『惡の華』あの日、なぜ仲村は春日を突き放したのか

惡の華を読んだ感想です。大したことは書いていませんが、頑張って書いたのだけ伝われば幸いです。後半は主に山月記に絡めた考察になります。
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piyo☆ @hiyokonokokoro

「惡の華」の魅力はなんだろう。この作品に衝撃を受けたと絶賛する人もいれば、一番嫌いな作品だとボロクソに言う人もいる。感想は人それぞれだが、きっと何かを語りたくなる作品なのだと思う。登場人物の持つモヤモヤした思い、不安や絶望、心の叫びに何かを感じ取らずにはいられない。

2021-06-21 20:59:15
piyo☆ @hiyokonokokoro

「惡の華」は大きく分けて中学生編と高校生編の2部に分かれている。中学生編は現実に絶望して死のうとする物語。高校生編は絶望した現実の中でどうにかして生きようとする物語。主人公の春日は仲村、佐伯、常磐という3人のヒロイン達と関わる中で悩み、苦しみ、葛藤する。

2021-06-23 16:47:08
piyo☆ @hiyokonokokoro

3人のヒロインの中で一番語りやすいのは、佐伯ではないかと思う。佐伯は恵まれた家庭で育ち、可愛く、頭も良い。世間に迎合し、周囲の期待に応えて、正しく真面目に生きてきたが、そんな自分の在り方に漠然とした虚しさを感じていた。そんなとき、春日や仲村と出会ってしまい、人生が狂い出す。

2021-06-21 23:39:11
piyo☆ @hiyokonokokoro

佐伯は「現実」をよく知っている。人が他人に依存する弱い生き物だと知っている。誰も特別になれないことを知っている。灰色の世界の中で生きていかなければならないことを知っている。それでも、春日の「特別」になろうとし、春日を理解しようとし、必死で恋したのだと思う。 pic.twitter.com/yknA7xrBk1

2021-06-22 02:34:57
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piyo☆ @hiyokonokokoro

高校生編。 再会した春日の話を聞いた佐伯は「がっかりした」と言う。春日が「向こう側」を見つけてくれているのを期待していたのかもしれない。しかし春日は事件以来、仲村からずっと逃げ続け、灰色の世界で生きていた。佐伯は自らが正しかったと知り、春日に、そして自分に失望したのだと思う。

2021-06-22 03:38:28
piyo☆ @hiyokonokokoro

佐伯は春日に関わったせいで、人生が変わってしまった。可哀想と思う反面、自分から関わり続けたので、自業自得な面もある。 春日の気を引きたいがために、逆レイプすることすら厭わない利己的な愛は、「人間」の醜さを表しているように見えた。暴走していた、でも必死だったんだと思う。

2021-06-22 13:10:45
piyo☆ @hiyokonokokoro

佐伯奈々子が「普通」のヒロインだとするなら、仲村佐和は「普通」ではない。何を考えているのかわからない。非常識で社交性がなく、他人を見下し、暴力を振るう。反社会的で、頭がおかしく、イカれている。普通の人なら、仲村と関わろうとは思わないだろう。

2021-06-22 21:20:49
piyo☆ @hiyokonokokoro

仲村は自分が他人とは違う「変態」であることを自覚していて、絶望的な生きづらさを抱えている。だから、この町ではない「向こう側」に行きたいと思っている。セックスすら否定する態度は、「人間」を超越しているようにも思える。誰よりも孤独だが、誰にも理解されず、誰も仲村の孤独を救えない。 pic.twitter.com/1Hp1crcpGE

2021-06-24 09:58:00
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piyo☆ @hiyokonokokoro

「どこへ行っても私は消えてくれないから」 向こう側がないことを悟り、仲村は泣く。誰にも理解されない絶望、苦悩、怒り、悲しみ。理解してくれるかもしれない春日を見つけた喜びと失う不安。人間的な弱さ。全てをさらけ出した瞬間だったように思う。

2021-06-22 23:14:04
piyo☆ @hiyokonokokoro

「私はひとりでいく」 夏祭りの日、春日と仲村は2人で自殺する計画を立てるが、最後の最後で仲村は春日を突き放し、独りで自殺しようとする。 なぜ仲村は春日を突き放したのだろう?それがわからないから、この作品を何度も読み返してしまう。それがわからないまま、春日は高校生になった。

2021-06-23 00:31:57
piyo☆ @hiyokonokokoro

夏祭りのあの日、春日は死ぬつもりだった。死ぬつもりだったのに生かされてしまった。ひとりで死ぬこともできず、「幽霊」のように生きていた。「罪悪感」から他人と深く関わらないように生きてきた。そんな時、春日は偶然本屋で「悪の華」を手に取っている常磐を見かけ、思わず話しかける。

2021-06-23 17:45:21
piyo☆ @hiyokonokokoro

常磐文は、仲村佐和と似ている。 「普通」の快活な女の子に見えるが、本当の自分を誰にも理解してもらえない絶望を抱えている。そのため、周囲に心の「壁」を作り、本当の自分を隠し、「幽霊」のように生きている。本当は文学少女であり、小説を書きたいと思っているが、自信がない。

2021-06-23 17:56:51
piyo☆ @hiyokonokokoro

常磐にとって、春日は初めて自分の小説を見せることのできる人間だった。本当の自分を認めてくれる人だった。 「僕がきみの幽霊を殺す」という春日の告白は、本当の自分を押し殺して生きるしかないと思っていた常磐にとって、これ以上ない救いの言葉として、心に響いたのだろう。 pic.twitter.com/FwQHlz3wtK

2021-06-23 20:26:46
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piyo☆ @hiyokonokokoro

春日の「過去」を聞いた常磐は、あまりにも衝撃的な事実に混乱する。そして、完成したばかりの小説を春日の目の前でビリビリに破り捨てて逃げだす。 小説は、常磐の魂そのものであり、春日への感謝や愛情だ。それがくだらなく思えるほど、春日の「過去」は衝撃的で目を背けたい事実だった。

2021-06-24 01:07:34
piyo☆ @hiyokonokokoro

追いすがる春日に「じゃあ私にキスできる?」と問いかける常磐。本気で「過去」から脱却して共に生きる覚悟があるのか確かめる。春日はキスに応じ、覚悟を示した。 「私も、仲村さんに会いにいく」 そして常磐も、春日の「けじめ」を見届ける覚悟をする。この台詞が言える常磐は強い子だと思う。

2021-06-24 02:08:59
piyo☆ @hiyokonokokoro

そもそも、なぜあのとき、仲村と春日は死のうとしたのだろう?あのとき、2人で生きる道は本当になかったのだろうか。子供だから考えつかなかったのだろうか?一体何に突き動かされていたのだろう?

2021-06-24 17:37:27
piyo☆ @hiyokonokokoro

作中で「山月記」の一節を教師が読んでいるシーンがある。 山月記は、有名な詩人になることを夢見ていた李徴という男が、夢破れ、絶望の果てに「虎」へと姿を変えてしまう話だ。李徴が言うには「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が彼を虎へと変えてしまったらしい。李徴は過去を悔んだ。 pic.twitter.com/6KM28SeYZ9

2021-06-24 23:18:23
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piyo☆ @hiyokonokokoro

李徴は、かつての親友だった袁傪に「人間」としての最後のお願いをする。それは「自らが生きた証として、詩を残してほしいこと」、「妻子に経済的援助をしてほしいこと」、そして「丘の上から虎になった自分の姿を見てほしいこと」だった。願いを託した李徴は虎となり、月に咆哮した後、姿を消した。

2021-06-24 23:27:14
piyo☆ @hiyokonokokoro

惡の華に「山月記」が登場しているのは強い作意を感じる。李徴の姿が、仲村や春日と重なって見える。李徴が「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」によって虎になってしまったように、内面の鬱々とした気持ち、ドス黒い感情、羞恥心が春日と仲村を自殺志願者へと変えてしまったということだと思う。

2021-06-24 23:44:10
piyo☆ @hiyokonokokoro

夏祭りの日、仲村と春日は鬱々とした感情に支配され、どうしようもなく、自殺しようとした。「向こう側」がないことに絶望し、生きることを諦め、死のうとした。それなのになぜ、仲村は最後の最後に、春日を突き放したのだろう?

2021-06-24 23:55:02
piyo☆ @hiyokonokokoro

山月記では「月」が繰り返し出てくる。月の出ているわずかな時間が、李徴が「人」でいられる時間であり、「人」として詩を読んだときに冷ややかに光り、最後に「虎」として吠えるときに光を失って白い月となる。そのことから、月は、李徴の中にわずかに残った「人間性」を表していると解釈されている。

2021-06-25 01:08:57
piyo☆ @hiyokonokokoro

「山月記」と同じように「惡の華」の作中で月が輝くとき、そこに登場人物の本当の姿があるのではなかろうか。 仲村と春日が夜の学校に忍び込んで教室をクソムシの海にしたあの日、月は真ん丸に輝いていた。 仲村が春日の家のドアを破壊して春日を連れ出した日、あの日も月は雲間から輝いていた。

2021-06-25 01:30:32
piyo☆ @hiyokonokokoro

春日が常磐に過去を語り、そしてキスした日、あの日も月は大きく輝き、2人を照らしていた。 登場人物が「本当の自分」を見せるとき、いつも月は輝いていた。

2021-06-25 01:38:10
piyo☆ @hiyokonokokoro

夏祭りの日、春日は山の向こう側に巨大な「悪の華」が咲くのを見た。でも、仲村は違うものを見ていた。 仲村が見たものは、「月」だったのではないか?そして、わずかに残った「人間性」で、春日を突き落としたのではないか?

2021-06-25 02:05:36
piyo☆ @hiyokonokokoro

仲村が春日に抱いていた感情が、恋なのか、愛なのか、優しさなのか、哀れみなのか、わからない。わからないが、あの刹那、櫓から突き飛ばしたあの瞬間、仲村は春日にただ「生きてほしい」と思ったのだ。この感情を「真実の愛」と呼んでいいのなら、きっとそう呼ぶのだと思う。

2021-06-25 02:40:42