島田紳助引退に思うことと、それから。
- smithnagano
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島田紳助引退のニュースでまず思い出した言葉。竹村健一「マスコミが、芸能ネタなりスキャンダル事件を連日連夜、執拗に報道している時は注意しなさい。国民に知られたくない事が必ず裏で起きている。そういう時こそ、新聞の隅から隅まで目を凝らし小さな小さな記事の中から真実を探り出しなさい」
2011-08-24 00:20:56この言葉、ネットでは流布しているが、私は原典をあたったことがないので、本当にこれが竹村健一氏の言葉なのかわからないのだけど。それでも、示唆に富んだ指摘だと思う。
2011-08-24 00:23:25安い陰謀論に与する気はないけれども、このニュース以上に考えたり注目したりしなければいけないニュースは多々ある。それを忘れてはいけない。
2011-08-24 00:24:19さっき竹村健一氏のものと言われている言葉をツィートしたら、タイミングが良かったのか、多くの人が抱く潜在的な「気持ち悪さ」にヒットしたのか、やたらRTされている模様。そしてフォロワーが一気に増えた。他人の言葉の引用が自分の今までのツィートの中で一番拡散しているのは何か複雑(笑)
2011-08-24 00:59:16で、さっきも少し書いたけど、この言葉、私は原典を当たったわけではないので、竹村氏がこの言葉をどこで表したのか(もっと言えば、竹村氏が本当にこの言葉を表したのか)、確認していないのです。そこは皆さん覚えておいてください。
2011-08-24 01:01:14本当は出典が明らかでない言葉を引用するのはルール違反(特に学術の世界では)。そういう意味では、ちゃんと調べてからツィートすれば良かったと今少し反省しているところです。
2011-08-24 01:02:20もっと水を差すようなことを書いてしまうと、今回の私の書いたことのように、自分が意図したことを誰か(それは権威がある人であればなお良い)の言葉を利用して伝えるやり方もまた、ある種のバイアスがかかることを忘れてはいけないのです(続き)
2011-08-24 01:05:59(続き)それはマスコミが使い勝手の良いコメンテーター(しかも別に後でそれがちゃんと検証されるわけではない)を利用してやっていることと近かったりします。
2011-08-24 01:06:40そういう出典の不確かさを踏まえた上で、もう少しこれに関連することを書いていきます。メディアリテラシー、リサーチリテラシーに関する内容になるかと思います。
2011-08-24 01:09:41リツィートしたどなたかが「何かが隠されていると妄想しているなら、その隠されていると思っていることを書けよ」と書いていました。これも一理はあるのですが、私は何が本当に隠されているか(あるいはいないのか)は、正直分かりません(続き)
2011-08-24 01:12:44(続き)分かりませんし、「隠されているかも知れない事象」以上に、私ができたら多くの人に覚えておいて欲しいな、と思うのは、先の竹村氏のものと言われている言葉で表される「構造」です。
2011-08-24 01:13:19メディアが何であれ(テレビだろうと新聞だろうと、それこそウェブだろうと)、「一回での情報の発信/受信の量」というのは限られているわけです。テレビなら放送時間、新聞なら紙の面積、ウェブは制限がないように思われるかも知れないけど、例えば検索結果の上位という限られた場。
2011-08-24 01:17:43そういうふうに「枠」が限られているからこそ、全て事実を伝えていても、情報に軽重をつけることになってしまう。それは意図的なものかも知れないし、偶発的なものかも知れない。でも、結果としてそうならざるを得ない。
2011-08-24 01:21:31狡猾な人はもしかしたらそういう「構造」を利用するかも知れないし、そういう「構造」を作り出しているのは、ニュースを求める私たちかも知れない(続く)
2011-08-24 01:25:41(続き)どちらであれ、皆が一斉に一方向を向いているときこそ(誰かに向かされているのかも知れないし、偶然そうなったのかも知れない、あるいは民衆がそちらしか見ないことを欲望したのかも知れない)、それ以外の方向で何が起こっているか、気をつけなければならない。私はそう思います。
2011-08-24 01:27:07@ohba_fujiwara 初めまして。慎重に、というよりも、皆が同じ方向を向きすぎると危険だ、なにか大事な事を見逃すかも知れないよ、ということです。
2011-08-24 01:28:17出典が明らかでない事から話を始めてしまったので、出典が明らかところからの引用をしておこうと思います。犯罪学者の谷岡一郎氏の著作『データはウソをつく』よりいくつか。
2011-08-24 01:37:29谷岡一郎「実際に存在するものを報道することは、時間の多寡の問題であっても、事実のねじ曲げではないだろう、とする反論にお答えしておきます。著しくバランスを欠く一方の声の報道は、事実のねじ曲げと五十歩百歩なのです。」
2011-08-24 01:41:20谷岡一郎「重要なことは、今後何かに興味を持って調べたいと思ったら—特に政治的フレーバーのあるトピックは—一方の偏った新聞に頼らず、「バランス良く読んで欲しい」、ということです。朝日か毎日を読んだら次は読売か産経、というふうに工夫してもらいたいのです。(続く)
2011-08-24 01:46:51先の竹村氏(のものと言われている)言葉に興味を持たれた方は、谷岡一郎(2007)『データはウソをつく』ちくまプリマ—新書…この書籍はおすすめしておきます。特に第二章「マスコミはいかに事実をねじ曲げるのか」は、メディアリテラシーおよびリサーチリテラシーの基礎固めになるかと思います。
2011-08-24 01:50:17リツィートの中に「その新聞さえ信用ならない」という人がいました。これも万全策はないかも知れませんが、複数の新聞を横断的に読む、あるいは(難易度は高くなるけど)他国の報道を追う、また、ウェブ上の(できれば実名で情報発信している人のもの)情報を活用するなどが手立てとして考えられます。
2011-08-24 01:54:28繰り返しますが、竹村氏(のものと言われている)言葉の一言一句が正しいかどうか(今の時代にそぐうかどうか)が重要なのではありません。その言葉で表される「構造」を忘れてはならない、「心構え」を忘れてはならない、ということです。
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