kawaitoshio archive 2017

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川井俊夫 @toshiokawai1122

六年前、今の妻に初めて義父を紹介されたとき、こう訊かれた。 「あなたは高校にも大学にも行かず、いったいその期間をどう過ごし、何を学んだのかね」 俺はこう答えた。 「何も。いろいろあったかも知れないが、役に立つようなことは一つもなかった。だから覚えていない」

2017-01-02 23:29:08
川井俊夫 @toshiokawai1122

今も俺はこの家族の一員だ。義父がまた抽選のことを話し出した。 「その通りだ。運っていうにはああいう場面で使うものじゃない」 妻が続く。 「ならどんな場面で使うのよ! 私なんか懸賞でもなんでもいっぺんだって当たったためしがないわ。ねえ、あなたは?」 交響曲のクライマックスが近い。

2017-01-02 23:32:55
川井俊夫 @toshiokawai1122

「俺もそう思うね。お義父さんの言う通りさ。ツキってやつは、生きるか死ぬかの場面で、マシな方を選べればそれでいい。他には…、まあ、俺の場合はお前と出会ったのが一番マシな大当たりだ。そうでなけりゃ、とっくに死んでた」 妻が笑う。義母も。義父の表情はわからない。

2017-01-02 23:36:43
川井俊夫 @toshiokawai1122

「最近、仕事の方はどうかね」 なかなか痛い質問だ。ボチボチとは言えない。まったく糞まみれだからだ。 「あんまりうまくないですね。迷惑だけはかけないようにします」 BGMを変える。妻の両親の年齢を考えて、由紀さおりでもかけてやろうかと思ったが、俺はそこまで卑屈じゃない。

2017-01-02 23:40:17
川井俊夫 @toshiokawai1122

チェチェン人のアジテーションソングを聴くことにした。車内は微妙な雰囲気だ。 「好きなんですよ。中央アジア。若い頃は、いつかリュックにジャガイモを山盛り詰めて、玄奘三蔵と同じ道を歩いて見たかった。いや、パミールを超えて、ローマまで行きたかった」 もちろん嘘だ。

2017-01-02 23:43:24
川井俊夫 @toshiokawai1122

さて、新年の家族サービスは終わりだ。夜の帳が降りる。俺の時間。妻は全て分かっている。 「今日はありがとう。一人でいたいでしょう? 好きにしてちょうだい。そして、朝までには帰ってきて」 夜は静かだ。だがたまにカーステレオの音量がデカすぎるバカがいる。コーヒーくらいゆっくり飲ませろ。

2017-01-02 23:47:34
川井俊夫 @toshiokawai1122

黒い軽自動車の窓を叩く。 「音がうるせえよ。考え事があるんだ。コーヒーも飲みたい。俺だって音楽を聴きたいしな。もう少しボリュームを下げろ」 大人しそうな大学生くらいの男だった。「あ、すみません」と素直に応えて、ボリュームを下げ、すぐに駐車場から出て行った。

2017-01-02 23:51:28
川井俊夫 @toshiokawai1122

水底の狂気。原始的な恐怖に近い。タコの化物なんかの出てくる荒海のことじゃない。デカくて深い水溜りだ。鏡のように静かな湖面。枯木は白骨死体に見えるし、きっとヌルヌルした湖底は肥溜めを連想させる。もの凄いデブの大男専用の肥溜め。インドの王。役人かも知れない。とにかく水溜りは不吉だ。

2017-01-03 00:13:48
川井俊夫 @toshiokawai1122

なぜそんなに狂気にこだわるのかって? こっちが聞きたいくらいだ。俺は何を恐れているんだ? 焦り、苛立ち、もやもやと落ち着かない気分。心の風邪。若い美人のカウンセラーはそんな表現が好きだ。だが、どう見ても女の方が病人だ。落ち着きなく上下する眼。躊躇がある。致命的だ。

2017-01-03 00:24:22
川井俊夫 @toshiokawai1122

俺の精神に介入することはできない。それがわかってる。くだらない質問を繰り返して、いくらチェックシートを埋めたり、メモを書いたところで何の意味もない。いいかい? 大学を出て、さらに専門を学び、今、あんたは本物のキチガイの前にいる。土台無理な話なんだよ。この精神に同調する者は狂人だ。

2017-01-03 00:27:46
川井俊夫 @toshiokawai1122

「あなたは自己愛強いんじゃない。守ろうとしているの。臆病なんだわ」 連中はそんなパターンも好きだ。いいかい? あんたが8年かけて学び、6年実践してきた、いろいろな観察や考察は、俺とって、何の意味はない。それはあんた自身のためにある。あんたは病気だ。その分厚い本に書いてあるぜ。

2017-01-03 00:31:30
川井俊夫 @toshiokawai1122

まあ、病気のカウンセラーの話はもういい。精神科医と臨床心理士は普通、俺なんかよりずっと頭がおかしくなりかけている。俺にできることは、彼らになるべく関わらず、無視してやり、その魂の救済を祈り、あの分厚い本の廃止されることを願ってやるだけだ。

2017-01-03 00:35:31
川井俊夫 @toshiokawai1122

「そう、動き出すことも大事です。心と身体は密接に関係していますから。モチベーションを探すことや…」 まったく、抱き締めてやったら、白衣の彼女は救われるのか? カウンセリングという疑似恋愛にどんな意味が? 今もクライマックスは繰り返されている。明日も。明後日も。常にだ!

2017-01-03 00:39:08
川井俊夫 @toshiokawai1122

俺は病人ではなく狂人だ。そしてその狂気は本能に根差している。世界を拒絶する本能に。なぜ調和を目指す必要がある? 共産主義か? 生産性とか? 俺を小学生か何かと勘違いしてねえか? 覚えておくといい。そいつは死神のカードだ。 「調和」 死神のカードだ。

2017-01-03 00:45:30
川井俊夫 @toshiokawai1122

おっと、少し仕事のことを考えていたら意識が遠くなっちまった。クソみたいに古本が400冊もある。古書ならまだ市場で捌けるが、全部近代文学だ。完全にゴミとは言えないが、いちいち相場を調べて一冊ずつ売るのは現実的じゃない。全部捌くのに何年もかかる。

2017-01-03 02:13:08
川井俊夫 @toshiokawai1122

女性用のアクセサリー、人形、輸入ガラス、現代家具、家電。全部俺の苦手なやつだ。丸ごとリサイクル屋に持って行ってもいいが、あー、あの尼崎のジジイはダメだ。結局、一番高く売れるところを探して、バラバラに売るしかない。面倒だ。壁をぶち破って小判でも出てきてくれりゃ助かるんだがな。

2017-01-03 02:17:11
川井俊夫 @toshiokawai1122

おまけに明日からは深夜の廃屋調査だ。絶対に動物が住んでいるし、村のやつに通報される。家主の許可は取ってるが、俺みたいな大男が真夜中に山奥の集落の一軒家で、庭を掘り返したり、納戸の中身を漁っていたら絶対に泥棒か、死体を埋めに来たんだと思われる。

2017-01-03 02:20:30
川井俊夫 @toshiokawai1122

盆器、植木、庭石、つくばい。文箱、横額、古書、古文書。建具、欄間、鉈、手斧。水瓶、神棚、三味線道具。何でも金にはなる。だが、糞まみれだ。季節が冬であることは幸いだ。寒いが虫が少ない。いわくつきの物件だ。万が一死体が出ても、金目のものを全部回収するまでは通報できない。

2017-01-03 02:26:38
川井俊夫 @toshiokawai1122

まだ写真でしか確認していないが、予感があるね。アレは掘らなきゃダメなやつだ。家探ししてもたいしたものは見つからない。床板の下。庭の枯井戸。崩れた竃の跡。水のない小さな池の底。掘ったり潜り込んだり、とにかく糞まみれになる仕事だ。そう、庭に池の跡があった。また、水底だ。

2017-01-03 02:30:50
川井俊夫 @toshiokawai1122

予感がある。どうか白骨じゃなくて、戦争中に埋めた何かマシなものが出てきますように。水底だけじゃない。俺は真夜中の冷気や湿った重い大気、山に蔓延る虫や動物の気配、過疎の集落に残された人間の発する異常な濃度の瘴気、それら全てを含めた時間と空間に取り憑かれている。愛すら感じるのだ。

2017-01-03 02:37:51
川井俊夫 @toshiokawai1122

さあ、準備を始めよう。できればしばらくは家族にも会わない方がいい。

2017-01-03 02:42:57
川井俊夫 @toshiokawai1122

さあ、仕事だ。 思っていたより厄介そうだ。建物はまあいい。ほとんど空っぽで、ガラクタが残っているのは納戸と押入れが何ヶ所かだけだ。ペンライト一本で事足りる。だが外が問題だ。真冬なのに草が繁ってる。真夜中じゃほとんど何も見えない。床下を覗こうにも、とにかく植物が多すぎる。

2017-01-04 00:13:57
川井俊夫 @toshiokawai1122

今夜は家の中だけにしておいたほうが良さそうだ。外よりはずっと調べるのがラクだし、たぶん朝までにケリがつく。この家を買った、まあ俺に調べてくれと頼んできた依頼者のMの話じゃ「土地の長者の家だった」ってことだが、こいつは商家だ。大百姓の家じゃない。少し作りが複雑だ。増築もしてる。

2017-01-04 00:21:30
川井俊夫 @toshiokawai1122

前の持ち主が現状渡しに拘ったのは気になるが、まあ、直すのが面倒くさい、というだけだったのかも知れない。増築された廊下の一番奥は、完全に動物の住処になっている。獣やそいつの小便の臭いが強烈だ。そこに数十年前に贈られた誰かの結婚祝いの品や、商いで使っていたと思き道具が詰めてある。

2017-01-04 00:26:35
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