- mamiananeko
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人生「リフレーミング」の連続で生きやすくなっていくもんだが、「リフレーミング」を他者におしつけることには、もれなく暴力性が伴うと思うんだよな。
2021-06-02 14:15:36「生きづらさ」を訴える人には、「リフレーミング」がうまくできないってな傾向があって、その根っこに「疑うことが苦手」ってのが横たわってると思うのだな。 なので「リフレーミングに必要な先入観の排除」にたどり着きにくい。
2021-06-02 14:22:29疑うのに抵抗がない人だと書籍などを介して先入観の排除が可能なので、付随してリフレーミングも起こりやすいが、疑うことが苦手な場合は「他者とのかかわり」「突発的な事象」などで 先入観が崩れざるを得ない状況でないとなかなか起こらない。
2021-06-02 14:50:02んでもって、ここ数十年ほどの教育情勢や社会情勢もあいまって、疑いをもつこと、表明することと恐怖感がセットになってしっている人は多い。 疑念を挟めばボコられるという経験や、そういうのを見ることが多ければそうなるだろう。 ますます先入観は崩れにくくなる。
2021-06-02 15:08:15当事者研究の魅力は高かった…ただし…
さて、そろそろ本題 なぜソーシャルグッド界隈で「当事者研究」がもてはやされたか? 社会運動という面を外して考えてみよう。
2021-06-02 15:15:04まず一つ目 向谷地氏が繰り出す「問い」の天邪鬼っぷりが「先入観の排除」と「リフレーミング」の博覧会だったこと、しかもその仕組みまである。 心理系、支援系の人達にはさぞや魅力的だったろうと思う。 先入観の排除が苦手な人ならなおのこと「マジック」のように見える。
2021-06-02 15:38:02二つ目、 「責任の外在化」+「順調に問題だらけ」は「強大な免罪符」として機能する。 これは「自己責任社会」に疲れはてた人にとっては非常に魅力的だ。 そして、統合失調症者の家族にとっても絶大な救いになる。実際べてるのファンは家族が多い。
2021-06-02 16:03:11三つ目 綾屋・熊谷の参入によって、ありのまま系発達障害者はじめ、弱者マイノリティ全般へと間口が広るとともに、権威化がさらに進んだ。
2021-06-02 16:22:47当時者研究を発達障害に適用できるか問題
ま、そーいうわけで、当事者研究ってのは、内包する矛盾やリスク管理の問題に目がいかない限りは、魅力にあふれていたんだと思うよ。 「べてるの家が稼げている状況」 は 「当事者研究」の適用範囲拡大の安全性を担保しないのだが、それはあまり検討されてこなかった。
2021-06-02 16:42:32「当事者研究」をリードしてきた人たちが「内包する矛盾」に気が付いていたかどうかはわからないが、 「順調に問題だらけ」 を是とするのであれば、検討することから遠ざかりやすいのではないだろうか。
2021-06-02 16:48:38当事者研究の発達障害領域への適用に関しては、私は従来からかなり批判的な立場をとってきたが、統合失調症に関していえば「一部有益」ではないかと思っている。 統合失調症は緩解しても言語機能の低下をおこしやすい疾患だ。となれば言語機能のリハビリとしては意味があるかもしれない。
2021-06-02 23:36:59その部分を保留しても、私はべてる式の「当事者研究」に、若干の矛盾を感じてしまう。 その部分が解消されないまま、理念やスローガンの相乗りをした状態で適用範囲を拡張していくのは無理があると思のだ。
2021-06-02 23:44:22『「治る」ことが想定されていない』ということである。 とあるイベントで向谷地氏に直接疑問としてぶつけてみたことがある。 2014年、大阪で「仏教と当事者研究」というイベントがあった。
2021-06-02 23:46:25そのイベント事務局から私の元に、「ランチミーティング」へのお誘いメールがやってきた。 後から聞くに、私のブログに「アスペルガー当事者による」という文言が入っていたことから、「当事者研究」に似たことをやっていると解釈されたらしい。
2021-06-02 23:52:28特に断る理由もないし「当事者研究…ああ、テレビでやってたあれか…わかんなかったけど、ライブでみたら何かわかるかな?」ってな感じで、出かけてみた。 イベント会場のお寺の反響音がすごかったので、講演は聞かなかった…そそくさと退散した。
2021-06-03 00:01:29そしてランチミーティングの後半「当事者会の自己紹介タイム」になり、適当に開いていた席に座ったのだが、よく見たらお隣が向谷地氏だった。 折角の機会だからとおもって、ちょいと疑問だったことを質問してみた。
2021-06-03 00:09:52「降りるとか治らなくていい…ってのもまあありだとおもうんですが「治った場合」がどうとらえたらいいんですか?」 向谷地氏は 「治っても、まあいいんじゃないですか」 だった。
2021-06-03 00:16:40疑問はとけなかった。 と同時に「いらん苦労の固定化に対する予防策」という視点は当事者研究にはあまりない気がした。 似たような問いをぶつけた人は私以外にもいたようである(昨年、一瞬で消えた記事中にS氏の言として書いてあったが詳細は略)。
2021-06-03 00:38:31発達障害者では誤学習や未学習、PTSDなど、「苦労があってこそ人間的」とはとても言えないタイプの「苦労」背負っている人がすくなくない。 さらにいえば「発達障害」直結の知覚的なものも、かなり可変性がある。 「そのままでいい」 は 「そのままでないといけない」 に誤変換されやすい。
2021-06-03 00:48:09「降りていく生き方」 「治らなくていい」 は、一概に否定されることもないと思うが、「治る」「良くなる」の足かせになりかねないものになりやすいと思う。 「当事者の主観的な生きづらさ」のみを支援のベースすることはリスクをはらむのだ。 以下一例として。 note.com/maminyan/n/nc4…
2021-06-03 01:09:47誤学習はアブナイオバサンを作る…の段|狸穴猫(まみあなねこ) @mamiananeko #note note.com/maminyan/n/nc4…
2021-06-02 23:04:01「共感」も「寄り添い」も「外在化」も全く役に立たないであろう誤学習案件のお話し。 必要だったのは「情報整理」と「先入観の排除」と「リフレーミングモデルの提示」だったように思うぞ。 twitter.com/mamiananeko/st…
2021-06-02 23:13:33私もかなりの数の発達障害者に会ってきたが、上記の「脱アブナイオバサン」の件は、口あんぐり度の高さはダントツトップクラス。そして構造の露見からご本人の消化までのスピードもウルトラスピードで進行したケースである。
消化までもう少し時間がかかる…ことのほうが多い。