2021.05.09 青天を衝け(13)「栄一、京の都へ」放送後の町田明広先生による解説ツイート

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町田 明広 @machi82175302

本日から、町田啓太さんの土方歳三(1835―1869)がさっそうと登場。日本大百科全書によって、極々簡単に紹介すると、幕末の新選組副長。武蔵国多摩郡石田村(東京都日野市)に土方義諄 (ぎじゅん) の4男に生まれる。近藤勇 とともに新選組の実権を握り副長となった。#青天を衝け

2021-05-09 21:09:54
町田 明広 @machi82175302

土方歳三は、1864年(元治1)の池田屋事件、禁門の変などで近藤を助けて働いた。1868年(慶応4)4月に下総(千葉県)流山で近藤と別れ、以後、宇都宮、今市、会津で官軍と戦った。仙台から榎本武揚の軍艦に同乗し、11月箱館五稜郭を占領し陸軍奉行並となった。#青天を衝け

2021-05-09 21:10:09
町田 明広 @machi82175302

土方歳三は、明治2年5月11日、箱館一本木で戦死。35歳。墓は日野市石田の石田寺寺(東京都日野市石田)にある。変名は内藤隼人。尾高惇忠、渋沢喜作は函館戦争に従軍しており、当然、土方とは接点があった。ドラマでは、函館戦争まで描かれることを期待したい。#青天を衝け

2021-05-09 21:10:55
町田 明広 @machi82175302

ディーン・フジオカが演じる”五代様”、五代友厚が登場した。朝ドラで一大ブームを巻き起こした五代が同じディーンで復活した。こちらも、ブリタニか・オンラインなどで簡単に紹介しておこう。五代は天保6(1835)12月26日、鹿児島で生まれ、明治18年(1885)9月25日、東京で没した。#青天を衝け

2021-05-09 21:12:21
町田 明広 @machi82175302

五代友厚は、明治初期の実業家,政商。薩摩藩の出身。安政4 (1857) 年藩命で長崎に留学し,航海,砲術,測量を学ぶ。慶応1 (65) 年藩命によってヨーロッパを視察,帰国後は藩の開明派の指導者となり藩の貿易発展に活躍。明治維新後外国官権判事,大阪府判事を経て,明治2 (69) 年退官した。#青天を衝け

2021-05-09 21:13:03
町田 明広 @machi82175302

官を辞した五代友厚は実業界に転身した。以来主として大阪の商工業の発展に尽力し,金銀分析所の開設,鉱山・製藍事業などの経営のほか,大阪堂島米会所復活,大阪株式取引所,大阪商法会議所,東京馬車鉄道会社,神戸桟橋会社などの創立に活躍した。#青天を衝け

2021-05-09 21:13:08
町田 明広 @machi82175302

五代友厚は、他方では大久保利通,木戸孝允,井上馨,伊藤博文,板垣退助らを集めた「大阪会議」の斡旋に成功するなど,明治初期の政界の黒幕的存在でもあった。明治14年開拓使官有物払い下げ事件をおこしたとされる。幼名は徳助、才助。号は松陰。#青天を衝け

2021-05-09 21:13:32
町田 明広 @machi82175302

この頃に至る五代友厚について、私の視点から少々説明を。幼年時からその才能を高く買われていたとされるが、五代にとってエポックとなったのは、安政4年(1857)であった。五代は郡方書役に任命されたが、特に重要なのは長崎海軍伝習所への遊学であった。#青天を衝け

2021-05-09 21:15:00
町田 明広 @machi82175302

五代はここでオランダ語や海軍技術を学び、世界に対する幅広い知識・認識を持つに至った。また以降も長崎に滞在することが多く勝海舟、榎本武揚、佐野常民、高杉晋作らと交遊しネットワークを構築した。中でも、トーマス・グラバーとの出会いは特筆すべきであるが、この点は後に触れたい。#青天を衝け

2021-05-09 21:16:20
町田 明広 @machi82175302

その後、五代は藩に重用され、文久2年(1862)に舟奉行副役に就任、幕府艦千歳丸で上海に渡航し、薩摩藩のために汽船・武器を購入した。また、文久3年(1863)には、生麦事件によって発生した薩英戦争において、風雲急を告げる情勢を察して急遽長崎から帰藩し、天佑丸船長として参戦した。#青天を衝け

2021-05-09 21:16:47
町田 明広 @machi82175302

五代は薩英戦争において、寺島宗則と共に英国海軍の捕虜となった。五代は自発的に捕虜となっており、その目的が攘夷から開国への藩論の転換を狙ったものと解釈されてきた。しかし、五代自身が上海から戻るとすぐに久光の命を受け長崎で上海貿易に従事し始めており、その必要性は窺えない。#青天を衝け

2021-05-09 21:17:52
町田 明広 @machi82175302

五代は潔く釈明を控えているが、おそらく、かけがえのない藩船の拿捕の責任を取り、また、情報収集もかねて居残ったものと理解したい。五代らは横浜で解放されたが、簡単に捕虜になったことから、藩からイギリスとの密通の嫌疑を受け、また幕吏にも追われることとなった。#青天を衝け

2021-05-09 21:18:11
町田 明広 @machi82175302

五代友厚は、こうして追われる身となり、江戸や武州熊谷での亡命生活を余儀なくされた。本日、渋沢と五代が熊谷で出会ったのはあり得る範囲である。脚本の妙に唸った。その後、寺島と別れて長崎に潜入し、ここでグラバーと再会したが、五代らは肝胆相照らす仲となっていたようだ。#青天を衝け

2021-05-09 21:20:08
町田 明広 @machi82175302

五代は、長年構想を練っていた富国強兵のための海外貿易や留学生派遣についての思いをグラバーに熱く語り、その構想の青写真を共同で作成することが叶った。これが「五代才助上申書」である。なお、薩摩スチューデントにかかわる一切の面倒は、このグラバーが見ることになる。#青天を衝け

2021-05-09 21:20:41
町田 明広 @machi82175302

こうした五代友厚の幕末期の活躍が等閑視されていることは非常に残念である。拙著『グローバル幕末史』(草思社、2015年)で、薩摩スチューデントの生みの親として、また偉大な外交家として紹介している。「男児、財産をつくるためにこの世に生をうけたのではない」という信条に共感する。#青天を衝け

2021-05-09 21:22:22
町田 明広 @machi82175302

五代友厚について、幕末維新期に活躍したメンバーの中に、なかなかその名が挙がらない。これは政治家の道ではなく、明治に入ってすぐに財界人に転身したことによろう。五代がそのまま政治家を志し、もう少し長生きできれば、総理大臣も夢ではなかったと個人的には確信している。#青天を衝け

2021-05-09 21:22:42
町田 明広 @machi82175302

五代友厚については、いずれ講演でも取り上げたいし、伝記の類も書いてみたい、そんな魅力的な人物である。しかし、ディーン・フジオカ、流石かっこいい!#青天を衝け

2021-05-09 21:22:58
町田 明広 @machi82175302

大久保利通が登場。この時代の超重要人物の1人なので、日本大百科全書によってその前半生をごく簡単に確認しておきたい。幕末・明治前期の政治家。木戸孝允、西郷隆盛とともに「維新三傑」の1人。薩摩藩下級武士の出身。正助、一蔵と称し、のちに利通と改め、また甲東と号した。#青天を衝け

2021-05-09 21:24:21
町田 明広 @machi82175302

大久保は、文政 13年8月10日鹿児島城下高麗町で生まれ、まもなく加治屋町に移住。生家は西郷隆盛の家格と同じく、御小姓組に属した。利通は17歳で記録所書役助に任ぜられたが、1849年(嘉永2)に起こった薩摩藩主の家督争いである「お由良騒動」に巻き込まれ父利世が流罪、一家は困窮した。#青天を衝け

2021-05-09 21:25:01
町田 明広 @machi82175302

大久保利通は、藩内の尊王攘夷を唱える下士たちと交わり、政治に開眼した。その後、同藩内の高崎派が支持する島津斉彬が家督を継いで藩の実権を握ると、父利世は赦免された。西郷隆盛らと志を通じ、同藩の改革派下士層の中心として活躍を始めた。#青天を衝け

2021-05-09 21:25:29
町田 明広 @machi82175302

1858年(安政5)斉彬の死去、安政の大獄を契機に、利通は島津久光・小松帯刀の下で藩の意見の統一を図り、公武合体運動を推進する方向で活躍した。利通は1860年(万延1)勘定方小頭、次いで御小納戸頭取へ昇任し、藩政の中枢へ進出した。#青天を衝け

2021-05-09 21:25:55
町田 明広 @machi82175302

1866年(慶応2)、薩長同盟(私は「小松・木戸覚書」と呼称)以降、反幕府的な公卿の岩倉具視と提携し、朝廷より薩摩藩あてに討幕の密勅を下賜させることに成功し、討幕派の有力者として王政復古の大号令発布を実現させ、明治維新の指導者となったとしている。#青天を衝け

2021-05-09 21:26:09
町田 明広 @machi82175302

新政府の成立とともに、利通はその指導者の一人として、参与から徴士そして参与内国事務局判事、さらに参議へ昇任して内政の中枢を握り、また木戸孝允らとともに、版籍奉還、次いで廃藩置県を断行した。#青天を衝け

2021-05-09 21:26:29
町田 明広 @machi82175302

当時、元討幕派公卿と薩長土肥などの旧西南雄藩出身者から構成される雄藩連合政権のもとで、大蔵省を拠点に木戸と結んでいた大蔵卿大隈重信の開明的姿勢と比べて、利通は保守的そして漸進的態度をとり、その政治勢力も木戸―大隈らのそれに一歩譲っていた。#青天を衝け

2021-05-09 21:26:56
町田 明広 @machi82175302

しかし、廃藩置県の直前に、大蔵卿に就任すると、政府財政の基礎確立のため地租改正を提案し、のちに地租改正事務局総裁としてその事業にあたり、また富国強兵を目ざして、殖産興業政策を発足させることになる。なお、渋沢栄一とは対立関係となるが、ドラマの展開を期待して待ちたい。#青天を衝け

2021-05-09 21:27:11