『いきすぎた「当事者主義」「当事者主権」』の問題性をマーケティングと社会風潮の変遷から考えてみる。
『いきすぎた「当事者主義」「当事者主権」』の問題性をマーケティングと社会風潮の変遷から考えてみる。
- mamiananeko
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狸穴猫/松村りか
@mamiananeko
バブル期は米ソ冷戦の末期でもある。 こと優等生的若年者を直撃するようなダブルバインド的メッセージは社会には溢れてもいた。 家庭の状況もさまざまである。 生きるために一時思考停止したとしても責められるものではないだろう。 再生産さえしなければ。
2021-07-02 22:36:59
狸穴猫/松村りか
@mamiananeko
「いま」の日本の惨状は、バブル期から始まったマウンティングと忖度の横行の果てなのだ。 「いきすぎた当事者主義」「当事者主権」といったかたちで再生産されている。 「意識のアップデートを」 というのは、単なるマウンティングと忖度の要求である。
2021-07-02 23:00:46
狸穴猫/松村りか
@mamiananeko
威勢よくお断りするのが吉だ。 が、最近のものはエモーショナルマーケティング手法満載なものも多い。 1例を挙げて連ツイを終えよう。 エモーショナルマーケティングという観点で読み解く上野千鶴子氏の記事|狸穴猫(まみあなねこ) note.com/maminyan/n/n98…
2021-07-02 23:25:26
ほぼこの連ツイの続きとして
同じタイプの「マウンティング+忖度」に流れやすい構造が、「心のケア」への需要の増加と「心のケア」の供給においても形成されていたのでは?という連ツイをしてみた。
まとめは以下。
まとめ
『いきすぎた「当事者主義」「当事者主権」』の問題性をマーケティングと社会風潮の変遷から考えてみる。
『いきすぎた「当事者主義」「当事者主権」』の問題性をマーケティングと社会風潮の変遷から考えてみる。
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