今日は「頼むこと」を覚えた。自分は勘違いをしていたのかもしれない。ちゃんとさし伸ばしてくれてる人の手を無視をしていたのかもしれない。そしてその人たちからみたら、今の自分の行動はニートになりたがっているように見えたのかもしれない。自分は「頼る」というスキルがなかったんじゃないかな。
2011-08-19 22:37:11本当は相手の考えを汲み取ることが先なのに「つらいつらい」と言って理解して欲しいことを求めていた。それほど余裕がなかったといえば言い訳になるのだろうか。なぜ相手がそんなに怒ったのかと考えてたら、今まで手を差し伸べてきたのに、それを断り、しかも曲を作って平気そうに見えたからなのかな?
2011-08-19 22:42:27そうしたら、怒る気持ちが分かるような気がする。的外れかもしれないけれど。相手に余裕がないからだけかと思ったけれども、実は違うんだね。しかしながら今は相手も本当に余裕がだよね。
2011-08-19 22:46:45「憂うつになってじっと座っていることが田だ一つの感情表現」〔心の休ませ方 (PHP文庫) 加藤 諦三 p122〕 (http://t.co/ev9SmmC)という言葉を頼りに今の自分を考えたら、それすらも自分の憂うつすらも許さなかったのかもしれない。
2011-08-19 23:01:38曲をつくることが、自分の感情を表す一つだとは思ったけれども、なんぼつくっても楽しくないし、逆に下手なものを作ったと自分の曲が響かない。音楽をやること自体まだ焦っているんじゃないか。じっと憂うつを許さず座れずそわそわして焦ってしまう。音楽が唯一救いな気がしたけれど違うかもしれない。
2011-08-19 23:05:49気分変調症は鬱とは違う。自分の性格とか何か意識を変えないと生きづらい。こう書いてる今、色々考えを吐き出して、実際に吐き気してくる。じっと憂うつで許せないのは「頼ることを知らず、頼むことが出来ず、甘えることが今まで出来いなかった」からだろうか。
2011-08-19 23:08:56今夜、母親にお金のことをぽろっともらしたところ「親には甘えていいんだよ。それを甘えていいか判断するのは親だけれども。」といわれた。「どこまで甘えていいのかわからない」と自分は言った。「あんたはそうだろうね」。俺は「甘えたくない」といった。この会話、考えさせられる。
2011-08-19 23:10:34