佐藤誠市氏によるナムコ80年代ゲーム作品についての証言
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このころの1・2年の入社の差は大きなものがあった。77年入社の岩谷さんはピンボールを作りたくてナムコに入ったわけだし、私は『スペースインベーダー』を見てビデオゲームを作りたくて入社したのである。83年のファミコン発売後は家庭用ゲームを作りたくて入ってきた人もいるだろう。
2011-09-29 11:09:29『ギャラガ』のところで述べたように企画のY上司もピンボール好きでそれデュアルファイターを思いつきました。当時企画のメンバーでゲームセンターへ行くとビデオゲームそっちのけでピンボールで遊んでいました。確かナムコ内でもピンボールの試作をしていたような記憶があります。
2011-09-29 11:14:19『スペースインベーダー』を見てなぜタイトーに行かなかったのか自分でも疑問があります。『インベーダー』攻略本が出ていて、そこにビデオゲームを作っている会社が載っていました。そこで日本でもビデオゲームを作っているのかと始めて思ったわけです。
2011-09-29 11:19:15就職雑誌に載っていたゲーム会社に葉書を送りました。その時はタイトーやセガやナムコに送ったと思います。一番早く連絡してきたところがナムコだったからということもあるかと思います。あと『スペースインベーダー』をまねしたゲームを作っていなかったことも交換をもてました。
2011-09-29 11:24:35会社訪問をした時にこれが最新の製品ですと『ギャラクシアン』を見せられたときこの会社に入りたいと思いました。その後本社から開発部隊がいる中央研究所まで人事の女性に連れられていったのですが、タイトスカートとハイヒールの後ろ姿にやられてしまったというのは秘密です。
2011-09-29 11:29:36連れて行かれた先でハードウェアの主任さんと面談しました。なんで「うちのような会社に入ろうとしたのもっと良い会社があるでしょ」と言われたときはちょっと吃驚しました。その方はすぐに係長・課長と昇進し一時は社長も務めたこともある方なのでなおさらです。でも正直な人だと思い交換を持ちました
2011-09-29 11:33:17@SugarSeisan 私もサービスゲームさん・小波工業さん・太東貿易さんなどありましたが、何故か中村製作所一択でしたが。。 タイトスカートとヒールの後姿などなかったですが。。w
2011-09-29 11:40:13『スペースインベーダー』を知ったのはゲームセンターでなくタモリの深夜放送のラジオでした。「ピュンピュンというゲームがある」みたいな話をしていたので探しに行ったわけです。下宿のそばのインベーダーハウスに百円玉を握りしめて通ったものです。ビデオゲームの虜になりました。
2011-09-29 11:41:54『スターログ』という雑誌にExidyの『Star Fire』というゲームがあるということを知り自由が丘のゲームセンターへ行ったりしていました。そこで友人とアタリの『フットボール』をやり巨大トラックボールに手のひらの肉を挟まれ青あざを作ったりしていました。
2011-09-29 11:51:15佐藤氏がナムコに入るまでその2
自分の研究者としての能力のなさを知った79年の夏。博士課程への道をあきらめ就職を考えていた。なぜか人の生き死にに関わる仕事をしてみたいと思う。防衛庁の技官になろうと公務員試験をしたり、医療機械関係のメーカーの資料を集めたりしていた。そんな私がなぜゲームの世界に進んだのだろうか。
2011-09-30 10:30:03実はよくわからない。夏休みが終わったときにロボット工学の森先生のところに講談社から求人があったことをしり行きたかったなと思ってたりしていた。私の研究室にF-15のシミュレータの開発をするので求人してきた会社もあった。興味があったが油圧エンジニアと言うことであきらめざるを得ない。
2011-09-30 10:33:55というのも研究室自体は油圧等の流体力学が専門だったのであるが、私自身は全然別のことをやっていたからだ。やはり『インベーダー攻略法』の本を呼んだからだろか?月並みな答えだがビデオゲームの将来性は感じていた。特に『ギャラクシアン』の美麗な画面を見た後ではその思いを強くした。
2011-09-30 10:37:50そのころのナムコは従業員も400人くらいで勿論上場なんてしていない。親父からも「そんな会社に入れるために大学院まで行かせたわけではない」と勘当寸前だった。やはりソニーとか松下とか名の売れた企業に入ってくれるものだと思っていたらしい。研究室の助手の言葉が耳に残っている。
2011-09-30 10:41:35大学院の先輩が自動車好きでホンダやトヨタに入社したいと言っていたときだ。その助手の方は、そんな大会社に行っても自動車全体の設計を行える人はほんのわずかで例えばドアならドアだけの設計をずっとやることになるかもしれないとアドバイスしていました。当時から1年前のことですが覚えていました
2011-09-30 10:46:02ムツゴロウさんの本を読んで小さなところからやっていきたいという思いもあったのかもしれません。学研に入って挿絵作家から挿絵の回収をする仕事をやっているときもくさらずにエビの詳しい生態を教えてあげて挿絵作家に喜ばれたり、学校で上映するような教育映画を工夫して撮ったりするところに。
2011-09-30 10:52:39KISSYも言ってましたが、とにかく入社一年目の人間が責任を持って製品に携われたのは貴重な経験でした。その意味では海のものとも山のものとも分からない会社に入ったことは大成功だったと思います。まあ親父には東証一部に上場した後でもあまり認めてはくれなかった様ですが。
2011-09-30 10:59:38余談:そういえばF-15のシミュレータを作っている会社とは、その後ナムコの3D基板を利用した教習所向けドライビングシミュレータを作ることでコラボしていたような。私自身は全く関わっていないけれど何かの縁を感じてしまう。油圧やれますと嘘でも言って入っていたらどんな人生だっtか?
2011-09-30 11:15:41@SugarSeisan 自分の時には社員数が四桁で二部に上場していたので、いろんな意味で諸先輩方が凄く羨ましい状態でした。 最低でもあと五年早く生まれていたらとつくづく思います。
2011-09-30 12:18:21英ゼビ辞典
「ゼビ語でおk」という仕事メールを頂戴したので真剣に返信したい気持ち。お客様の中にゼビ語が堪能な方はいらっしゃいませんか?
2011-10-05 11:11:12『ゼビ語』か。そういえば『英ゼビ辞典』はどこにいったのだろう。遠藤君が持って行ったのだろうか?ある日突然『英ゼビ辞典』を作ることになり、中学校の英語辞書を買ってきてみんなで適当に雑誌や新聞の文字をひろってきて英単語に当てはめたものだ。『アドーア・ギレネス』どんな意味だったか?
2011-10-05 11:22:32『ゼビ語』の基本は英語であるから文法はそれに従ってしまう。大量のゼビ語の文章があれば暗号解読の要領で解けるはずである。将来的に『ゼビ語』のロゼッタストーンが発掘されるなんて事があれば面白いのだが。
2011-10-05 11:26:04※かつて2ちゃんねるレトロゲーム板の「XEVIOUSを懐かしむ エリア2」にて遠藤氏の以下の証言がありました なお文中に出てくる「見城君」は「ゼビウスアレンジメント」「ゼビウス3D/G」の製作に携わった見城こうじ氏のことです 以下引用:
525 名前:遠藤雅伸 ★ :2001/04/02(月) 16:48 ID:???
今ね、見城君と電話で話しました。
ゲームブックは読んだことないんだってさ。でも、ナムコにはゼビ語
の資料とかも一杯残されていて、同じ世界観で続編を作るのに役立った
そうです。
ナムコに置かれたアップルII
※あとからご覧になる方のために補足しておきますと、日本時間でこの日の朝、アップル創業者のスティーブ・ジョブズ氏が亡くなったというニュースが飛び込んでいました