五胡十六国時代に匈奴の皇帝赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が巨大な城を築くのに使った「謎のコンクリート」の正体

石灰に水をかけて蒸気を発生させ、砂と粘土を結合させたセメント類似の工法が、漢籍に「蒸土」という名前で記録されていた。五胡十六国のひとつ夏を建国した匈奴出身の赫連勃勃(かくれんぼつぼつ)が築いた「統万城」の歴史
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巫俊(ふしゅん) @fushunia

長く続いた漢代の間に、手近で簡単に採掘できる場所は掘り尽くしたってことがあるのかもしれないし、帝国が巨大化した一方で、後世の時代ほどは海上貿易などが発達して無かったということがありそう

2021-05-16 01:31:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

西晋・五胡・東晋の各政権が「貨幣」の不足・劣化で苦しんだことを思うと、何もしなくても日本や新大陸から銀が流入してくる明朝の環境は贅沢な気がする。 twitter.com/fushunia/statu…

2021-05-16 01:22:48
巫俊(ふしゅん) @fushunia

戦乱期の五胡東晋時代はともかく、西晋時代においても抜本的政策変更に移ることができなかったのは、原料が安価に手に入らない状況下では、貨幣鋳造にリスクがあったということでしょうか。経済安定より鋳造コストのリスクが大きかったということ?

2021-05-16 01:17:37
佐藤大朗(ひろお)@『晋書』完訳プロジェクト @Hiro_Satoh

五胡十六国による中原征服は、漢代・三国に研究の軸足があると最悪の結末に見えますが、南北朝や隋唐ならば研究すべき題材の幕開けでしょうし、宋元や明清であれば、よくあること??って感じになるんでしょうか。 主題とする時代が違うと、周の来歴や、春秋戦国の楚や秦の見方も変わってきそうです。

2021-03-23 02:35:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Hiro_Satoh 春秋時代前期までは青銅器や鉄器が伝来してくる草原地帯に隣接した地区に住む人たちが、中原に覇を唱える歴史がありました。春秋前期の狄そのような勢力です。ところが晋の文公の頃から中国で鋳鉄が発達し、周系勢力が盛り返したので様相が変わります。

2021-03-23 04:08:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Hiro_Satoh 春秋前期の牧畜農耕民「狄」は、殷墟の地にあたる「衛」などを占領していて王を称しており東周王朝の王子を擁立したり、周王に狄后が嫁ぐなどの活発な活動をしてましたが、狄の女性から生まれた晋の文公がこの状況を変えたと言えます。

2021-03-23 04:11:00
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Hiro_Satoh そのため周の文化を中心とした「周の歴史」が社会の中で価値観として定まっていき楚や秦などの諸国もその歴史世界の中(遠祖の帝王が共通だといったフィクションを含む)に参加するという形で外交関係を結びその理解が漢代・三国・西晋と引き継がれた後、狄の次にあたる五胡が出てきたという訳です

2021-03-23 04:14:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

彼らが華北全土を支配した訳では無いけど、中原の要所に進出したことで知られ、ちょっとした「五胡」みたいな感じでした。それが春秋時代の前半の歴史です。

2020-12-05 21:18:21
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国みたいな活躍をするかと思いきや、討ち取られてしまった春秋時代の長狄の兄弟、縁者たち。 twitter.com/fushunia/statu…

2017-11-05 23:48:53
巫俊(ふしゅん) @fushunia

blogs.yahoo.co.jp/sanokuangxian/… 長狄僑如 首を取られ、魯の都の門に埋められた 弟:栄如 首は斉の邑の門に埋められた 末弟:簡如 衛に負けて捕らえられた 別の弟:焚如(棼如)晋に捕らえられた 長狄縁斯 宋に捕らえられた

2017-05-14 01:21:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国を経て、中国北部のDNAはどれくらい変化したんだろう…定住蛮族」みたいな定義が必要なのかな?漢族以外の集団でも、中原に定着して定住生活を送るようになると、漢族との決定的差異はそれほど大きく無くなるから、その組織が再編成されて官僚機構と一体化したら、融合への道が開かれる

2021-04-20 04:35:08
巫俊(ふしゅん) @fushunia

春秋時代も、周系とは異なる集団が相当数、移住してきていて、「狄」などと総称されてるけど、組織の再編成さえされたら、周・狄の別無く統合される可能性があり、春秋時代については晋の鉄器生産(鋳鉄)が進んで、「狄による統合」をはね除け、「晋・周による統合」を可能にしました。

2021-04-20 04:37:39
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国を語る時にいつも出てくる「漢」とか「漢族」の正体は、春秋戦国時代に融合した「周」と「狄」の集団なんだけど、中国史ではそれがあまり認識されて無かった上、五胡は中世史に分類されてるので、古代史とは縁が薄く、先秦と五胡の両方に詳しい人って少ない訳です。

2021-04-20 04:39:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「狄による統合」と「晋・周による統合」は、紙一重みたいなもので、一歩間違えばどうなるか分からなかったものです。そもそも、殷も周も、青銅器・馬文化が先行して華開いた草原地帯と接触していた勢力が急拡大したものなので、周の次は狄の番だった可能性が高く、そうなりかけたんだけど、挫折したの

2021-04-20 04:42:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

「狄」は農耕牧畜民の集団で、集落を作って暮らしていて、戦国期には城邑を形成していました。戦国の中山国は狄の鮮虞集団が建国したもので、秦の北隣の「蛮族」の義渠も城郭都市を多数保有していた勢力でした。中国西北部の遊牧民と農耕民は起源をたどると同系集団なので生業が違うだけだったのです。

2021-04-20 04:47:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

青銅器時代以前のユーラシア草原地域の「遊牧民と農耕民」は、「国家」という膜を持っていなかったので、農耕困難な場所では遊牧を行い、農耕可能な場所では農耕を行っていたし、その中間的存在の人たちもいて、しかも農耕で人口増加した人口は遊牧の社会に浸透・吸収されるので言語も同じだったりする

2021-04-20 04:51:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

五胡十六国時代遊牧民研究」(2013年)って論文を見つけました。ネットで読めます。 glim-re.repo.nii.ac.jp/?action=pages_…

2021-04-20 02:38:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

調べてたら、五胡十六国時代の「成漢」の俑と三星堆青銅人は、時代は離れてるが相互に関係があると指摘する『成都日報』の記事がありました(中国語)。 sohu.com/a/415681081_35…

2021-04-29 16:24:07
巫俊(ふしゅん) @fushunia

何か、自分の中で燃えるような三国志ブームが到来したんだけど、何したらいいか、分からない。

2020-10-29 04:39:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

後漢末って、あんな風に国家が四分五裂してるのに、対外的に大規模な侵攻を受けてないから、中華帝国の圧倒的な遺産を受けてる気がする。というか、この「漢」が後々になって「中華帝国」というイメージに根拠を与える遺産になった。西周滅亡とかの時は、西北地域からの侵攻うけて、痛ましいので。

2020-10-29 04:43:36
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国では、青銅器時代の最初の時点から、その「西北地域」に別の文明が存在するという脅威が存在してて、それを最初に克服できたのは、漢の武帝なんですね。秦の始皇帝なんか、ベトナムまで遠征してるのに、都のすぐ近くの河西回廊には手を出せなかったので。それは月氏の遊牧国家があったから

2020-10-29 04:48:28
巫俊(ふしゅん) @fushunia

ユーラシア中央部の草原地帯から見ると、その中心から見た出口付近に、新疆及び甘粛のオアシス地域が存在しそしてその先には、アワ・キビ農耕が発達した大人口地帯が存在するって二重構造になっててこの二重構造が「夏」・殷・周の歴史を決定付けてます。

2020-10-29 04:54:59
巫俊(ふしゅん) @fushunia

この二重構造は、匈奴が分裂して帰参した後の後漢時代になっても、完全には解消してなくて後漢時代には「羌」集団が大反乱を起こして猛威を振るいます考古学的にも、実はこの「羌」集団は、周代の「羌」(伝説の太公望とかの出自)とは関係が無さそうだとされてて、いわば再統合された存在でした。

2020-10-29 04:58:15
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そのため、儒教の大義とか、その党派の思想とは矛盾するような形で、西北地域での対羌戦争を担ってた董卓が中央政権に登場した訳です。董卓は名士を尊重するなどして、どうにか「分かってくれ」と訴えたんでしょうけど、話は全く通じなくて、裏切られてしまう訳ですね。

2020-10-29 05:01:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

こういう風に巨視的に見る限りでは、魏・晋時代に続いてく名士層の価値観とかネットワークは、この「西北地域」の「もう一つの文明」の底流には気付いて無くて、十分な対処もしなかったので、五胡の大乱を招いたというのが、実情かもしれません。そもそも儒教は西北地域の文明を認知して無い宗教なので

2020-10-29 05:04:57
Yu Yamaguchi@新シリーズ3巻10/18発売 @Yu_Yamaguchi_

@fushunia そういえば、歴代の中国王朝の首都は、妙にその西北地域に近いところにありますね(宋以降は東に行きますが)。この首都付近の人々が、西北地域の文明との関わりによって力を持ったということなのでしょうか。

2020-10-29 15:18:54
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Yu_Yamaguchi_ 二里頭(「夏」)、殷、西周はいずれも、西北地域との関係で成立しますので、「洛陽は四方が通じる地」という発想自体が、西北及び東南との中間の好位置にあるということを示してますね。

2020-10-30 05:03:06