ぼのぼの氏が語るチェーホフと映画『ドライブ・マイ・カー』
そして映画全体のテーマに即するなら、他言語芝居が採用されたのは、相手のことを完全には理解できない者同士が、理解しきれぬまま同じ世界を見つめ、一つの物語を紡ぎ上げていくことの象徴だろう。
2021-08-29 02:51:06「実際の演劇手法の意図」とは別に、あの作品で「感情を排した棒読み」が採用されたのも、相手の台詞を自分の台詞のきっかけとしか見ない=自分の独りよがりな物語に、相手を突き合わせず、相手の声に素直に耳を傾けることの象徴だろうと思う。
2021-08-29 02:54:19いや〜、考えれば考えるほど深く、しかも多重構造。そしておそらく謎解きのように明確な答えがあるわけではなく、そこから自分なりの答えやヒントを浮かび上がらせるタイプの作品。本当に今後何度でも繰り返し見たい映画だ。
2021-08-29 02:56:39一応書いておこう。『ドライブ・マイ・カー』の影響で光文社文庫の『ワーニャ伯父さん/三人姉妹』が売れているようだが、チェーホフ好きとしては忸怩たる思いだ。あの翻訳、お世辞にも良いものじゃないぞ。それでも「ワーニャ伯父さん」の方はまだ許せるが、『三人姉妹』の方は焚書坑儒にすべき代物。
2021-08-31 00:42:15光文社文庫のあのシリーズは「とにかく読みやすく」をモットーにしているが、結果的にそれが文学としての味わいを損ね、そもそも日本語として成立していない酷い悪訳もある。あの「三人姉妹」はその典型。
2021-08-31 00:42:16しかし良い訳は何故か絶版になっているんだよなあ…大体チェーホフの四大戯曲が岩波文庫に欠けているって問題ありすぎだろう。新潮文庫もいい加減に新訳を出せよ。神西清の訳は、非常に良い部分もあるが、さすがに今の言葉としてはつらいものがある。
2021-08-31 00:42:16ちなみに神西清訳は、小説は今でも十分に読める。言葉は古いが、古い小説として特に問題無く受け入れられる。しかし戯曲は「発声」を前提とした言葉だから、古臭くてリズム感が無いと、どうもしっくり来ない。
2021-08-31 00:42:17チェーホフの四大戯曲の翻訳でオススメは 『かもめ』 浦雅春訳(岩波文庫) 同じ浦雅春でもこちらは非常に良い。それ故に、光文社文庫で編集からどれほどつまらぬ横やりが入ったのかが想像出来る。 堀江新二訳(群像社)と、かなりくだけた沼野光義訳(集英社文庫)も悪くない。 pic.twitter.com/Fu9V5lF8Av
2021-08-31 00:42:19『ワーニャおじさん』 小野理子訳(岩波文庫) 現状ではほぼこれ一択なのだが、絶版状態なんだよな〜 (´Д`) 岩波文庫ともあろうものが、チェーホフの四大戯曲を出していないって、恥ずかしくないのか。ちゃんと出せよ。 pic.twitter.com/EA4Cmv4JzQ
2021-08-31 00:42:20『三人姉妹』 安達紀子訳(群像社) これはチェーホフの最大の名作でありつつ、最も構造が複雑で、それ故に翻訳も難しい。実際の上演に至っては、1つとして満足なものを見たことが無い。ともあれその中では、この訳が一番ドラマとしてこなれている。 pic.twitter.com/IL6uKFDwN6
2021-08-31 00:42:21『桜の園』 小野理子訳(岩波文庫) 『ワーニャおじさん』に比べると硬い印象を受けるが、それでも今のところはこれがベストか。実はこの作品に関しては、古い神西清訳でも良いのではないかという気はする。 pic.twitter.com/E0LOR74WoY
2021-08-31 00:42:22ちなみにチェーホフと言えば『桜の園』が代表作とされるが、私の評価では 三人姉妹≧ワーニャおじさん>桜の園>>かもめ …である。『三人姉妹』は昔は何が書かれているのかもよく分からないくらいだったが、ドラマの構造を理解出来たら、あれほど素晴らしい作品も無い。まさに「人生」そのもの。
2021-08-31 00:42:23個人的共感度では『ワーニャおじさん』がトップ。そもそもチェーホフの戯曲は登場人物に距離を置いているのが特徴だが、この作品に関しては、私はほとんどの登場人物に自分自身の姿を見てしまう。そんな古典戯曲は、他に無い。
2021-08-31 00:42:23これから『ドライブ・マイ・カー』2回目なのだが、この気持ちの悪い湿度と低気圧で体調最悪。眠気と倦怠感。空調の効いた映画館に入れば持ち直すかな。
2021-09-12 14:51:07しかし『ドライブ・マイ・カー』平日の真昼間だというのに、相変わらず客が入ってるな。郊外のシネコンで、これだけ堅実に集客できる作品は少なく、今日で打ち切る意味が分からん。まあ配給会社の意向もあるのかもしれないが。
2021-09-22 12:17:31『ドライブ・マイ・カー』3回目の観賞。この機会に、前に触れた「演劇の本読みにおける棒読みの効用」について、いろいろ思うところがあったので、再考してみたい。まず単純な効用について言えば、3回見て、あれこれ他の人の意見なども聞いて考えた結果、かなりクリアになった。 pic.twitter.com/Bh9VAh5ug9
2021-09-23 00:23:36それは要するに「各俳優が勝手に作り上げてきたキャラを最初から稽古場に持ち込まないことで、現場で役の性格/役同士の関係性を一から作り上げていくのに適している」これが基本だろう。本読み段階から思い入れたっぷりで読まれると、最初から作品の世界観が狭まってしまう危険性がある。
2021-09-23 00:23:36それを避けるために、最初は棒読みで、つまり先入観を極力捨てて、全てのテキスト/作品の物語構造を頭に叩き込むのに徹するということだ。それによって、作中にもあったような「役者が相手の台詞を自分の台詞のきっかけとしてしか捉えない」ようなバラバラな芝居になるのを防げるわけだ。
2021-09-23 00:23:37これを演出家としての立場から、もう少し意地悪く見た場合、「作品全体を作り上げるのは演出家の役目。そこに俳優が家で勝手に考えてきた演技プランを各々持ち込んで、俺の作品作りを邪魔するんじゃない!」ということになる。
2021-09-23 00:23:37しかし現実には、このような芝居作りは少数派であろうと思う。何故なのかを考えてみると、理由はすぐに幾つか思い浮かんだ。主に演出家の立場から考えてみると、以下のような理由になると思う。
2021-09-23 00:23:371.このような作り方は明らかに時間がかかる。この映画においても、だいぶ予算のありそうな(演出家に専属ドライバーをつけるくらいだからね)演劇祭の滞在制作という特殊な形だったからできたことだと思う。通常の商業演劇や小劇場芝居では、現実的に(経済的に)それだけの時間を取るのは難しい。
2021-09-23 00:23:382.芝居の完成型について、演出家にまだ揺るぎないヴィジョンが存在していないので、むしろプロの俳優たちがそれぞれに持ち寄ったアイデアを取捨選択した方が、時間も節約できるし、良いものが出来るという考え方。
2021-09-23 00:23:383.演出家に2.よりはもっと強固なヴィジョンがあるが、むしろ強固であればあるほど、それは「俳優が家で考えてきた演技プラン」と同じで作品世界をたった1人の脳内で完結させてしまう危険性がある。それよりも俳優同士のアイデアをぶつかり合わせた方が面白い化学反応が起きそう。
2021-09-23 00:23:39