チンギス・ハーンは社会主義が生んだ「民族の英雄」だった?モンゴルでは20世紀初頭まで、庶民からチンギスは忘れられた存在だった話が興味深い

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耽羅王(自称)崔タッケ@(キタエリスト) @KTrr6617

韓国の李舜臣みたいな感じかな? twitter.com/ippeishimamura…

2021-08-06 15:36:47
島村一平 @ippeishimamura

昔、モンゴル人にあまりにチンギス・ハーン自慢をされるので嫌気がさしてきた。そこで彼らの自慢の背景を調べたら、なんと彼らがチンギスを民族の英雄にし始めたのは、社会主義期であることがわかってきた。チンギスは20世紀初頭、一部のエリートを除くと一般庶民から忘れられた存在だった。

2021-08-06 09:36:20
بابُر‎ @sinologuejpn

モンゴル文学の講義でも言及されていたけど外モンゴルの王公や高僧、八旗以外から忘れ去られてたチンギス・ハーンが近代になって再評価されるのは、フス戦争や李舜臣、白頭山が近代の民族運動、独立運動の文脈で再評価されるのと同じだと思う twitter.com/ippeishimamura…

2021-08-06 13:57:58
بابُر‎ @sinologuejpn

近代エジプトやイラク、シリアなら古代文明だね

2021-08-06 14:02:43
風来坊 @jobless_asshole

ウズベク人のティムール自慢もなかなかのもの。 新興国にありがちなナショナリズムの象徴として祭り上げられている感が強い。 twitter.com/ippeishimamura…

2021-08-06 13:56:31
諸隈元シュタイン @moroQma

@ippeishimamura 日本人にあまりに坂本龍馬自慢をされるので嫌気がさしてきた。そこで自慢の背景を調べたら、なんと彼らが龍馬を民族の英雄にし始めたのは、日露戦争期であることがわかってきた。龍馬は20世紀初頭、一部のエリートと地元の高知を除くと一般庶民から忘れられた存在だった で、司馬遼太郎が(以下略) pic.twitter.com/VLIBI9gl7T

2021-08-06 15:06:58
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地域による節もありそう?

楊海英(Oghonos Chogtu=Yang Haiying) @Hongnumongol99

事実は違う。モンゴル語の数多くの年代記は19世紀末までチンギスを中心に編まれていた。チンギス・ハーン祭祀の祭祀者も全モンゴリアを周り、祭祀用品を調達していた。全モンゴル各部もチンギス・ハーン祭祀に参列していた。モンゴル人にチンギスを教えてやったとは、植民地支配者史観。 twitter.com/ippeishimamura…

2021-08-06 12:55:24
楊海英(Oghonos Chogtu=Yang Haiying) @Hongnumongol99

歴史人類学者。モンゴル人。著書に『モンゴル騎兵の現代史』、『墓標なき草原』、『日本陸軍とモンゴル』、『モンゴルとイスラーム的中国』、『内モンゴル紛争ー危機の民族地政学』、『文化大革命とモンゴル人ジェノサイド』等。発言は個人的見解で、所属機関と無関係。いいね、RTは賛同意味せず。最新刊『人類学と骨』・岩波書店。

Alateng @alatenghuyiga

@Hongnumongol99 たしかに我々は子供の時からチンギスハーンの物語を聞いて育ちました。彼が社会主義モンゴル国の短編的な事実を取り出しただけですね。モンゴル人は代々チンギスハーンを尊敬し、崇拝してきました。

2021-08-06 13:10:46
Alateng @alatenghuyiga

内モンゴルの写真家のアラタンです。日本を拠点に消えゆく遊牧民の今を撮影し記録しています。いつか消えてゆく彼らの文化や素顔を後世に残さなければならいという危機感を持ちながら活動を続けております。もっと多くの方々が私の活動に共感し、ご支援とご指導をお願い致します。

島村一平 @ippeishimamura

@boekveld01 チンギスハーン祭祀をしてきたオルドスのひとびとは、忘れるどころか、きちっと記憶を維持してきたことでしょう。ただ、一般的に現代的な地理学的知識がないと、ナショナリズムを生み出す知識にはなりえないわけです。あの広いロシアや、あの「先進国のヨーロッパを支配した」という認識があってはじめ

2021-08-06 10:28:02
リンク Wikipedia オルドス地方 オルドス地方(モンゴル語:ᠣᠷᠳᠣᠰ Ordos、オルドスちほう、鄂爾多斯)とは、中国・内モンゴル自治区南部の黄河屈曲部で、西・北・東を黄河に、南を万里の長城に囲まれた地方。行政区分としてはイフ・ジョー(伊克昭)盟が2002年にオルドス市となり、オルドス地方の大半を占める。黄河対岸(北側)の河套平原なども含め、河套(かとう)ともいう。 大部分が海抜1500メートル前後の高原(準平原)でオルドス高原と呼ばれ、南側は黄土高原に続く。一部はステップ、大部分が砂漠でオルドス砂漠という。砂漠は大きく2つに分かれてお
島村一平 @ippeishimamura

@boekveld01 てナショナリズムを叫ぶ、知識たりえるとおもいます。

2021-08-06 10:29:03
浅村壮平 @asamurasohey

この流れは南モンゴル(現内モンゴル自治区)でも似た感じだったんですかね? 南モンゴルでは満州国時代の日本軍と蒙古聯盟自治政府が協力してハーン信奉を後押しするためのチンギス・ハーン廟をウラン・ホトにつくったわけですが、その流れはどこで盛り上がったんでしょうか。 twitter.com/ippeishimamura…

2021-08-06 11:24:58
浅村壮平 @asamurasohey

北モンゴル(現モンゴル)は南モンゴル(現モンゴル自治区)との合併を目指して中華民国相手に解放戦線を仕掛けて勝利し統一寸前までいったわけですが、ソ連の介入で断念してます。この当時は彼らの共通認識としてのチンギス・ハーンはなかったんでしょうか? というかあれだ、元の文献を読んでみますw

2021-08-06 11:29:21
浅村壮平 @asamurasohey

他の引用ツイートに返信されてたのでそちらを参照しました。そもそも地域によって民族意識の継承の仕方が違ってたという感じですかね。

2021-08-06 11:32:25