「サリー・ハスランガー」をウィキペディアで翻訳・立項しました。 ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5…
2019-02-02 01:53:58そういえば、4,5年前、デネット先生の日本語ウィキが大幅に改修されたことがあって、誰がやっているのかなと思ったら、Twitterに居られるフィロ茄子さんという方であった。 マクダウェルやブランダム、ハスランガー、「つねにすでに」などの記事もこの方である。
2020-08-20 19:24:52サリー・ハスランガーは本当に翻訳されてほしいし、日本にももっと分析哲学系フェミニズムを導入してほしい。
2019-03-21 13:42:55バトラーとかブライドッティとか訳すのも良いんだけど(個人的にバトラー推しだし)、ハスランガーみたいな分析系フェミニズムも翻訳してほしいです……誰か訳して……。
2019-03-21 13:48:13ハスランガー、一本だけですが現在分析フェミニズムというかフェミニズム哲学の論文集として翻訳プロジェクトを進めております。来年の出版を目指しています! twitter.com/contractio/sta…
2019-08-25 13:42:19これ誰かはやく邦訳してくださいよ。勁草書房から。 ◆Sally Haslanger, 2012, Resisting Reality: Social Construction and Social Critique. amazon.co.jp/o/ASIN/dp/0199…
2019-08-24 11:05:36これも新しいやつでまだ読んでないけど社会科学の哲学っぽい。 philpapers.org/rec/HASSSN
2015-12-03 00:27:30私が一番好きなのはこれ。「ママ、だってクロップトップはかわいいのよ」 philpapers.org/rec/HASBMC
2015-12-03 00:29:27これ、相対主義と不同意の議論と、フェミニストによるイデオロギー批判と、社会的現実の三大噺で、よくくっつけたなという感じなんだけど、なぜか成り立ってる。すごく好きなんだけど、まったく真似できない。
2015-12-03 00:53:20これは、中学生の娘が露出度の高い服を着るのを批判する(フェミニストの)お母さんの話で、文化の対決というすごく現代的でもあるし、大事なテーマをあつかって、しかもちゃんと哲学の論文として成立してる稀有な例
2015-12-03 01:21:17概念倫理学の場合だと、意味の外在主義によって概念倫理学を動機づけるというのがむしろ普通のルートだと思っていたけど、概念工学だとちがうのかな
2019-03-30 12:19:58意味の外在主義をみとめると「工学」ができないという可能性はあるか。概念倫理学は「批判」が中心だからちょっと違うのかもしれない。
2019-03-30 12:23:42@at_akada_phi Plunkettの主張としての概念倫理学はむしろ意味の内在主義を前提において議論を進めます。一方でCappelenの主張としての概念工学は意味の外在主義を前提に置きます。
2019-03-30 12:24:16@at_akada_phi Cappelenは意味の外在主義と概念工学との取り合わせは非常に相性が悪いと述べており、ここに課題を見いだしますが、Cappelenの答えは「概念工学は概念を扱わないし工学もしないからセーフ」というものです。
2019-03-30 12:26:02@Meltysquare Plunkettの立場はちょっと自信がなくなってきたのですが(他の人とかんちがいしたかも)、ハスランガーは意味の外在主義ですよね?
2019-03-30 12:29:10@at_akada_phi Haslangerは読まねばと思いつつ実はまだちゃんと目を通せていないのですが、外在主義を採用しているとCappelenが述べていたはずです。
2019-03-30 12:32:25@Meltysquare Plunkettが意味の内在主義をとるというのはどの辺が典拠でしょう?
2019-03-30 12:36:00@at_akada_phi Plunkett & Burgess(2013a)での記述が、と思ったのですが、いま読み返すと内在主義にコミットしていると明確には書かれてないかもしれないとも思ったり。ちょっと引用するのでお待ちを。
2019-03-30 12:39:52@at_akada_phi 加えてCappelenがPlunkettとの対立する論点としてメタ意味論的立場(内在/外在)を挙げていた記憶があるのですが、こっちはやや自信がないです。
2019-03-30 12:40:55@Meltysquare 今この論文を見直していたのですが、この論文では「自分は中立的に議論するが、意味の外在主義をとれば、概念史のストレートな動機づけがえられる」と論じています(p.53)。 philpapers.org/rec/PLUCHC
2019-03-30 12:43:12