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茂木健一郎
@kenichiromogi
先日、小樽で行われたシンポジウムで、アーサー・ビナードさん、ヤマザキマリさん、養老孟司さん、斎藤惇夫さんとごいっしょした。改めて感じたのは、みなさん、「烈しい」ということだった。
2021-11-25 07:18:51
茂木健一郎
@kenichiromogi
才能は烈しい。いろいろなことについて、私は世間と同じ考え方です、調和です、というひとは表現者の中に全くいない。みな、世間の考え方と違ったりずれたりする確信を持っていて、そのことが表現する上での起爆剤、エネルギー源になっている。
2021-11-25 07:19:54
茂木健一郎
@kenichiromogi
もちろん、才能は烈しいといっても、常に炎上したり、論争を巻き起こすという意味ではない。表面上はねこと寝転んでいたり、まったり温泉漫画を描いていたり、ガンバが冒険したり、子ども向けの絵本を訳したりしていても、実はその人の「素」にはまことに烈しいものがあるのだ。
2021-11-25 07:21:21
茂木健一郎
@kenichiromogi
考えてみたら当然のことであろう。もし世の中にすでに流通していることと異なるものがなければ、そもそも表現する意味がない。モチベーションがない。違うからこそ、多少たいへんでも何かを言ったり、描いたりしようとする。つまりは才能は烈しい。
2021-11-25 07:22:14
茂木健一郎
@kenichiromogi
烈しい人が、それでもなんとか世間と折り合いというか、道をみつけようとして模索して着地したのが、表現として結実するのであろう。一方、時々、烈しいままにうまく着地できていないケースもある。烈しさは十分条件ではなく必要条件なのである。
2021-11-25 07:23:35
茂木健一郎
@kenichiromogi
才能は烈しいというテーゼは、世の中には本来予定調和などないのだということを教えてくれる。ありきたり、陳腐、月並みの罪は、その背後に烈しさがないことである。生きることは本来烈しいことであり、表現は生きることに寄り添ってこそほんものになる。
2021-11-25 07:24:43