターンはJG1司令のフィリップ中佐の戦死状況とも非常に似ている。この頃の欧州西部の空は、どれほど高い名声や栄誉も関係がない厳しい洗浄になっていた。

2011-08-03 20:43:58
もちはらみなみ @rokuharaminami

1944年4月27日に、ランス西方でサンダーボルトの群れに奇襲され、乗機が被弾した。ウーベン少佐はコックピットから何とか脱出することができたが、彼の落下傘がうまく開かなかった。

2011-08-03 20:41:17
もちはらみなみ @rokuharaminami

リヒトホーフェン戦闘航空団の次の司令はクルト•ウーベン少佐であった。少佐はIII./JG77飛行隊長からの転出で、すでに110機の撃墜戦果と柏葉飾りを保持していたが、西部で1機も戦果をあげることなく前任者と同じような状況で戦死した。

2011-08-03 20:39:14
もちはらみなみ @rokuharaminami

サンダーボルトの群れの態勢は典型的な「奇襲攻撃」をかけるのに絶好だった。次々にFw190を追って降下し、すぐに2機撃墜、最終的に60km以上にわたる広い空域での格闘戦の末にFw190が4機撃墜された。この中にマイヤー司令がいたのである。

2011-08-03 20:36:01
もちはらみなみ @rokuharaminami

1944年3月2日にJG2エゴン•マイヤー司令が戦死した。マイヤーは14機ほどの編隊を率いて出撃し、スダン周辺の上空でB-17の編隊を発見、ただちに攻撃に入った。しかし、マイヤーは降下攻撃に意識を集中していたため1500mほど高い位置に離れていたP-47の編隊を見逃してしまった。

2011-08-03 20:32:33
もちはらみなみ @rokuharaminami

実戦経験による改良の結果、この戦術は広く受け入れられた。真正面、同高度の攻撃コースで目標に接近する方法から、正面方向のやや高い位置から浅い角度のコースで接近するように変えたのが改良点である。この戦術で最も高い戦果をあげたのは、もちろんマイヤー少佐であった。

2011-08-03 19:27:00
もちはらみなみ @rokuharaminami

マイヤー少佐は、正面攻撃を受けた敵機のパイロットは被弾する可能性が最も高く、前方に対する防御射撃の射角は最も狭く、火力は最も低いと判断したのである。この戦術はまだ完全なものではなかったが、戦闘機隊総監のガランド大佐はその効果に注目した。

2011-08-03 19:23:10
もちはらみなみ @rokuharaminami

1943年2月にIII./JG2の飛行隊長となったエゴン•マイヤー少佐は四発重爆撃機を撃墜or撃破するための戦術を考え出した。「正面からの攻撃」である。

2011-08-03 19:19:03
もちはらみなみ @rokuharaminami

命令を破ってまで部隊の危機に出撃するようなエーザウ少佐に向って、よくあんなことがいえるものですね、モルヒネトトロは!! 臆病者だったら、こんな時に飛んだりなんてしませんよ!

2011-08-03 19:08:41
もちはらみなみ @rokuharaminami

エーザウ少佐は出撃停止命令わ破ってのこの戦闘を上司に報告する際に、「通常の飛行テストのために飛んでいたら、突然敵機があらわれたので、純粋に自衛のために撃墜した」と説明した。

2011-08-03 19:05:11
もちはらみなみ @rokuharaminami

エーザウ少佐はすぐに敵機に追いついた。1時間にも及ぶ長い戦闘を行ったのち、1機を撃墜した。エーザウ少佐の戦果はこの航空団全体での1001機目であり、少佐自身の101機目の戦果でもあった。

2011-08-03 19:03:07
もちはらみなみ @rokuharaminami

通信将校がすぐに帰還して来る戦闘機に無線電話で危険を通知したが、エーザウ少佐はその将校の横を電光のように走り抜け、自身のMe109に飛び乗り、すぐに離陸し、飛び去って行く爆撃機を追いかけた。 出撃停止命令を破ったのである。

2011-08-03 19:00:11
もちはらみなみ @rokuharaminami

1941年10月に100機撃墜を果たして以来、JG2の司令ヴァルター•エーザウ少佐は戦闘出撃停止の命令を受けていた。 1942年4月17日、四発爆撃機がJG2の飛行場そばの上空に侵入してきた。部隊の戦闘機は大半出撃中で、数機が帰還して、着陸の態勢に入っていた。

2011-08-03 18:57:50
もちはらみなみ @rokuharaminami

1941年7月8日、リヒトホーフェン戦闘航空団は輝かしい記録に到達した。航空団全体の戦果が第一次大戦で活躍した先祖の部隊と同じ644機に達したのであり、国防軍最高司令部がその成果を発表した。

2011-08-03 18:46:18
もちはらみなみ @rokuharaminami

エーザウ少佐の最初の訓示。「マンフレート•フォン•リヒトホーフェンの精神を維持し、歴代の司令、ヴィック少佐とバルタザール大尉が示した模範に従い、諸子とともに、即戦態勢と義務化への献身を維持すれば、一層高い戦果をあげることができると小官は信じている」

2011-08-02 21:57:29
もちはらみなみ @rokuharaminami

リヒトホーフェン戦闘航空団の司令はヴィック少佐(戦死)→バルタザール大尉(戦死)→エーザウ少佐に引き継がれていく。

2011-08-02 21:53:53
もちはらみなみ @rokuharaminami

ヴィック少佐を撃墜したのは、ジョン•ダンタス大尉(7機撃墜を記録していた)であったと云われているが、この撃墜後すぐに大尉もポーツマス沖に撃墜されている。

2011-08-02 21:48:25
もちはらみなみ @rokuharaminami

11月28日にヴィック少佐は1機のスピットファイアを撃墜して、合計戦果が55機になりドイツ空軍中撃墜最高記録(WWII)のパイロットとなったが、わずか2時間足らずの事であった。

2011-08-02 21:45:38
もちはらみなみ @rokuharaminami

1939年11月22日にリヒトホーフェン戦闘航空団の第二次大戦における最初の戦果があがった。2機撃墜であり、そのうちの1機はヘルムート•ヴィック少尉によるものであった。

2011-08-02 21:37:57
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