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80807 @suckcubus

8月5日は土用の丑の日。先日もあったじゃないかと思われる方もいるかも知れませんが、年により1回だったり2回だったりするのです。そもそも「土用の丑の日」とは?答えは陰陽五行説と干支紀日法により定められる暦の雑節(中国の二十四節気以外に日本独自で設けた季節の移り変わりの目安となる日)

2015-08-06 06:57:05
80807 @suckcubus

まず、陰陽五行説で「木火土金水」を「春・夏・土用・秋・冬」と季節に割り当てた「土用」とは、「四立(立春、立夏、立秋、立冬)」前の約18日間(太陽黄経に基づき決まる)で、季節の変わり目のことである。

2015-08-06 06:58:09
80807 @suckcubus

なお、「土用」は「土旺用事」の略であり、土を司る神・土公神が支配する期間で、「土の気が旺(さかん)になり事を用いる」(土の気が盛んに働く)とされる。そして、この神様は居場所を動かされるのを嫌うため、土用は田畑を休ませる風習があり、現在も基礎工事や引越しは避けられる。

2015-08-06 07:00:49
80807 @suckcubus

また、十二支は年以外にも、方位・月・日・時刻を表すのに用いられ、丑の日は土を耕すのに使われる水牛を休ませる日でもある。つまり、土用の期間中で丑にあたる、田畑を休ませ牛を休ませる日が「土用の丑の日」であり、広義には四季ごとに存在するが、特に暑中(夏の土用)のものを指す。

2015-08-06 07:02:14
80807 @suckcubus

夏の土用が重視されるのは、五行の相生相剋の考え方から。夏の土用は「火生土:火は燃え土(灰)を生ず」の関係で、土の気が極端に強まり、万物のバランスが崩れる。そこで、「水剋火:水は火を消す」より、夏の土用月「未(水無月、燥土)」の対沖の冬の土用月「丑(師走)」の水性で、火の力を抑える

2015-08-06 07:04:10
80807 @suckcubus

土用の丑の日に鰻を食べる所以は諸説あるが、有名なのは、冬が旬なため夏に売れないと鰻屋が知人の発明家・平賀源内に相談し、源内の発案で「本日、土用丑の日」と貼り紙をしたところ、大繁盛し、他の鰻屋が真似るようになり定着したという説。

2015-08-06 07:05:49
80807 @suckcubus

背景には、季節の変わり目で体を壊しやすい土用は、丑の日に「う」のつくもの(農耕のため貴重な牛の代用)を食べると病気にならないという迷信があった。鰻以前にも、うどん・瓜・梅干し等が食べられていたが、鰻の色の「黒」が五行説では水性であることも功を奏した理由かと。

2015-08-06 07:06:54
80807 @suckcubus

先週末に、もともと三鷹にあり、現在は国分寺に店を構える、太宰が贔屓にしていた鰻屋「若松屋」を訪れてみた。しかし、7月・8月は予約で売り切れてしまうらしく、結局ありつけずに終わった。 pic.twitter.com/dfyM5hrC9u

2015-08-06 07:07:36
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80807 @suckcubus

太宰治の『女生徒』を再読。とある女学生の朝起きて夜寝るまでの一日。ここに描かれているのは、女の感覚そのものだ。男が書いたとは驚きである。本人は至って真面目に一つの事を考えているのだが、次から次へ関心は移り、内省も何も後には残らず、ただその場その場の思考遊びを楽しんでいるだけなのだ

2015-08-05 11:58:54
80807 @suckcubus

また、仰々しさを愛し、急に泣いてみたくなったり、評論家を気取ったり、理想の娘を演じてみたり、女の子はいつだって「ごっこ遊び」の延長線上で、別の誰かになってみたいのだ。

2015-08-05 11:59:20
80807 @suckcubus

「おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか?もう、ふたたびお目にかかりません。」ー太宰治(『女生徒』)

2015-08-05 12:00:17
80807 @suckcubus

「朝は、意地悪。」の書き出しが秀逸と引き合いによく出されるけど、私はこの終わりの文も気に入っている。冒頭文で引き込む力。頭に残り、使いたくなるフレーズ。私は太宰に関し、コピーライターとして評価している。

2015-08-05 12:01:53
80807 @suckcubus

だが、私は太宰が苦手だ。最初に読んだものがファンの中でも評価の分かれる『人間失格』であり、垂れ流しの自意識や自分に対し悦に入っているねちゃっとした気持ち悪さが受け付けなかった。私はこの作品を愛読書に挙げる人間に嫌悪感を覚える。太宰を好きな俺カッコいい的な自己陶酔が窺えるからだ。

2015-08-05 12:03:19
80807 @suckcubus

それは、作品が纏うおしゃれ感が好きなだけの自己演出ばかりで中身のないハルキストに抱くのと同じように。

2015-08-05 12:03:46
80807 @suckcubus

太宰を囲む会で面と向かって「僕は太宰さんの文学はきらいなんです」と言い放った三島由紀夫の気持ちが分かる。太宰の反応は「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、やっぱり好きなんだよな」と言ったとも、「きらいなら、来なけりゃいいじゃねえか」と吐き捨て、そっぽを向いたとも

2015-08-05 12:07:48
80807 @suckcubus

私の見解としては、後者だったと思う。太宰はプライドが高く、実力以上に自分の作品を自負していた節がある。第一回芥川賞の候補となるも落選すると、選考委員の一人だった川端康成に向け、怒りのまま「大悪党め、刺し殺してやる!」といった抗議文を発表しているし

2015-08-05 12:11:18
80807 @suckcubus

しかし、次の選考時期になると、「私を助けると思って、どうかどうかお願いです。芥川賞をください」と懇願文を川端や佐藤春夫ら選考委員達に連日連夜送りつける。こういう卑しさも嫌いだが、落選するとまた、今度は小説で「受賞の内示をくれたじゃないか!」と佐藤を実名で批判。もうほとほと呆れます

2015-08-05 12:13:05
80807 @suckcubus

太宰がここまで芥川賞を渇望した理由は、狂信的に愛する芥川龍之介の名を冠した賞だったからとも。繰り返す自殺未遂も、芥川の死に影響された模倣とすら言われる様だ matome.naver.jp/m/odai/2136818…

2015-08-05 12:13:54
80807 @suckcubus

三島も太宰と同じようにノーベル賞を強く望み、翻訳に精を出した。しかし、親友であり、師である川端がノーベル賞を受賞してから、二人の書簡は儀礼的になり、疎遠になる。代筆が当たり前に行われた時代、川端文学の評価を高めた『眠れる美女』等は三島の代筆と説があり、どうにも割り切れなかったのか

2015-08-05 12:15:07
80807 @suckcubus

真相のほどは分かりかねるが、地域バランスが考慮されるため、次の日本人受賞は少なくとも十年は先になると三島は知っていた。彼はそれまで待てなかった。川端受賞の二年後、自ら命を絶つ。その二年後、思うように作品が書けず、川端も自殺。ノーベル賞によって狂わされた二人の文豪。

2015-08-05 12:19:08
80807 @suckcubus

日本人初ノーベル文学賞の裏話。三島は受賞すべきだったと思う。まだ若いからと機会を逃したなど… www9.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2… tokyo-np.co.jp/article/featur…

2015-08-05 12:19:36
80807 @suckcubus

話を元に戻し、三島の太宰嫌いは同族嫌悪と思われる。共に名家の生まれで、生後すぐ実母から引き離され育てられた。自伝的小説『仮面の告白』によると、病的なまで過保護な祖母により授乳時以外は母と会えず、外界から隔離されるように育った三島は生来病弱で、幼少期は「アオジロ」とからかわれていた

2015-08-05 12:21:12
80807 @suckcubus

そして、虚弱体質にコンプレックスを抱くが、裏には男たるものこうあらねばとジェンダーの支配があり、男らしさへの永遠の憧れがあった。その後、三島はボディビル・武道など肉体改造に異常なまで励み、弱さを克服しようとする。一方、太宰は健康上問題はなく、長身で体格にも優れ、運動神経も良かった

2015-08-05 12:22:02
80807 @suckcubus

しかし、太宰は『津軽』『思ひ出』によれば、母が病身であったため乳母に預けられるも一年足らずで出てゆき、母親のような存在だった子守のタケもいつの間にかいなくなったりと母親喪失体験をした。その後も太宰には捨てられる不安が付いて回り、母性を、愛されることを求め、女性の間を渡り歩く。

2015-08-05 12:23:05
80807 @suckcubus

演じてか知らぬが、太宰には弱さがある。言うなれば心の弱さである。赤子の自己防衛本能が如く、太宰は弱さを丸出しにすることで、人の懐に入り込み、共に生きる。太宰は面倒事を避け、そもそも闘わないことを選んだ。そして、弱さを利用してうまいこと生きていく。

2015-08-05 12:25:11
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