茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2613回「秋についてどのように感じるべきかを私たちはどのように知るのか」

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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2613回をお届けします。文章は即興で書いています。本日は、感想です。

2021-11-05 07:06:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

秋の気配が深まっている。さみしさを感じたり、生命の最後の輝きを受け止めたり、なんとなくものがなしくなったりするけれども、このような秋に対する感受性を、私たちはどのようにはぐくむのだろうか。

2021-11-05 07:07:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

生命関連技術、医学がどんなに発達したとしても、私たちはせいぜい120回の秋を迎えるに過ぎない。そのような有限の中で、どのようにして、秋についてどう感じるべきかということを学習していくのだろうか。

2021-11-05 07:08:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

ましてや、まだ、ものごころついてから数回しか秋を経験していない子どもは、どう秋について感じるべきか知るのか? そこには、蓄積されてきた文化による教師信号があると考えられる。かつて秋について多くの人がいろいろなことを言ってきた、そのサンプルから学ぶのである。

2021-11-05 07:09:24
茂木健一郎 @kenichiromogi

童謡『ちいさい秋みつけた』や、古今集にある「奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」といったうたによって、秋に対してはこのように感じるという文化的基盤があり、それを学ぶことによって、限られた数しか経験しない秋に対する感受性をはぐくんでいくのである。

2021-11-05 07:11:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

もっとも、文化的な基盤はオープンエンドのものでなければならず、積み重なった背景に自分自身の個人的な経験が重なって、秋についての感覚は更新されていく。しかし、その際の慣性もニュートンの言う「巨人の肩」にのっている。

2021-11-05 07:12:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

季節にせよ、人生で出会うさまざまなできごとにせよ、私たちがそれに対して限られた経験しかないのにどう感じればいいかわかっているのは、人類の文化がどう感じるべきかというひな型、教師信号を与えているからである。知だけでなく感性においても、私たちはニュートンの言う巨人の肩にのっている。

2021-11-05 07:13:48
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2613回、「秋についてどのように感じるべきかを私たちはどのように知るのか」をテーマに6つのツイートをお届けしました。

2021-11-05 07:14:30