@bonkurapoo まあ、おんなじようにやります。千年程度昔であろうとも。幸い、当時書かれた文献には事欠かない時期ですし。
2020-08-01 09:40:12たとえば「ベトナム戦争の記録写真」を数枚見ても、その背後にある戦争のことを理解し、そのどこに当てはまるのか理解してないと、意味がよくわからないままだよね、ということです。 スナップという日常生活的な感じでなく、歴史的な出来事が連続して起こっている渦中なのだという理解が大切です。 twitter.com/Rainunderlight…
2020-08-16 09:56:59@katabuchi_sunao 私の単著とは逆のことがまた真理でもある、ということでしょうか。 「枕草子」という「スナップ写真集」の「ストーリー」を「追う」ことによって見えてくる「生」と「環境」がある。 それは一枚ずつ「読み解く」ことによってではなく「想起」してその「配列」を「見る」ことで「知覚」される。
2020-08-16 09:36:56@katabuchi_sunao 私の癖、立ち位置、姿勢が「グローバルからローカルへ」という方向になっていることの副作用ですね。生活には必ず土地と時代背景がある。「この一枚」に至る「ものがたり」は、「今、ここから見えるもの」だけではないのだと、その時間的、環境的広がりが必ずある、ということでしょうか。
2020-08-16 10:12:41@Xushino 極めてハイコンテクストなのものだから、文脈を手にれておかないと、ということですね。その先に認識論みたいなものが待ってるのかも知れないのですが、基本的には「まずは歴史分野のお勉強から」。
2020-08-16 10:20:08@katabuchi_sunao そうか、「写真」ではないですね。視覚的であっても文章だから、写真ほどの情報量はなくて、だからこそ「この歌の背景は〜」と、情報収集と理解が必要不可欠になる。当時の「当然」が分かってないと世界と人生が知覚できない。知覚できないから、理解するくらいしかない。もったいないです。
2020-08-16 10:20:56@Xushino 「文章だから『映像がなかった時代の映像』ではない」という前提で読まれてるのがもったいない、ということでもあるわけです。 ちゃんと読んでみれば、清少納言は視覚的記憶像を極めて重視しているのがわかります。 たまたま彼女には「言葉」しか「映像」を記録するメディアがなかった。
2020-08-16 10:41:23@Xushino 写真だから情報量がある、というのもちょっと疑問です。いつも古い写真を眺めては「撮影時期は? どこで何を撮った写真なのだろう?」と首をひねり考える身としましては。結局、日付とか、キャプション(という文言)がかなり大きな意味を持ちます。
2020-08-16 10:48:46@Xushino 『枕草子』はそうした「キャプション」よりも、ずっと大きく「映像」そのものの方に踏み出して記述している。ゆえに、写真・映像を欠きつつも、どれだけ言葉にのみによって視覚像を記録し得ているか、という研究対象にもなるのじゃないかと思うほどです。
2020-08-16 10:52:13@Xushino 例えば、 五月ばかりなどに、山里にありく、いとをかし。 草葉も水もいと青く見えわたりたるに、上はつれなくて、草生ひ茂りたるを、長々と縦さまに行けば、 下はえならざりける水の、深くはあらねど、人などの歩むにはしりあがりたる、いとをかし。
2020-08-16 11:05:22@Xushino 左右にある垣にあるものの枝などの、車の屋形などにさし入るを、急ぎてとらへて折らむとするほどに、ふと過ぎてはづれたるこそ、いとくちをしけれ。 よもぎの、車に押しひしがれたりけるが、輪のまはりたるに、近ううちかかへたるも、をかし。 牛車の速度感。 最後はたぶん、嗅覚によるよもぎ。
2020-08-16 11:06:52@Xushino すべて視覚による印象しか語られていません。特に前段での「水」は観念的に存在する水ではなく、「草の間の青い水面」「跳ね上がるしぶき」で記述されている。感情表現のように見える「口惜しけれ」でさえ、「手が届くより前に通り過ぎた」というスピード感を表現する視覚的なイメージを補っています。
2020-08-16 11:17:15@Xushino 「左右にある垣にあるものの枝など」で、道幅もわかっちゃう。 季節を考えて補足すると、この垣の枝は、白い花がたわわに咲いた卯の花なんですね。だから手を伸ばした。 「卯の花」という情報は「五月」「垣」というキャプションでもたらされるわけです。
2020-08-16 11:26:00@Xushino あ、もうひとつ。 実は「山里」も「言葉の中で描かれない卯の花」を印象の中に存在させるための重要な「キャプション」なんです。当時の山里の別業の垣は卯の花が多かった、という「文脈」をわきまえてさえいれば。 ハイコンテクストであることによって隠されている部分はそうやって補う必要があります
2020-08-16 11:39:59念のため
ん? 枕草子を映画化するとは一言も言ってないのだけれども。 twitter.com/bn2islander/st…
2020-08-15 22:32:52この下りは片渕監督の次回作を考える上でも重要な話だと思う(気がする)yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opini… pic.twitter.com/MzMoRHiWlL
2020-08-15 21:28:54「枕草子」なんて、ハイコンテクスト過ぎて、あれだけ読んでも、何がなんだか。 #片渕次回作 twitter.com/ramny/status/1…
2019-11-16 20:57:11