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2011年8月24日

集合論と数学の形而上学

公理的集合論と数学の形而上学についての@tenapi さんと@metaphusika さんの対話
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@tenapi

なによりかにより、わたくしは存在するのか。そもそも存在するとはどういうことか。

2011-08-23 22:14:20
@tenapi

たとえば、わたくしはなぜ、エジプトのギザにピラミッドがあることを信じていられるのか。

2011-08-23 22:18:00
@tenapi

木田元さんの本の受け売りですが、「存在とはなんであるか」という問いは「がある」(事実存在)を「である」(本質存在…という言葉だったか忘れたけど)に帰着させることを求めていて、ここにヨーロッパ文明の宿痾たる「存在忘却」があるんだ、ということをハイデガーが言ったんだそうです。

2011-08-23 22:40:04
@tenapi

しかし集合論について多少なりとも根本的なところから考えようとするなら、存在ということについて考えることは避けられないように思う。なにしろ、数学的対象をめぐる存在論的疑念を払拭する共通の土台を与えてくれるのが集合論のご利益だったわけで。

2011-08-23 22:50:51
@tenapi

んなわけで、公理的集合論が数学の形而上学における公式見解に、現在のところなっているわけだ。圏論や、専門分野としての集合論そのものは、どうしてもその枠には収まりきらないわけだけど。

2011-08-23 23:09:00
H. Miyoshi (ALC2021 to be postponed, not online) @metaphusika

形式化すれば形而上学に片が付くわけではないのでそれは言い過ぎ。 RT @tenapi: んなわけで、公理的集合論が数学の形而上学における公式見解に、現在のところなっているわけだ。圏論や、専門分野としての集合論そのものは、どうしてもその枠には収まりきらないわけだけど。

2011-08-24 01:43:01
@tenapi

@metaphusika もちろん片が付いたとはいいません。そもそも形而上学に片が付いたことなど哲学史上一度もないでしょう。それでも普通の数学が自由にできるのは集合論という枠組が我々を数学的対象たとえば連続体の「存在」の問題から解放してくれる仮の宿を提供してくれるからでは?

2011-08-24 06:00:56
@tenapi

ここでは数学的対象を集合とその上に形成された構造と解するブルバキのやり方を念頭においています。集合とは何かという問いへの明確な答えは用意されていませんが、測度にせよリーマン面にせよ完備化にせよ、ひとまず集合論へ埋め込んで構成できれば、その数学的対象の存在論的疑念からは解放される。

2011-08-24 06:11:58
H. Miyoshi (ALC2021 to be postponed, not online) @metaphusika

@tenapi 「仮の宿」なら特に大きな反論はありません。「集合っぽいもの」が数学で大きな役割を果たしているのは事実ですから。ただ形而上学となるとその先がむしろ本題なので、特に存在論的において集合の存在が公理的集合論で保証されると考えるのは数学の哲学の中でもかなり極端な意見です。

2011-08-24 14:36:46
@tenapi

@metaphusika 一旦削除して言いなおし。その形而上学の本題に立入ることが、公理的集合論に寓居することで回避できている、そのことがプラグマティックな観点から大切だと言いたかったわけです。実はその直前に、集合の存在論は依然として問題だという意味のことも言ってまして…

2011-08-24 15:20:00
H. Miyoshi (ALC2021 to be postponed, not online) @metaphusika

@tenapi 言いたいことはわかるのですが、それでも公理的集合論が数学を担保しているというのは建前としては機能していますが、実際の数学の営みとはずれていると思います。素朴集合論は突き詰めれば不十分だし、幾何学の人は幾何学的対象を直に扱うし、解析の人の考える実数は標準的実数だし。

2011-08-24 15:34:10
@tenapi

@metaphusika 幾何の人が幾何学的対象を直接扱い、解析の人が標準的実数を扱うのは当然のことです。彼らが意識して、抽象的な集合とその上の構造を扱っている、なんて言ってませんよ。ただ、そういうとき数学では「結局のところ何をしているのか」は、俺には謎です。

2011-08-24 15:40:46
H. Miyoshi (ALC2021 to be postponed, not online) @metaphusika

@tenapi ああ、形而上学で何を指しているのかがお互いにずれているんじゃないかと。私はその謎な部分にアタックするのが形而上学というか数学の哲学だと考えているので。もっとも数学の哲学が何をやるのかについても異論があったりしますけど。

2011-08-24 15:45:34
@tenapi

ううむ。さっき俺は形而上学という言葉で何を言おうとしたんだろうね。「存在への問いに対する(暫定的であれ)答えとなるような言説システム」という意味を込めたような気がする。

2011-08-24 15:57:46
@tenapi

@metaphusika さっきの話、「謎な部分」にアタックするとして、その通路があるのかどうかすら、俺にはどうもわからないのです。実際に数学している数学者に聞いて満足のいく答が返ってくるとも思えない。

2011-08-24 16:00:19
@tenapi

ブルバキ流の還元主義的建前でもなく (←俺が昨晩言ったのはこちらの話です) 数学する主体のサイコロジーでもない、とすると…

2011-08-24 16:02:28
@tenapi

…とすると、「数学的対象一般の可能性の条件」とかいう話になりそうだ。

2011-08-24 16:08:11
H. Miyoshi (ALC2021 to be postponed, not online) @metaphusika

@tenapi だから数学者ではなく哲学者がやる意義があるんじゃないかと。数学者は往々にしてそこでトンデモに走ることもありますが(少なくとも現代のまともな)哲学者はその手のことを扱ってきた歴史も手法も自覚的に持ち合わせているはず(私的には不十分だと思ったので自分でやったのですが)

2011-08-24 16:30:36
@tenapi

うーん、集合論をやっている限り集合やクラスの存在論的身分について本当のことはわからない、という話になるんだろうか。

2011-08-24 16:41:16
@tenapi

俺は集合や実数の存在論的身分について知りたくて集合論をやっているのだけど、それは哲学であり、数学としてはわからないしわからなくていい(←いまここ)。自分の理解の現状としてはまさにこのとおりなんだけど、それはそれで、なんか違うような。

2011-08-24 16:45:34
@tenapi

どうも、こういうことを語っているとしばしば自分で気付かぬうちに inconsistent になっていることがある。困る。

2011-08-24 16:47:08
@tenapi

俺なりにまとめると、現代の数学では、①対象の現実存在ないし構成可能性は必要とあれば集合論的方法に仮託して考察する。 ②ただし、そのことは存在論的身分の究極の保証とは考えない。③そもそも対象の存在論的身分については判断停止しており答えられない。④オラどうすべかぁ。

2011-08-24 17:00:55

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